『スモール イズ ビューティフル再論』読書メモ その2
再びダイアナ・シューマッハーによる序文から引用
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シューマッハが本書で論じている問題の大部分は、残念ながら現在も存在するどころか、この20年間の間に悪化しているのである。
必要な知識と道徳的な勇気を身につけて、現在の危機の打開策を見出し、あらゆるレベルで平和を築きあげるのが、新世代の任務である。変革という課題を担う個々人、同じ「案内図」を使う気のある個々人が手を組むことが重要である。『グッド・ワーク』のなかで、シューマッハーは次のように述べている。
私は意気消沈などしていない。私の手ではよりよい世界へわれわれの船を送りこむ風は起こせない。だが、帆をあげるぐらいはできるから、やがて吹く風をつかまえることはできる。
23p
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風は吹いてきたといえるのか、あるいはいまだに吹いていないのか。
吹きつつあると言えるのではないかとぼくは思う。それが大勢を動かすほどのものかは、まだ定かではない。そして帆はシューマッハのものだけではちょっと足りないかもしれない。風に乗って、間にあって危機を打開できるのか、風をつかまえることができずに氷河にぶつかって沈むのか。
そう、サティシュの例え話で言えば、大きな船は沈むことが確実だ。だから、救命ボートの準備が必要とのことだった。救命ボートを動かす帆はシューマッハが準備してくれていると言えるかも知れない。
次は本文から引用(2番目の文章「一つの時代の終焉」から
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一つの時代の終焉
一つの時代が終わった。欧米人の思惟の一局面の終わりである。われわれは今底知れぬ精神の危機にある。デカルト的思惟に支配され、250年ないし300年も続いた時代に、科学と技術は信じられないくらい進歩した。その時代が今終わりに近づいている。この種の思惟の帰結を要約していえば、それは霊性の破産であった。
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シューマッハがリサージェンス誌に"End of an Era"を発表したのが1976年、そこから更に技術は急速に進歩した。そして、やっと終わりが近づきつつあるようにも思える。そういう意味では、この予測は早すぎたのかもしれない。あるいは終わりが近づいているという、現在は多くの人が共有している感覚もまた間違っているのかもしれない。1976年にどれくらいの人が終わりが近づいているという感覚を共有していたのかわからない。少なくとも、当時高校生だったばくにはそんな感覚はあんまりなかった。(終末論を説く「エホバの証人」などは今世紀の初めから時代の終わりを説いているが・・・。追記;前世紀のことを今世紀を思わず書いちゃいました。いまだに20世紀を生きてます。)
ともあれ、この時代の転換点という感覚は現状でぼくは間違っていないように感じる(根拠を問われるといろいろあるようで、ほんとかどうかあいまいなものも多い)。ただ、残念なことにぼくもその一人である左翼は、長い期間にわたって、こんなにも人を苦しめる資本主義はもう終わらせなければならないと言い続けてきて、言い続けているうちに、いわゆる「社会主義」の終焉を目の当たりにした。そういう経験から、これが本当に「一つの時代の終焉」なのか、ということに関しては、多少、疑心暗鬼になりながらも、それでも希望的観測を含めて、こんな時代はもう終わらせたいと思う。
ここに引用した最後の部分で「それは霊性の破産であった」と書かれている。この「霊性」の原文はスピリチュアリティなのだろう。この短いエッセーではその中身が説明されている。例えば、量の多寡だけが問題にされがちなこの社会の問題について、こんな風に書く。
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統計の罪・・・。純粋に量的な扱い方は、本当に大事なことを一切見逃してしまうが、今終わりに近づきつつあるこの時代は、もちろん物質の世界でそれが一定の力をもっているので、その扱い方をとりつづけてきた。それは誤りではないが、本当に大事なことへの理解でバランスをとることが前提条件であり、この大事なことはまったく異質のことである。
簡単にいえば、安易で快適な時間を約束してくれるものを手にいれるために、この伝統的な英知がすべて排されたのである。そして、むろん、得たものはまさに正反対、つまりまったく無駄な時間である。どのくらい反対かをいちばん簡単に知るためには、今日先進国の先頭に立っているアメリカ、生活水準がイギリスよりなおずっと高く、そして住民がはるかに不幸な国に目を向けるのがよい。 43p
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当時、米国と英国にどれだけ差があったのか、ぼくは詳しくない。ただ、日本での現在の暮らしと開発が入ってくる前のラダックの暮らしを比べることは有益だろう。いまもなお、バランスは量を重視する方向に傾きすぎている。
時代の終焉という診断にどう対処すべきか、シューマッハは「多くの人はすぐに行動に走ろうとするが、やはりまずなすべきことは事柄を理解し、自分自身の小さな精神のなかで整理することだと力説したい」と書く。そして、彼自身が選んだ3つの行動を紹介する。「これだけが大事な事柄だと示唆しているのではないが…。」という保留をつけて。
以下に要約する
1、自然に対する新たな態度
自然との戦いではなく自然との友達づきあい。
石油の助けを借りない農業。
「肥やしのふしぎ」の農法
永続性をもった新しい農業システム
2、「大きければ大きいほどよい」という考えを捨てる。
物事には適正な限度があり、それを上下に超えると誤りに陥る。
小さいことのすばらしさは、人間のスケールのすばらしさと定義。
TLC(tender loving care)の重要性
例えば欧米の国民保健サービスはT歴史からLCを引き継いできたが、いまではある種の疾病鎮圧部隊となり健康とはなんの関係もない。
3、新しい技術の創造
現在われわれが追求している暴力と巨大主義ではなく、その代わりに健康と美と永続性という3つの徳目をもつ道を技術に
注 「肥やしのふしぎ」については『わが父シューマッハ―』16章参照
TLCは『宴のあとの経済学』第6章参照
49pまでの読書メモ、先は長い。
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