障害者疑似体験と障害平等研修

いまでも無批判に行われることの多い障害者疑似体験。この疑似体験の問題について久野さんは「障害平等研修」を紹介するホームページの中で以下のように指摘している。

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なぜ疑似体験がいけないのか

 最大の理由は、疑似体験では個人の身体機能不全のみが強調され、障害の本質である差別や排他的な社会の構造といった最も理解が必要である点が軽視され、差別や権利の問題としての障害理解を遠ざけてしまう可能性がある点である。もう一つは、多くの障害者が自立した生活を送っているにもかかわらず、擬似体験では「できない・困難」という負の側面ばかりが強調され、障害者に対して負の価値付けがなされることである。障害者を「できない人」と見る見方を強め、かえって差別的な見方と障害者に対する家父長的な態度を強化してしまう可能性がある。



 障害の疑似体験を社会の障壁を経験するものとできるという反論もあるが、疑似体験でわかるのは物理的な障壁だけであり、単に「何が」障壁であるかを発見するだけで終わってしまう場合が多い。障害平等研修が重視しているのは、そのような障壁が「なぜ」作り出されるのか、その原因と構造を理解することにある。また疑似体験が単なる「楽しいゲーム」となっている例も多い。


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ちなみに

今年の9月には障害平等研修を紹介する書籍も出版されている。(まだ読んでません。)

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障害者自身が指導する権利・平等と差別を学ぶ研修ガイド―障害平等研修とは何か


このアマゾンのページには「なか見!検索」という立ち読みのようなことが可能になる機能もついていて、目次や抜粋も読むことができる。(視覚障害の方に対応するように出来ているかどうかわからない。)たぶん、この本にも疑似体験の問題なども含まれているのだろう(想像)

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 体験をやりたいという人は、ここで久野さんが指摘しているような問題があるということを、まず認識して欲しいと思う。そういう問題意識のない障害者疑似体験はマイナスの方が多いに違いない。それでもやるかどうか。


 一方で街がいかにバリアに満ちているかということを体験するための疑似体験という考え方もある。やりかたによっては、それなりの効果をもたらすこともあるかもしれないが、それは障害平等研修のようなことを綿密に準備したうえで行わない限り、久野さんが指摘したような結果をもたらしがちなのではないだろうか。そして十分な準備を行ったとしても、その危険を回避できるのかどうか、かなり危うい。


 という意味ではイベントなどでの障害疑似体験というのはかなり、やばいものと言えそうだ。実は私も何度かかかわったことがある。数年前、この問題を意識した後にも、地元大田区のとある会でも疑似体験をやることになったことがあった。それを止めることはできないような状況で、以下のようなチラシを作った。

==以下に転載==

体験コーナーで体験されたみなさまへ


車いすや白い杖の体験、いかがでしたでしょうか。


「障害者はたいへんだな」とか「やっぱり不便だな」とか、とお感じでしょうか。


それは何故かと考えて欲しいのです。


目が見えなかったり、体の機能の一部が動かなかったりするから、「たいへん」なのでしょうか。わたしたちはそうでななく、街が障害者を「たいへん」にしていると考えています。


例えば、

蒲田駅の東口の駅前

たくさんの自転車が放置されていて、点字ブロックの上に置いてあるものさえあります。

白い杖を体験しなくても、視覚障害者にとって、それが何をもたらすかはすぐにわかるはずです。もしかして、体験したあなたは、もっとわかるはずです。


あるいは、

蒲田駅の東口から車いすで駅を利用しようとしても、蒲田駅の東口駅ビルのエレベーターを降りた2階から改札に向かうには5段の段差があります。車いす用の昇降機はあるのですが、いちいち、駅ビルの人を呼ばなければ、運転できない仕組みになっているので、いつも待たなければなりません。また、駅ビルの休業日・営業時間外にはエレベーターで2階に上がることすら出来ないのです。しかし、現在は一人で操作できる昇降機も開発されています。そして、営業時間外にエレベーターを使うこともできるはずです。


これらの例からも、障害者を「たいへん」にしているほとんどは、障害者の体などの機能の問題ではなく、街を使う一人ひとりの意識も含めた街の問題だということがわかってもらえると思います。そして、街の問題というのは、わたしたち一人ひとりの問題でもあります。


この街を誰もが住みやすい街へと変えていくのは、ここに住み、あるいはここで働くわたしたち一人ひとりだと思います。みんなで街をみんなの街にしていきたいと思っています。

もしかしたら今日、この体験で障害者はたいへんだとお感じになられたかもしれませんが、障害者を「たいへん」にしているのは、街のほうだということを少しでもわかっていただけたら、うれしいです。そして、いっしょに街を変えていきましょう。


やさしいまちづくりをすすめる大田区民の会


==転載ここまで==


しかし、このチラシだけで効果があったとは思えない。これにぼくの罪の意識を軽くするため以上の効果はなかったように感じている。そういう意味で失敗事例と言えるだろう。ぼくは他の用事でほとんどこの会場にはいなかったのだけど。


また、逆にゲームと割り切って、障害者へのハードルを低くするという戦略もありえるかもしれない。例えば車いすなどはそれなりに楽しい部分もある。しかし、それにしても、ただ楽しかっただけではやはり問題だろう。やはり、障害平等研修のようなことが必要とされている。ぼくも最初に紹介した本をちゃんと読んでみようと思う。

この記事へのコメント

ちどり
2005年12月23日 16:50
こんにちは。医学部受験の参考書を読むと、参考文献として厚生省の官僚が疑似体験をしてそれをまとめた書物が紹介されています。しかし、その内容を読むと、あまりにも浅はかで、こんな程度で受験秀才だけが国家を決定しているのかと思うと情けなくなりました。久野さんのご指摘は当然のことです。国立大学医学部を卒業して最近精神科医を標榜している年下の医師に最近の医学部の状況をブログに書いたところ、その者から、「あんたくるな」と集団で罵声を浴びせられて、こんな奴が医療や精神医療を担っているのかと思うと悲しくて許せなくて泣いていました。その時、こちらのブログを見つけました。2チャンネル的発想は(上述の男子医師もするのですが)非常に偏っていて集団でやれば何でもできるというリンチ的発想と共通しているところがあり、嫌です。

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