「ほっとけない」の稲場さんへの田中優さんからのレスポンス

田中優さんからもPARCメーリングリストでレスポンスをもらいました。

ぼくは稲場さんを知っているせいか、あるいはにぶいからか、論議を拒否されているようには感じなかったのですが、こんな感じ方もあるのだと知りました。以下、転載します。



==以下、転載==

田中 優といいます。MLに入らなかったので再送します。

つぶやきと言われてはかなわないので。


> つるたです。

> 先日紹介した稲場さんからのレスポンスに

> 対するレスポンスをブログに書きました。

>


>

> 稲場さんからのレスポンスも許可をもらって、転載してあります。



 ぼく自身もつるたさんと同一の文献を読み、懸念している

一人です。左翼ではありません。


 ぼくはこのような言い方をされることに非常に腹を立てています。

***稲場さんのレスポンスから引用1(以下引用はすべて)***

 それに対して、現代世界の政治の二つの基層をなす「対テロ戦争」「貧困削減を射程に置く帝国の管理運営」の二つの路線に対して、より原則的な立場を選択する左派の市民社会が、とくに日本において、上記の動きや、この動きに積極的に乗っていこうという立場を選択する市民社会に対して、何ら具体的な綱領も行動提起も示すことができない、それどころか、まともな批判の文章の一つすら公に出ない(私が寡聞にして知らないだけかも知れませんが)、という状況に陥っているのは、一体どういうことでしょうか。

 アフリカでは、多くの左派の論客が筋の通った主張を展開しています。アジアでもそうだと思います。日本で私が見たものは、せいぜい、これら外国の論客の論文を引用して「ホワイトバンド・キャンペーンをやっている人間はアジア・アフリカの声を 聞け」といった、他人の土俵で相撲を取るようなものにすぎません。

***引用1ここまで***


 まずこの論理のとり方は、「左派の市民社会」と規定し、「何ら具体的な綱領も行動提起も示すことができない、それどころか、まともな批判の文章の一つすら公に出ない状況」と決めることに始まります。


 そして、「日本で私が見たものは、せいぜい、これら外国の論客の論文を引用して「ホワイトバンド・キャンペーンをやっている人間はアジア・アフリカの声を聞け」といった、他人の土俵で相撲を取るようなものにすぎません。」という論理で、他の人の引用をすることが「他人の土俵で相撲を取る」と規定されるわけです。


 では、「ホワイトバンド」運動が「他人の土俵で相撲を取る」ものではない根拠を知りたいです。


****稲場さんからの引用2****

 私自身は、このモメンタムに対して市民社会の「行動」こそが必要であり、その中に、いかに原則的な市民社会の立場を組み入れていくかが大事だという立場から、「ほっとけない」キャンペーンの実行委員をしているわけですが、この立場から見て、極めて歯がゆいのが、左派の原則的な立場から、「日本」を軸に(アジアでもアフリカでもなく、「日本」というポジションを踏まえた視点から)、まともな対抗的運動がまったく形成されない、せいぜいつぶやき的なものしか聞こえてこないという状況です。

****引用2ここまで****


 「行動」とは何を指しているのか、その人たちは「いかなる運動」をしているのでしょうか。そして他の運動に対しては、「まともな対抗的運動がまったく形成されない、せいぜいつぶやき的なものしか聞こえてこない」というのですが、この方はどれほどすばらしい運動をしてこられた方なのでしょうか。



***稲場さんからの引用3***

 「ホワイトバンド」なり「ほっとけないキャンペーン」は、様々な試行錯誤をしながら、NGOとプライベート・セクターの連携により、膨大な労力を投下して、多くの人々に、 少なくとも「(途上国の)貧困」を少しは見つめさせることに成功しているということは言えます。あからさまな偽善や欺瞞を含み込んでいると言えなくもありませんが、それでも、このモメンタムにおいて<何もしない>よりは格段にましだということもできます。

***引用3ここまで***


 なぜかときどきカタカナになるのですが、プライベートセクターは民間企業という意味でしょうね。ぼく自身はそれが悪いとは全然思いませんが、なぜかカタカナになっています。

 そして自ら「あからさまな偽善や欺瞞を含み込んでいると言えなくもありません」と述べた上で、「行動していない人よりは格段にましだ」という結論になります。

 ここに隠された「あからさまな偽善や欺瞞」とは何でしょうか。しかし「格段にまし」とされる「行動」とはどれほどのものなのでしょうか。


 ぼく自身は行動を起こす前に、かならずきちんと状況を把握し、影響を見据え、判断してからすべきものと考えますので、「行動していれば格段にまし」とは考えません。


***稲場さんからの引用4***

 ミレニアム宣言、国連ミレニアム開発目標にしても、たとえば感染症との闘いや母子保健を高い位置に掲げているこの目標の達成についての国際社会の努力を、完全に否定できるでしょうか?

***引用4ここまで***


 ということは、批判する人たちはそれを全面否定しなければならないのでしょうか。


***稲場さんからの引用5***

 生き方の倫理や正しさは、現代世界を生きる「個」それぞれにとって重要なことではありますが、それと政治的な運動をどう作るかということが混同されるべきではないと思います。何もしなければ、誤りを生み出すこともない、しかし、それは同時に、現代世界を変えるための力を作り出すことにもなりません。この2005年という年においては、何らかの行動、せめて、公の言論、公に口を開くこと、が大事だと私は考えています。

***引用5ここまで***

 このような文脈で読むと、「つぶやきのようなものでない何らかの行動が重要で、せめて公に議論しろ」と言っているのが傲慢に響きます。この方は公に認められる行動と議論の場をお持ちのようですが、このMLに書くことは「つぶやき」に分類されるのでしょうか。

 つるたさんは何度か提起されていますから。


 私はこのような実行委員の見解は、運動にとってマイナスだと思います。私もホワイトバンドは買っていますし、知られること自体はありがたいことだと思っています。

 それが議論を招くなら、それだけ運動を大きくできるチャンスであるわけです。それとも運動を大きくしたくない理由、独占したい理由でもあるのでしょうか。


 ODAの問題を知っている人なら誰でも、現地の人たちの意志を無視してはいけない、人々を蔑んではいけない、と何度言っても言い足りないほどだと知っていると思います。

 そのような意見も「つぶやき」に分類されて「行動していない」と否定されるのなら、これを書いた人の考えに帰依し、崇拝し、従属するか、もしくは全く無視する以外に対処の方法がなくなります。


 こうした形で最初の返信があったこと(つるたさんがそう書いています)は、とても残念です。こうした運動なのですね、この運動は、と言わなければならなくなるからです。

 この返信は、批判を受け容れる返信を装った、批判を拒否する返信であったと思います。


=====田中優さんからのレスポンスここまで=====

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  • 「貧困とたたかうことがかっこいいこと」(村田早耶香理事長)

    Excerpt: これから書くのは印象論でしかない。 印象論であるから、アジア象に関しては通用してもアフリカ象を論じるためには無力かもしれない。 別にインド象の話をしようというわけではないのだが、印象で語ってもいい範.. Weblog: かものはしのまるやき 事業型NPOって何? racked: 2007-08-06 00:25