必要なものを必要な人へ、現状の破滅的な社会の生命力を超えて

 ふと思った、シューマッハは30年以上前にスモール・イズ・ビューティフルの中で、現在の社会のありようを明確に批判している。そう言えば、それより前にカンジーが。あるいはポランニーが。

 しかし、社会はその方向への変化を見せているようには思えない。強靭な資本主義の生命力というふうにいうべきだろうか。確かに新自由主義への批判の声は日本の外では小さくないようだ。(中国はわからないし、知らない国も多いが)


 どうして、必要な人が必要なものを受け取れるというシステムへの変換がなされずに、利潤を獲得するための欲望が基本的に社会を支配しているかのようなシステムが続くのだろう。片方でただ生存するために必要な最低限の食事やケアや治療が受けられずに死んでいく人がいる。もう一方で飽食したあとに体重をコントロールするための移動しないランニングや自転車の機械がある。「ダイエット」のための巨大な産業があり、大量の食べ物が捨てられていく。


 その「北」と「南」の矛盾した関係は国境の中でも広がっている。


 1990年より前には「東」と「西」があった。もちろん、同時に「北」と「南」の矛盾した関係も存在していたのだが、「東」のシステムは、「西」の世界の中のそんな矛盾を解消することを目的としていた。しかし、現実に「東」にできた社会のほとんどは、いろいろな原因で消えていった。


 このように「東」がめざそうとした20世紀の壮大な実験は失敗した。(ように見える)


 その失敗の上に現在がある。絶望的なまでに強大に見える資本主義の生命力。そう、生まれた直後から批判され続けている資本主義はいまでもメインストリームであり続け、その破壊的なまでの生命力を爆発させ続けている。


 どうすれば、この破壊的な資本主義のシステムを変えていくことができるのだろう。必要な人が必要な食糧や治療を受け取ることができるようになるのだろう。60年代後半に始まった、それまでの社会主義運動とは異なる新しい社会運動・社会変革の試みはまだ実を結んでいるようには思えない。それはいくつかの小さな変化を生んだが、具体的な果実を得ているようには思えないわけだ。


 ぼくには求められているのが、コントロールされた資本主義なのか、それとも別の社会システムなのかということさえ、わからない。


 しかし、現状の社会のありかたはおかしいと思う。いろんなところでいのちが大切にされないまま、叫び声をあげている。また、叫びを聞き取られることなく、殺されていく人も少なくない。どのように、この叫びを聞き取られる日を迎えることができるのか。


 100年以上前から言われていた「大きな転換」の必要性。多くの人は社会主義国家、そして国家を越える社会の建設を夢見たが、その実験はひとまず失敗に終わった。新しい実験は端緒的に始まってはいるものの、まだ明確な形をあらわすことができない。

 破滅へ向かうタイタニックのような現在のシステムは、今度こそ、本当に氷山にぶつかるのではないかと感じる。ここまでの約100年と同様にその破滅を回避することは、困難になりつつあるのではないか。明確な根拠を示すことはできないが、現在のシステムの側からさえも、もう維持できないという悲鳴が聞こえているように感じる。これまでの長い期間、社会変革を求める側は、これ以上現状のシステムは維持できないと、悲しいことにずーっと言い続けてきた。しかし、そのシステムは生き長らえてきた。今度もまた同じではないかとまったく感じないかと言えば嘘になる。でも今度は、現状のシステムを維持しようと考えている側さえ、その不可能性を認めざるをえなくなっている。そこに大きな違いがあるのではないか。


 いままで、狼少年と言われてきた左翼。ほんものの狼が近づいているように思うのだけれども、今度も本当に狼がいるかどうか、本当のところはぼくにはわからない。



 ともあれ、こんな社会はまっぴらだという気持ちはかわらない。この社会を変えたいと思う。とりあえず、わからないことは多いのだけれども、ぼくは変えるために動きたいと思うから動く。願わくば具体的な変化をもたらしたいと祈りながら。


この記事へのコメント

sirokanippe
2007年06月28日 02:19
お邪魔します。
100年前にもウィリアムモリスが指摘しているんですよね。自国の戦争や産業革命に対してはっきりとした批判を既に出している(逮捕暦もある)。
デザイン史を一応習っていますが、彼の政治思想について教科書には一行もありませんでした。アーツアンドクラフトは彼の思想と切り離せないのですが。
このような形で、伝えられるべきときに伝えられていないことも、恐らく状況を困難にする一因だろうと感じます。

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