フレイレについて(その2)
少し前に、フレイレの「意識化」も使い方を誤ると洗脳と同じになってしまうのではないか、というようなことを書いた。
https://tu-ta.seesaa.net/article/200604article_3.html
お気に入りの本でときどき引用している「いのち・開発・NGO」を別の理由で開いたら、ちょうど「意識化から洗脳へ」というタイトルの節があり(98-99p)フレイレに言及されていたので、メモしておく。
前の節で著者は動員(mobilization)の意味が変わってきたことを指摘する。
==
・・・この言葉は、昔は 民衆の闘いのなかで民衆運動を起こすときに、社会活動家によって政治的な意味で使われていた。しかし、健康と開発のハイ・レベルの戦略家たちは、この用語を地域住民主体のとか、参加、エンパワーメントなどの用語と同様に、革新的、政治的意味合いから切り離してしまった。
今日、社会的動員とは、貧しい人々を活発化させるのではなく、力のあるものを取り込むためのものになっている。子どもの生存プログラムのなかで動員という言葉が使われているが、それは重要な決定を下す人、オピニオン・リーダー、援助機関、公衆衛生学部などから支持と賛同をうる、ということを意味している。
==
このようなことを指摘した後で、著者はユニセフのような機関が、ボトム・アップからトップ・ダウンへ移行したことに言及する。
ユニセフが60年代から70年代には弱者を守るために重要な役割を果たし、不公正な構造を変えるために呼びかけ、いくつかの場面では米国政府を怒らせ、その報復として資金ストップを脅された。しかし、80年代の保守的な雰囲気に直面して注意深くなり、83年には子どもを守るための新しい戦略を採用する。この戦略で参加が追従にとって変わられ、社会的動員は社会的マーケティングというトップダウンの技術に変えられたのだという。
それに続くのが、この「意識化から洗脳へ」という節だ。
この節では冒頭で、84年の「子どもの生存革命のマーケティング」という論文が引用される。ユニセフの前のディレクターの「情報技術が新しい驚異となった世界において(in a world where information technology has become the new wonder of our age,英文はぼくが勝手に補ったもの)、貧しい人々への情報をどのように伝達するかということについて、私たちは恥ずかしくもほとんど知らない」という呼びかけがあり、それに応えて、「ユニセフの広報部門は社会的マーケティングの新しい健康増進手法を生み出すための技術を宣伝するようサポートした」という。(ちょっと日本語がわかりにくいので、英文にあたってみる。この英文は前にも書いたように、すべて公開されている。
http://www.healthwrights.org/books/QTSonline.htm
the commercial sector helped adapt advertising techniques to create the new health promotion technique of “social marketing.”
となっている。英語がダメなので、自信はないが、この主語は誤訳だろう。この主語は「ユニセフの広報部門」ではなく一般的なコマーシャルセクター、つまり財界のことだと思う。)つまり、
「財界が、(ユニセフの)新しい健康増進のプロモーションの社会的マーケティングに宣伝技術を適用できるように手助けをした。」ということだ。
この社会的マーケティングが、「過去数十年間に広く用いられてきたボトム・アップの意識化を重視するアプローチとは正反対である。」と著者は書く。
続けて引用すると、
==
前もって企画された保健サービスのパッケージを売り込むために、人々の心をつかまなければならない。「対象となる人々」にインタビューし、事前に研究して、どういった販売戦略、どのようなパッケージ商品がもっとも魅力的かを決定する。それからラジオ、テレビ、村の拡声器といったマスメディアを通して、猛烈な宣伝が始まる。映画スター、人気歌手などが熱狂的支持を巻き起こすために使われるのだ。60年代と70年代にフレイレによって推進された型にはまらない問題提起型アプローチとは違って、社会的マーケティングは、人々に決定を下す機会と自主的な活動を起こす機会を与えなかった。これは意識化ではなく洗脳に近い。
==
このような形で洗脳と意識化の連関が言及されている。基本線はこの通りだと思う。しかし、自らの正しさに安住し過ぎると、意識化へのファシリテートが洗脳に近いものになる危険があることに自覚的でなければならないだろうというのが前回書いた話だ。
また、ここでは動員の問題に触れられているが、日本語の「動員」という言葉は、すごくトップダウンの響きを持つ。「mobilization」という語にはなんとなく、自らの意思で自らを動かすというニュアンスが感じられる(本当に英語にそんなニュアンスがあるかどうか、自信はぜんぜんない)が、日本語で「動員」というと、それは労働組合の動員だとか、選挙への動員だとか、動く方は客体になりがちなニュアンスを感じる。日本語では「動員」はそれがどんな目的であれ、昔からトップダウンだ。
しかし、諸外国の社会運動のなかの「mobilization」もトップダウンに陥らない保障はない。それをトップダウンにしないために何が可能なのか、ということが厳しく問われることになる。
この「いのち・開発・NGO」の306-7pで、ふたたび、フレイレの方法論が引用され、フレイレ的な社会変革のための運動のラフなデザインが記述されている。
それについても、このブログで触れようと思ったけれども、疲れたのでこのあたりまでにしておきます。
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お気に入りの本でときどき引用している「いのち・開発・NGO」を別の理由で開いたら、ちょうど「意識化から洗脳へ」というタイトルの節があり(98-99p)フレイレに言及されていたので、メモしておく。
前の節で著者は動員(mobilization)の意味が変わってきたことを指摘する。
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・・・この言葉は、昔は 民衆の闘いのなかで民衆運動を起こすときに、社会活動家によって政治的な意味で使われていた。しかし、健康と開発のハイ・レベルの戦略家たちは、この用語を地域住民主体のとか、参加、エンパワーメントなどの用語と同様に、革新的、政治的意味合いから切り離してしまった。
今日、社会的動員とは、貧しい人々を活発化させるのではなく、力のあるものを取り込むためのものになっている。子どもの生存プログラムのなかで動員という言葉が使われているが、それは重要な決定を下す人、オピニオン・リーダー、援助機関、公衆衛生学部などから支持と賛同をうる、ということを意味している。
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このようなことを指摘した後で、著者はユニセフのような機関が、ボトム・アップからトップ・ダウンへ移行したことに言及する。
ユニセフが60年代から70年代には弱者を守るために重要な役割を果たし、不公正な構造を変えるために呼びかけ、いくつかの場面では米国政府を怒らせ、その報復として資金ストップを脅された。しかし、80年代の保守的な雰囲気に直面して注意深くなり、83年には子どもを守るための新しい戦略を採用する。この戦略で参加が追従にとって変わられ、社会的動員は社会的マーケティングというトップダウンの技術に変えられたのだという。
それに続くのが、この「意識化から洗脳へ」という節だ。
この節では冒頭で、84年の「子どもの生存革命のマーケティング」という論文が引用される。ユニセフの前のディレクターの「情報技術が新しい驚異となった世界において(in a world where information technology has become the new wonder of our age,英文はぼくが勝手に補ったもの)、貧しい人々への情報をどのように伝達するかということについて、私たちは恥ずかしくもほとんど知らない」という呼びかけがあり、それに応えて、「ユニセフの広報部門は社会的マーケティングの新しい健康増進手法を生み出すための技術を宣伝するようサポートした」という。(ちょっと日本語がわかりにくいので、英文にあたってみる。この英文は前にも書いたように、すべて公開されている。
http://www.healthwrights.org/books/QTSonline.htm
the commercial sector helped adapt advertising techniques to create the new health promotion technique of “social marketing.”
となっている。英語がダメなので、自信はないが、この主語は誤訳だろう。この主語は「ユニセフの広報部門」ではなく一般的なコマーシャルセクター、つまり財界のことだと思う。)つまり、
「財界が、(ユニセフの)新しい健康増進のプロモーションの社会的マーケティングに宣伝技術を適用できるように手助けをした。」ということだ。
この社会的マーケティングが、「過去数十年間に広く用いられてきたボトム・アップの意識化を重視するアプローチとは正反対である。」と著者は書く。
続けて引用すると、
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前もって企画された保健サービスのパッケージを売り込むために、人々の心をつかまなければならない。「対象となる人々」にインタビューし、事前に研究して、どういった販売戦略、どのようなパッケージ商品がもっとも魅力的かを決定する。それからラジオ、テレビ、村の拡声器といったマスメディアを通して、猛烈な宣伝が始まる。映画スター、人気歌手などが熱狂的支持を巻き起こすために使われるのだ。60年代と70年代にフレイレによって推進された型にはまらない問題提起型アプローチとは違って、社会的マーケティングは、人々に決定を下す機会と自主的な活動を起こす機会を与えなかった。これは意識化ではなく洗脳に近い。
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このような形で洗脳と意識化の連関が言及されている。基本線はこの通りだと思う。しかし、自らの正しさに安住し過ぎると、意識化へのファシリテートが洗脳に近いものになる危険があることに自覚的でなければならないだろうというのが前回書いた話だ。
また、ここでは動員の問題に触れられているが、日本語の「動員」という言葉は、すごくトップダウンの響きを持つ。「mobilization」という語にはなんとなく、自らの意思で自らを動かすというニュアンスが感じられる(本当に英語にそんなニュアンスがあるかどうか、自信はぜんぜんない)が、日本語で「動員」というと、それは労働組合の動員だとか、選挙への動員だとか、動く方は客体になりがちなニュアンスを感じる。日本語では「動員」はそれがどんな目的であれ、昔からトップダウンだ。
しかし、諸外国の社会運動のなかの「mobilization」もトップダウンに陥らない保障はない。それをトップダウンにしないために何が可能なのか、ということが厳しく問われることになる。
この「いのち・開発・NGO」の306-7pで、ふたたび、フレイレの方法論が引用され、フレイレ的な社会変革のための運動のラフなデザインが記述されている。
それについても、このブログで触れようと思ったけれども、疲れたのでこのあたりまでにしておきます。
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