エンパワメント(その2)

久しぶりに読み返した「エンパワメントと人権」(森田ゆり著 解放出版社1998年)


読み終わってみたら、付箋がみっしり付いていた。すごく興味深いので、タイプ。

ほんとにいい本だと思う。これはいろんな人に必読文献だ。でも、読んだ当時、気がつかなかった違和感もいくつか、これについてはもう少し先に紹介しよう。


今日は24pまでに付いた付箋の部分。


===


エンパワメントとはわたしたち一人ひとりが誰でも潜在的にもっているパワーや個性をふたたび生き生きと息吹かせることである。すべての人が持つそれぞれの内的リソースにアクセスすることである。そのためには社会から受けた不要なメッセージや痛手を一つひとつ取り除いていかなければならない。「どうせわたしにはできない」「ダメな自分」といった自分否定の思い込みを変えていかなければならない。

 「もっと自立しなきゃだめよ」とか「いまのあなたは十分でないからがんばりなさい」といって元気づけるのではなく、あるがままを受容し、内在する資源に働きかけることがエンパワメントである。何者かにならなければと懸命に励んで知識や技術という服を幾重にも着込んでいくのではなく、逆に着膨れしている服を一枚一枚脱いでいき、自分の生命力の源に触れることだ。裸足で地面をしっかり踏みしめ、大地の生命力を吸い上げることなのだ。


em-power-mentという英語、emは「内」という意味を持つ接頭語。・・・。すなわち「内」と「力」がこの言葉を理解する鍵である。


インターネットの検索であがってくる項目の大半は、もともとの意味とあまりにかけ離れた意味あいで使われている。


===


あと、ここまでのところで「へぇ~」と思ったのは、人権啓発センターで働き始めた森田さんが90年に、カリフォルニア大学の上司から「この言葉が入っていると急進的社会変革のニュアンスが強すぎるからね…」と言われたという話。「そうか、急進的社会変革のニュアンスを持った言葉だったのか」と、急進的社会変革をめざしたいぼくには感慨深い。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック