石垣りんさんが好き

閉鎖性を売り物にするようなネット上のコミュニティになんか入らないって思っていたのはずいぶん前なんだけど、いつのまにか入ってしまったうえに、毎日のように覗いて、覗くだけじゃなくてコメントまで書いてしまってる某巨大SNSサイト。

そこに石垣りんさんのコミュニティがあるのを見つけて、またまたつい参加してしまった。

その中の「エッセイ集」というトピックに書き込んでしまったのが以下。(なんて「しまった」の多い文章!)

====転載=====

2004年の12月に亡くなった石垣りんさんは大田区在住でした。生きている間に、一度話を聞いてみたかったなぁと、つくづく思います。直接あうことはなかったけれども、近所で20年近くも同じ時代を生きていたという、ただそれだけのことが誇らしく思えるような素敵な人です。

以下、たぶん2003年の読書ノートから転載

===
ユーモアの鎖国
石垣りん ちくま文庫 文庫初版1987年  初出1973年
2003年2月川崎の紀伊国屋で購入
ゆっくり、ゆっくり読んでいる。
===
 お金とはこわいものです。お金が与えてくれる自由が、どんなに自由というものの部分にすぎないか思い知るのは、私にとって容易なことではありませんでした。
 (中略)
 ・・・政治には、この部分的自由を極端に一ヶ所に蓄積してしまい、少数の人がその鍵を握ることで人の心を貧しく、飢えさせ、ただもう自由には金の力を借りるしかないように世間をかりたてることで繁栄する方法もあるのだと知りました。 72p

<経済ではなく、政治がそうしているという指摘が鋭いと思う。>

==転載ここまで==

新自由主義とかいう怪物がいまだにのさばる世界で、少数への富の集中はますますひどくなっている。そして、貧しいものとの格差は広がり、貧しいものさえも「自己責任」とかいう幻想を信じ込まされる。それは政治がそうしているに過ぎないのに。

石垣りんさんはこのエッセイ集に掲載されている「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」を紹介するエッセイの中でこんな風にも書く。
===
今迄の不当な差別は是非撤回してもらわなければならないけれど、男たちの得たものは、ほんとうに、すべてうらやむに足りるものなのか。女のして来たことは、そんなにつまらないことだったのか。という疑いを持ち続けていたので、・・・
===

経済的な豊かさとか地位とか名誉とか、多くの男たちの得てきたもの、求めたものに「うらやむに足る」ものなんてそんなに多くはないように思う(確かにもう少しお金があればいいなぁと思うことは少なくないけどね)。

そして、日々台所に立ったり、洗濯をしたりとかの、いのちを育む仕事から遠ざけられてきた結果、失っているものは多いと感じることも少なくない。

どうしようもなく男として育ってきてしまったぼくは石垣りんさんの言葉からそんなメッセージを受け取る。そう、ぼくは「鍋やお釜」をもっともっとたぐりよせながら政治や経済や文学や世界の不平等を語ろうと思う。

====m*x*からの転載ここまで====


これを読んでいて思い出したのが、上野千鶴子さんの「もしフェミニズムが、女も男なみに強者になれる、という思想のことだとしたら、そんなものに興味はない。」
(『生き延びるための思想』「はじめに」から 
 https://tu-ta.seesaa.net/article/200709article_7.html
でもう少し長く引用)

という話。



で、この石垣りんさんの詩とエッセイの本の読書メモは
https://tu-ta.seesaa.net/article/200608article_9.html

ここに引用したこの詩を、今度は全文引用しておこう。
===

私の前にある鍋とお釜と燃える火と

それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、

自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぶつぶつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。

その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう。
あるときそれは赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚であったり

台所では
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえには幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。

ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せただろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。

炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう。

それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象であって励むように。

===

劫初(ごうしょ)が読めなくて苦労。
前に、引用したときは飛ばしてる。
【劫初】〔仏〕 この世の初め。
とのこと。

ひとつ間違えたら、性別役割分業の強化にも使われかねないこの詩。これを引用するときは、この詩に関するエッセイの「今迄の不当な差別は是非撤回してもらわなければならないけれど」という部分を忘れないようにしよう。彼女がここで書きたかったのはたぶん、生きていることの基本的な部分を支えることの大切さと人が生きることの全体性。男が得てきたもの・求めてきたものは、その全体の中の、ほんの一部でしかなかったということ。そこを読み間違われると危ない。

この記事へのコメント

2008年12月29日 01:54
はじめまして。
メタボでべそと申します。
わたしも、石垣りんさん、すきです。
まだまだ、これから、ですが。
ありがとう、ございましたっ☆

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