エンパワメントと人権(読書メモ7)

読書メモががやっと最後の5章まで来た。

ここのテーマは「癒し:内なる自然と外なる自然」。


ここでやっと、久しぶりに読み返したこの本のメモを閉じることになる。こんなにひっぱるなんて、想像もしていなかったが。


この終章も他の章と同様にわかりやすい言葉で書かれている。言葉はわかりやすいが、そのメッセージを受け取るのはそんなに容易ではない。たぶん、それは言葉では表せないスピリットのことを語っているからなのかもしれない。以下に、いつものようにいいかげんな抜書きとメモ。



英語でheal(癒し)の語源はwhole(全体の)とつながっているという。

そして、病める現代というときの病とは、「全体性を失ってしまった自我、からだと心、意識と無意識、理性と本能、自然と人間、が分裂してしまっている病なのだと思う」と書かれている。


個々の人間もまた、自然から疎外され、自分の中の無意識という自然からも疎外されて二つ三つ四つに引き裂かれているので、その統合を求めている。そして、癒しとは分裂した全体性を取り戻すことだと。



また、森田さんは92年の自著『沈黙をやぶって』(築地書館)を引用している。その一部だけを以下に

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・・・心を癒すということは、だれもの内にあるこの混沌とした豊かな『自然』に命を吹き込んでいくことにほかならない。何者かになろうと懸命に励んで、知識や技術という服を幾重にも着こんでいくのではなく、逆に着膨れしている服を一枚一枚脱いでいき、自分の生命力の源に触れることだ

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これを読んで、そんなの容易ではないと思う。たぶん、そう感じるのはぼくだけではない。森田さんは

それに続けて、こんな風に書く。


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 自分の中の膨大な自然(無意識)を受容し、ケアし、そこに息づく生命力と呼吸をあわせることだ。自分の生命力が十分に感じられなかったら、裸足で地面をしっかり踏みしめ、大地の命を吸い上げることだ。人間の生を育んでくれる自然が傷つき病めば、人間の心とからだも傷つき病む。人はその存在そのものがひとつの全体であるのと同時に地球の生態系に連なる全体の一部なのである。

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これも難しい。裸足で地面を踏みしめても大地の命を吸い上げるどころか、感じることさえままならない。



この本の最後はこんなことばで締めくくられている。

「大地の声に耳をすますこころは、インディアンの人びとからわたしが受け取ったかけがえのない贈り物、力の源にほかならない。」


学んだ知識や技術という着膨れた服を脱ぎ、大地のいのちを裸足の足から感じ、その声に耳をすませという、この森田さんのメッセージを、どう受け取ることができるのかぼくは戸惑う。

とりあえず、自然の中で裸足でたち、大地のいのちを感じることができるかどうか試してみよう。耳をすませても、大地の声が聞こえるかどうかはわからない。でも、聞こうとしてみよう。いつか、その声が聞こえる日がくるかもしれない。

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