人間の安全保障について、いろひらさんとのやりとり

民衆の安全保障と人間の安全保障」について

WSFなどのMLに投稿された、いろひらさんの文章に触発されて、レスポンスを書きました。その、ぼくのレスポンスにいろひらさんから返事をもらいました。いろひらさんの許可を得て、両方転載します。ぼくのレスポンスについては、少しだけ補足をいれました。


==いろひらさんのMLへの投稿==
近況です  先日JICA(国際協力機構)に招かれて、「人間の安全保障」に関するセッションにNGO側の一員として参加しました

二年ほど前にも中部大の武者小路公秀教授のお招きで「人間の安全保障」のセッションで発題したので、今回は二回目でした

「人間の安全保障」とは、1994年のUNDPレポートに由来し、例の2000年国連ミレニアムサミットで定式化されはじめた、(アマルティア)セン=緒方らが提唱する human security なる途上国への新しい介入(?)手法のことです

緒方貞子さんがJICAの総裁になって二年、独立行政法人JICAはいろいろ模索を始めているようです

討議のなかで、「途上国」の failing state or failed state (失敗しつつある、または、失敗した国家状態)で必要となるのは、三点セットつまり、「デモクラシー」と「人権」と「法の支配」の三つである、とNGO側からの対論を述べておきました

この三点セットは、国際(開発)NGOの間では、ある程度定式化されているものと、国際法の研究者から伺っているものです

例えば、今回のニューオーリンズの被災、ロケーションは合衆国の国内ではあっても「第三世界」ですから、セン=緒方の human security による capacity building こそが適用になる例なのでは、とも感じました


付言すれば、「構造的暴力」の命名者ヨハン・ガルトゥングは Human Security = Human + Security  と述べておいでです

http://www.aa.tufs.ac.jp/~kuroki/humsecr/report/040110galtung3.html

この十年間、信州の山中に「引退」し、地域医療をしておりましたので、久しぶりに接して学び直しますと援助業界は大きく変貌していました

いろひら拝

==いろひらさんの最初の投稿ここまで==



==それに触発されたぼくのレスポンス==

色平さま、みなさま

武者小路さんの「人間安全保障序説」を読むと、新自由主義やミリタリズムに反対する社会運動・平和運動の側にも人間安全保障論は使えるという風にも主張されているように感じました。武者小路さんは人間安全保障≒民衆安全保障というふうにさえ、どこかでお話しされていたように記憶します。(これ
、2005/09/23 11:12のブログで転載したものを読むと、上記の本の中で主張されていたのでした。ブログに掲載するにあたっての補足)

アフガニスタンやイラクという米国を中心とする勢力がさんざん国家機能を破壊した地域で、人間安全保障が必要だから、という名目で、ODAがバシバシ使われているように感じます。

この人間安全保障という概念を民衆の社会運動・平和運動はどのように使う事が出来るのか、また、出来ないのか、ぼくは現在の力関係の中では、社会・平和運動がこれに乗るのは危険な側面も多いのではないかと感じています。(検証はしていません。)

この概念と社会・平和運動は具体的にどのように向かい合う事ができるのでしょう?

色平さんは、どのようにお考えでしょうか?

> 緒方貞子さんがJICAの総裁になって二年、独立行政法人JICAはいろいろ模索を始めているようです

ODA大綱で日本の国益のためのODAというような、本末転倒した主張が通る中で、JICAは、どのような変化をめざしているのでしょうか?

> 討議のなかで、「途上国」の failing state or failed state (失敗しつつある、または、失敗した国家状態)で必要となるのは、三点セットつまり、「デモクラシー」と「人権」と「法の支配」の三つである、とNGO側からの対論を述べておきました


多くの場合、北側の動向と無関係に南の国家が失敗しているとは思えません。植民地主義の結果としての国家破綻という観点こそが社会運動や平和運動に問われているように思います。何か積極的に介入する事よりも植民地主義的な介入を止める事がまず、求められているように思えてなりません。

==ぼくのコメントここまで==




==そのコメントへのいろひらさんからのレスポンス==

コメント、またご質問をありがとうございます
大変、勉強になりますし、考えさせられました

ただ、私は信州の隔絶した山中で修行中の身なので、なかなかお答えになりませんが、ご勘弁を


> 武者小路さんは人間安全保障≒民衆安全保障というふうにさえ、どこかでお話されていたように記憶します。

ふーん、なるほど、、、そうなんだ、、、  

人間の安保 を 民衆の安保 に少しでも近づけていこう、ってことなんだろうか、、、


> アフガニスタンやイラクという米国を中心とする勢力がさんざん国家機能を破壊した地域で、人間安全保障が必要だから、という名目で、ODAがバシバシ使われているように感じます。

はじまりのミレニアムサミットは9・11の前年だったんだけど、明らかに9・11以降、HSがはやってきているのはホントでしょう

アフリカやミャンマーでもね、、、

今回JICAには、日本政府は一年間に平均200億円相当の(日本人の)税金をバングラデシュの腐敗した政権(トランスペアレンシー・インターナショナルによると世界ワーストワンかツー)にODAとして投入し続けているそうだが、「まったく最貧困層に届いていない」という今回提示されたNGOレポートは納税者側からみても大問題だ、と指摘しておきました

しかしバングラデシュはなにしろ Hartal の国だからね、、、村落の最末端にまで、二大政党の色がついていて大変大変


> この人間安全保障という概念を民衆の社会運動・平和運動はどのように使う事が出来るのか、また、出来ないのか、
> ぼくは現在の力関係の中では、社会・平和運動がこれに乗るのは危険な側面も多いのではないかと感じています。
>
> この概念と社会・平和運動は具体的にどのように向かい合う事ができるのでしょう?
>
> 色平さんは、どのようにお考えでしょうか?

私はこの十年間日本の「民衆の社会運動・平和運動」と直接のおつきあいを欠いているので、、、

また「人間の安保」について、私は取材をはじめたばかりでして、、、


>> 緒方貞子さんがJICAの総裁になって二年、独立行政法人JICAはいろいろ模索を始めているようです
>
> ODA大綱で日本の国益のためのODAというような、本末転倒した主張が通る中で、JICAは、どのような変化をめざしているのでしょうか?

JICAへのご質問でしょうか?

私も同じ問いをもっております  機会があるので、私もJICAに聞いてみます  

ただ、独法化に際し、外務省は判断し、JICAは手足である、との「役割」を固めたそうですよ(笑)

国益の定義にもよるけど、定義をかけるのが外務省なのだから、まあ結末の予想はつくわな


>> 討議のなかで、「途上国」の failing state or failed state (失敗しつつある、または、失敗した国家状態)
>> で必要となるのは、三点セットつまり、「デモクラシー」と「人権」と「法の支配」の三つである、とNGO側からの対論を述べておきました
>
> 多くの場合、北側の動向と無関係に南の国家が失敗しているとは思えません。植民地主義の結果としての国家破綻
> という観点こそが社会運動や平和運動に問われているように思います。何か積極的に介入する事よりも植民地主義的な
> 介入を止める事がまず、求められているように思えてなりません。

ええ、まったくもって構造的につながっていますね  

「治療法」としては対症療法を繰り返して、わけが判らなくなったヘボ医者状態で、「患者さん・マルタ」にされた方はかわいそう

そこへ、魅力的なHSなる新療法登場というところか  本当に根治療法なのかどうかは未だ判りませんが

JICA が今回 (1)state security と (2)human security を対置してプレゼンしてきたので、
私は (3)public security の観点は?と反論しておきました

(1)は国家間ですので軍事外交ODAマター、(3)は国内ですから公安警察社会保障マター、しかし、今回の(2)は、他国の民衆の「ために」ODAドナー国の寛大なるサポートを直接及ぼそう、もたらしめよう、という(国家主権を飛び越えかねない)実に野心的な取り組みであって、主権国家にとってはなかなかアクロバティックです

JICAには、 se + cure とは ”ない”という否定詞 + ”憂い”というラテン語由来であって、後者の cure とは「お世話」の意味のケア、ではなく、I don't care. と使う際のケアと同義、とご教示し、今後は、(人間に)憂いなからしめる、そんなODAを!、と淡い期待をこめて話しておきました

それにしても、HSのHって、いったい誰のことなんだろうね? 

もしかしたらミャンマーでの麻薬対策プロジェクトで裨益するHって、合衆国(我執国)の若者かもね

それにイニシアティブが先進国側にあるというのなら、所詮、現行秩序の固定化、維持にしかならないのかも

人間開発、人権など、既存の諸概念との異同も問題点

また国際法上最重要な「人権ベースアプローチ」がおろそかにならないか?との懸念も、、、

しかし、むしろそれをおろそかにしてほしいという一部途上国政府の隠された意図もあるのかもよ

セッションではエンパワーメントの訳語を、と問われて「候補として、内発的発展」と答えておきました

99年にカナダ政府が示した「人間の安全保障」(Human Security Network)は(日本型が開発なのに対し)介入に重きをおいている

ちょっと、恐そう  日本型(JICA型)は、「JICA改革プラン」として、現場主義、人間の安全保障の実践、効果効率性と迅速性の三つを謳っている

結局、41年8月のアトランティック・チャーターが示した「4つの自由」のうち、後の二つ”のみ”を遺してあるところが、
なんとも欺瞞というか、面白すぎました (freedom of speech, freedom of
religion, freedom from want, freedom from fear だったっけ)

いろひら拝

==転載ここまで==


民衆の安全保障と人間の安全保障というようなテーマで、PP研(http://www.jca.apc.org/ppsg/whatispp.html このサイト、近日中にアドレスが変わる予定らしいです。)の「グローバル化と民衆運動研究会」でも連続した研究会を開催するとのこと。
レスポンスの中でも関連することを書いたけれども、武者小路さんの「人間安全保障序説」(国際書院2003年)のサブタイトルは「グローバル・ファシズムに抗して」となっています。グローバル・ファシズムと武者さんが命名するような状況への抵抗の手段として「人間安全保障」を位置づけていると言えるでしょう。あるいは、いろいろに使われている人間安全保障を、そこへ位置づけることが必要だという主張かもしれません。武者さんは「人間の安全保障」が出てすぐ、日本で最初にとりあげた人です。これをもっと運動側が注目しなければならないという彼の主張にやっと運動の側も追いついてきたということ???

「人間安全保障序説」については、また別にちゃんと紹介したいと思います。

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