『スモール イズ ビューティフル再論』ちょっとメモ その1

本棚からポロッと出てきたこの本。なんかボロボロになっている。(その割りに中身は消化していない) このブログにはメモを掲載していないことを確認。


言うまでもなく、著者はE・F・シューマッハ

この本によれば、シューマッハではなく、シューマッハーと長音つき

(講談社学術文庫2000年)


一度は最後まで読んでいるはず。2度目、途中まで読んだ形跡が残っていた。


前書きはサティシュが書いている。


そこからちょっと抜書き。

===

 彼はイギリス政府の命でビルマ政府に助言するために派遣されていた。「ラングーンに着いて二、三週間経ち、いくつかの村や町を訪ね歩いてみて、ビルマ人が自分のような欧米の経済学者からの助言をほとんど必要としていないと悟りました。実は、われわれ欧米の経済学者にはビルマ人から学べるものがあります。ビルマ人は高度に発達した宗教と文化をささえる完璧な経済制度をもっているし、自分たちを養うに足りる米だけでなく、インド市場向けの余剰米も持っています」と彼は当時を想起しながら語った。

「私がビルまでの所見を仏教経済学という題をつけて発表すると、多くの経済学者仲間がいったものです。『シューマッハーさん、経済学と仏教とどんな関係があるんですか』。私の答えは、仏教抜きの経済学は愛のないセックスです、という一言でした。『精神性を欠いた経済学は一時的な物的満足をあたえるだけで、内的な達成感はあたえません。スピリチュアルな経済学は、サービスとシンパシーと人との絆というものを利潤や効率とならんではたらかせます。両方とも必要で切り離せません」 9p

(一部改変)

===


この前書きサティシュは97年に書いている。


序言を書いているのはダイアナ・シューマッハー(訳者後書きの表現を借りると”長男の夫人”)


ここにもシューマッハからの引用がある。引用元不明

===

環境悪化が提起する問題は一義的には技術的問題ではない。もしそうなら、技術の先進社会でそれがもっとも深刻な形で起こるはずがなかったろう。原因は科学的ないしは技術的能力不足や科学教育の不十分、情報不足とか訓練された人員の不足、あるいは調査研究資金の不足のいずれでもない。原因は現代社会の生活様式にあり、それはまた現代世界の基礎的信条――いうなればその形而上学によるものである。

===


これをいまではなく、30年以上も前に言っていることに驚く。


このメモは続けてみたい。


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック