松本哉くんとジェンダーなどについて
知り合いからメールをもらった。
許可をもらったので以下に転載
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なんとなくメールをしました(←つまんないことで、すみません)。
mlに書いてくださった「リニューアルオルタ」の記事のことで、「素人の乱」の松本或さんの本「素人の逆襲」に触れていたので、ちょっと感想をお話したいと思ってメールを差し上げました。
「素人の乱」はうちの近くで、数年前から松本さんたちが、阿佐ヶ谷、高円寺で「貧乏人大集合」などのチラシをまいていたので、私は、その存在を知っていました。なかなかアイディアがユニークで、とても面白いと思っていました。
そして、「素人の乱」のオープン。なかなか時代を読む才覚のある人だな、と思っていました。「計画しない」というけれど、それは、世間でいう月並みな「計画」ではないけれど、彼なりの「計画」はあるのだと思います。
さて、そこで、「素人の逆襲」を読みましたが、あらためて「面白い」と思いましたが、でも、ちょっと待てよ!と思いました。この本の中にある女性に対する差別感です。「ばばあ」という言葉が、社会の嫌われ者としてネガティブな存在者に対する表現として、何度も出てくるのです。「あんたもばばあだから、そういうんでしょう」と言われてしまいそうですが、でもやっぱりこの単語には違和感があります。やはり使ってはいけない、そのような目で見てはいけない、と思います。
「ばばあ」と呼ばれる人たちだって、ロスジェネの人たち同様に、派遣の仕事すら見つからなくて、困窮している人たち、貧乏している人が多いのです。このような女性たちをどうして見捨ててしまうのか・・・やはり「ばばあ」という言葉は、やめてもらいたかったですね。
以上、つまらない感想でした。
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それへのぼくからのレスポンス
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感想、ありがとうございました。
返信いらないってあったのですが、返信したくなってさせてもらいます。
つまんないことじゃなくて、やっぱりちゃんと考えなくちゃいけないことですよね。
そう、**さんの指摘、ぼくはちゃんとコメントすべきことだったと
いま、思い直しています。
確かに、読んだとき、少し気になったと思うのです。でも、オトコはつい、そういう部分を見落としちゃうんですね。
だから、こういう指摘はとても大切だと思いました。
もし、よかったら出所をわからないようにして、(ある知り合いからとかいうようにして)ブログに掲載したいと思うんですが、どうですか。
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そう、松本哉くんのできるだけタブーを壊していくようなところは面白いところではある。確かにむかつく「ばばぁ」はいるだろう。そういう表現を規制していった先にはつまらないものしか残らないこともある。個別、むかつく「ばばぁ」とか愛らしい「ばばぁ」について、その感情が伝わるように書くのはありだと思う。むかつく「じじぃ」や愛らしい「じじぃ」への表現と同様に。ただ、ぼくにこのメールをくれた人はそういう風にではなく「ばばぁ」一般への松本くんのまなざしに違和感を感じたみたいだ。ぼくはもうあの本は貸してしまったので参照はできないんだけど。
それで、思い出した。前に気になったのは「駅前の放置自転車いいじゃないか」というように読める主張。これを何かで知ったときも、ちゃんと伝えた方がいいと思ったんだけど、そのままにしてたなぁ。(最近は見なくなったので、誰かが指摘してくれたかも。)ちなみにぼくは点字ブロックや車椅子の動線をふさぐ放置自転車はなにされてもいいと思う。
松本くん、確かに貧乏なんだろうけれども、強者の部分もいっぱいあるわけだ。日本に住んでるし。地球的な北と南の問題にはそれなりにセンシティブかもしれないという印象も同時に持つが。
とりあえず、そんな風に感じたこともあるというのを松本くんには伝えておこうと思う。
そういえば、ぼくの「くん」っていう呼び方もエージズムとジェンダラスな匂いがぷんぷんしてるかなぁ。
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「素人の乱」はうちの近くで、数年前から松本さんたちが、阿佐ヶ谷、高円寺で「貧乏人大集合」などのチラシをまいていたので、私は、その存在を知っていました。なかなかアイディアがユニークで、とても面白いと思っていました。
そして、「素人の乱」のオープン。なかなか時代を読む才覚のある人だな、と思っていました。「計画しない」というけれど、それは、世間でいう月並みな「計画」ではないけれど、彼なりの「計画」はあるのだと思います。
さて、そこで、「素人の逆襲」を読みましたが、あらためて「面白い」と思いましたが、でも、ちょっと待てよ!と思いました。この本の中にある女性に対する差別感です。「ばばあ」という言葉が、社会の嫌われ者としてネガティブな存在者に対する表現として、何度も出てくるのです。「あんたもばばあだから、そういうんでしょう」と言われてしまいそうですが、でもやっぱりこの単語には違和感があります。やはり使ってはいけない、そのような目で見てはいけない、と思います。
「ばばあ」と呼ばれる人たちだって、ロスジェネの人たち同様に、派遣の仕事すら見つからなくて、困窮している人たち、貧乏している人が多いのです。このような女性たちをどうして見捨ててしまうのか・・・やはり「ばばあ」という言葉は、やめてもらいたかったですね。
以上、つまらない感想でした。
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それへのぼくからのレスポンス
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感想、ありがとうございました。
返信いらないってあったのですが、返信したくなってさせてもらいます。
つまんないことじゃなくて、やっぱりちゃんと考えなくちゃいけないことですよね。
そう、**さんの指摘、ぼくはちゃんとコメントすべきことだったと
いま、思い直しています。
確かに、読んだとき、少し気になったと思うのです。でも、オトコはつい、そういう部分を見落としちゃうんですね。
だから、こういう指摘はとても大切だと思いました。
もし、よかったら出所をわからないようにして、(ある知り合いからとかいうようにして)ブログに掲載したいと思うんですが、どうですか。
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そう、松本哉くんのできるだけタブーを壊していくようなところは面白いところではある。確かにむかつく「ばばぁ」はいるだろう。そういう表現を規制していった先にはつまらないものしか残らないこともある。個別、むかつく「ばばぁ」とか愛らしい「ばばぁ」について、その感情が伝わるように書くのはありだと思う。むかつく「じじぃ」や愛らしい「じじぃ」への表現と同様に。ただ、ぼくにこのメールをくれた人はそういう風にではなく「ばばぁ」一般への松本くんのまなざしに違和感を感じたみたいだ。ぼくはもうあの本は貸してしまったので参照はできないんだけど。
それで、思い出した。前に気になったのは「駅前の放置自転車いいじゃないか」というように読める主張。これを何かで知ったときも、ちゃんと伝えた方がいいと思ったんだけど、そのままにしてたなぁ。(最近は見なくなったので、誰かが指摘してくれたかも。)ちなみにぼくは点字ブロックや車椅子の動線をふさぐ放置自転車はなにされてもいいと思う。
松本くん、確かに貧乏なんだろうけれども、強者の部分もいっぱいあるわけだ。日本に住んでるし。地球的な北と南の問題にはそれなりにセンシティブかもしれないという印象も同時に持つが。
とりあえず、そんな風に感じたこともあるというのを松本くんには伝えておこうと思う。
そういえば、ぼくの「くん」っていう呼び方もエージズムとジェンダラスな匂いがぷんぷんしてるかなぁ。
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この記事へのコメント
まつもとさんの「タブーを壊していく」のは おもしろいことだと おもいますけれども、それをするなら、「おもしろく まきこみ、まきこまれていく」感じに やっていくと おもしろいのではないでしょうか。じっさい、いま素人の乱の周囲には、いろんなマイノリティが よせあつまっているように みえます。本とかDVDを みるかぎりですけども。素人の乱の ゆるいネットワークによって、そこに あつまっているひとたちの「タブーが壊されていく」というかんじが つたわってきます。それが、おもしろいなーと おもいます。
自分が「貧乏人であること」を うけいれることが できたなら、そのひとは貧乏人の逆襲に参加することが できるわけです。そうやって、たくさんのひとをまきこんでいく戦略というものを、よく かんがえていますね。まつもとさんは。
最近は、素人の乱のことばかり かんがえています。以上、おひさしぶりのコメントでした。
福祉業界で働いているものですが、さいきん差別意識というのは、あって当然で、だからそれを恥じることはないのだ、と思うようになりました。
それに居直ってもしょうがないのですが、それがいけないものだと考えてそれを抑圧するのは百害あって一利なし、なのだと。
松本さんは、そこのとこの自覚がちょっと薄いのかなとか、tu-taさん(でいいのでしょうか)は、そこをそれなりに意識してるのかな、などなど、と...
松本さんはしばらく前にお話を聞く機会があり、おっ、いいやつだな、と思うと同時にやや違和感を感じてた部分もあり、なんとなく今日、その辺を考えてすっきりした気がしております!
コメントありがとうございます。
まず、あべさん。
「くん」で呼んでしまうのは、ぼくに刷り込まれた権力的なエージズムなんだということに遅まきながら、だんだん気が付きつつあります。でも、その感覚がなかなか抜けません。
指摘してくれてありがとうね。
で、「素人の乱+松本哉」ほんとに興味深い存在です。少なくとも、この数年の社会運動を語る上で欠かせない存在になっていますね。
suganokeiさん
はじめまして。
tu-taでいいです。
ぼくは自分の差別意識を恥じることは必要なことがあるかもしれないと思います。ただ、隠しちゃダメですね。それを持っている自分とどう向きあえるのかが問われてるんじゃないかと思うのです。