読書メモ <「いのちの授業」をもう一度> +そこから蕨の排外主義デモの話へ
去年11月に亡くなった山田泉さんの著書
ラジオで何回か彼女の声は聞いていて、そのときのすごく気持ちいい感じを覚えている。
この間知ったのだが、ぼくと生まれた日が1週間程度しか違わない同世代。
知り合いが金沢での上映の話をmixiに書いていて、
彼女の映画があったことを最近知った。
『ご縁玉』
http://www.pan-dora.co.jp/goendama/
それから、彼女のブログ(それがあることも知らなかったんだけど)を見た。
http://yamachan.biz/
そこに、
『生きようよ』(2007年5月)
作詞 山田泉
作曲 李政美(い ぢょんみ/Lee Jeongmi)
唄 李政美
っていう歌もあった。(ブログから聞けます)
で、区の図書館サイトで見たら、この本があったので借りて読んだ。
けっこう泣いた。
10日前くらい読んだと思うのだが、これを書こうとして読み返してまた泣いた。
泣けるところはとりあえず、置いておいて。
ハンセン病の授業の記録があって、ハンセン病国賠をやってきた徳田靖之弁護士の授業があって、その中のこんな質疑が紹介されている。
===
「なぜ私たちは、こんなひどい差別をするんですか?」
と尋ねる恵ちゃんに対して、徳田先生はこう答えた。
「これは正直、質問に答えるだけの力が私にはありません。ハンセン病の場合には、二つのことを考えないといけないと思っています。国が法律をつくり隔離政策というものを推し進めていくなかで作られていった問題と、国が差別をつくっていくという以前から、私たち一人ひとりの中に存在していた差別の問題。この二つを分けて考える必要があると思っています。
作られた差別、それに対してだけは徹底的に理解して、それと闘う必要がある。一方、作られた差別を越えたところにある差別、私達の心に潜む問題については、一つひとつに、なぜそうなんだろか? ということを考えていくしかないと思います」 206~7p
===
あたりまえと言えばあたりまえの話で、「考えていくしかない」というのは確かに答えとして、もう少し何かという感じがしないわけではないが、やはり「考えるしかない」のだと思う。また、差別を生み出すような制度を徹底して理解して、それと闘うプロセスが大切なんだと思う。そのプロセスの中で、自分の心に潜む差別する心の理解も深まり、「考えていくしかない」というときの中身が深まっていくんじゃないかな。逆に言えば、そういうプロセスを欠いた形でたくさん考えると袋小路に入っていってしまいそうだし、闘うことだけに熱中して自分の心の中にあるものを忘れたりしてもまた、大切なものを見失ってしまいそうな気がする。
「なぜ私たちは、こんなひどい差別をするんですか?」という問いで、思い出したのはカルデロンさん一家の問題で行われた蕨でのデモ。
デモがその脇で行われ、排外主義のプロパガンダが流されていたその中学校に当事者の女の子がいたのだという話をネットで読んだ。
「Arisanのノート」でもこの話に触れている。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090416/p2
こんな風に書いている。
====
今回の「デモ」に限らず、この少女はネット上でも攻撃の対象にされてきたようだ。
ぼくから見ると、排外主義的な考えを持つ人たちが、この人を攻撃の対象としたということは、心理としてはよく理解できる。
それは、自分自身を考えても、もし自分の中で排外主義的な考えや情緒が優位を占めたなら(その危険性は常にある)、間違いなく、この女性のような人を攻撃の対象にしただろうと思う、ということである。
それはなぜかというと、ぼくも何度もテレビや新聞、ネットを通して、この女性の映像や言葉に触れたが、そこには受け手であるこちらの心理を問い詰めてくるような、特別な強さや鋭さが感じられたのである。
つまり、この人の存在は、(受け手自身を不安にさせるという意味で)あまりにも眩しい。とりわけ排外主義的な考えに浸りたい人たちには、そのように思わせるところが、この人の存在にはあると思うのである。
====
ぼくの感性はかなり磨耗しているので、あの少女に「受け手であるこちらの心理を問い詰めてくるような、特別な強さや鋭さ」を感じることはなかったっていうか、ニューでの数秒のコメントしか聞いていない。だけど、単純に感じるのは、どうして、日本で生まれ育った彼女が親とともに生きることとを日本社会は認めないのか、彼女を排除する日本社会っていったい何なのかと、彼女の存在そのものが単純にそんなことを想像させることはあるかもしれないということだ。
それにしても、どういう「情熱」があのデモに参加者を導いたのかと思う。
あのデモへの参加者自身の置かれている境遇や生きにくさが、彼女たち一家を排除するデモに参加させることにつながったのだろうか。
ジャン・バニエが紹介している「アウシュビッツで29歳で亡くなったエティ・ヒルサムという若い女性の日記」のことを思い出す。
( https://tu-ta.seesaa.net/article/200904article_8.html )
彼女はゲシュタポの若い隊員からどなられたときに日記にこう書いた「わたしは怒りを感じるよりも、むしろ真の哀れみを覚え、こう尋ねたかった。よほど不幸な子ども時代を過ごしたの? ガールフレンドにふられたの?」
そんなことを思っていたら、萩上チキさんがブログで「中の人には、一度じっくりインタビューしてみたいんだけど、ムリだろうか」と書いていた。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20090412
(でも、ポスト社会運動っていうのが何なのか、もうひとつよくわからない。)
さっきのArisanのノートの記事の話に戻ろう。
彼はその結語で
====
だが、こうした露骨な行動によっても、あるいは抑圧やごまかしによっても、眩しいと感じられる存在のもたらす不安や居心地悪さが、本当に消えるということはないであろう。
そこでなしうる行動としては、こうした存在を前にしたときに自分のなかに不安や不快さが生じるというその事実を否認せずに、その不安や不快さと共に、少しでも光の方に向かっていこうとするということ、そういうこと以外にないのではないかと思う。
自分自身が、その光の方へと、少しでも変化していくしか、本当に楽になる道はない。
これは、排外主義的な人たちにそう言いたいだけでなく、自分自身に言い聞かせる意味でも、こう書くのである。
====
と書いている。
デモに参加した100人の彼らがあの少女のことを眩しいと感じたかどうかはわからない。そもそもその少女の一家が生活する居住地域でデモをすることの意味をどんな風に感じていたのかさえわからないのだが、100人の参加者をそういう行動に駆り立てた、その行為を、日本でも貧困が可視化されるようになったことと重なるように移住労働者への排外主義もまた可視化されるようになってきたと見ていいのかどうか。
現状の変革をあきらめているか、その必要性も感じていないのか、あるいは意思表示は選挙だけで充分と考えている圧倒的多数をまんなかに置いて、どんな形であれ移住してきた人たちを排除しない社会を望む運動があり、その排除を求める運動がある。とりわけ多くの若い人たちが「生きにくい」と感じているこの現状、それは多少流動化しつつあると言えるかも知れないが、状況は確かにかなり大きな過渡期であり、社会はどんな形にであれ、変らざるを得ないところに来ているように思える。蕨でのデモもまた、その社会に影響を与えようとするひとつの意思の表れだといえるだろう。それをとてもグロテスクな見えやすい形で表現したものといえるかも。
ぼくが「こうあって欲しい」と思える社会に近づけるために、ぼくにできることは何で、ぼくがしたいことは何なのか、
最初に紹介した「いのちの授業」の本から蕨のデモを考えていく中で、あたまのなかをまとまらない思いが飛び交っている。
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『生きようよ』(2007年5月)
作詞 山田泉
作曲 李政美(い ぢょんみ/Lee Jeongmi)
唄 李政美
っていう歌もあった。(ブログから聞けます)
で、区の図書館サイトで見たら、この本があったので借りて読んだ。
けっこう泣いた。
10日前くらい読んだと思うのだが、これを書こうとして読み返してまた泣いた。
泣けるところはとりあえず、置いておいて。
ハンセン病の授業の記録があって、ハンセン病国賠をやってきた徳田靖之弁護士の授業があって、その中のこんな質疑が紹介されている。
===
「なぜ私たちは、こんなひどい差別をするんですか?」
と尋ねる恵ちゃんに対して、徳田先生はこう答えた。
「これは正直、質問に答えるだけの力が私にはありません。ハンセン病の場合には、二つのことを考えないといけないと思っています。国が法律をつくり隔離政策というものを推し進めていくなかで作られていった問題と、国が差別をつくっていくという以前から、私たち一人ひとりの中に存在していた差別の問題。この二つを分けて考える必要があると思っています。
作られた差別、それに対してだけは徹底的に理解して、それと闘う必要がある。一方、作られた差別を越えたところにある差別、私達の心に潜む問題については、一つひとつに、なぜそうなんだろか? ということを考えていくしかないと思います」 206~7p
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あたりまえと言えばあたりまえの話で、「考えていくしかない」というのは確かに答えとして、もう少し何かという感じがしないわけではないが、やはり「考えるしかない」のだと思う。また、差別を生み出すような制度を徹底して理解して、それと闘うプロセスが大切なんだと思う。そのプロセスの中で、自分の心に潜む差別する心の理解も深まり、「考えていくしかない」というときの中身が深まっていくんじゃないかな。逆に言えば、そういうプロセスを欠いた形でたくさん考えると袋小路に入っていってしまいそうだし、闘うことだけに熱中して自分の心の中にあるものを忘れたりしてもまた、大切なものを見失ってしまいそうな気がする。
「なぜ私たちは、こんなひどい差別をするんですか?」という問いで、思い出したのはカルデロンさん一家の問題で行われた蕨でのデモ。
デモがその脇で行われ、排外主義のプロパガンダが流されていたその中学校に当事者の女の子がいたのだという話をネットで読んだ。
「Arisanのノート」でもこの話に触れている。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090416/p2
こんな風に書いている。
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今回の「デモ」に限らず、この少女はネット上でも攻撃の対象にされてきたようだ。
ぼくから見ると、排外主義的な考えを持つ人たちが、この人を攻撃の対象としたということは、心理としてはよく理解できる。
それは、自分自身を考えても、もし自分の中で排外主義的な考えや情緒が優位を占めたなら(その危険性は常にある)、間違いなく、この女性のような人を攻撃の対象にしただろうと思う、ということである。
それはなぜかというと、ぼくも何度もテレビや新聞、ネットを通して、この女性の映像や言葉に触れたが、そこには受け手であるこちらの心理を問い詰めてくるような、特別な強さや鋭さが感じられたのである。
つまり、この人の存在は、(受け手自身を不安にさせるという意味で)あまりにも眩しい。とりわけ排外主義的な考えに浸りたい人たちには、そのように思わせるところが、この人の存在にはあると思うのである。
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ぼくの感性はかなり磨耗しているので、あの少女に「受け手であるこちらの心理を問い詰めてくるような、特別な強さや鋭さ」を感じることはなかったっていうか、ニューでの数秒のコメントしか聞いていない。だけど、単純に感じるのは、どうして、日本で生まれ育った彼女が親とともに生きることとを日本社会は認めないのか、彼女を排除する日本社会っていったい何なのかと、彼女の存在そのものが単純にそんなことを想像させることはあるかもしれないということだ。
それにしても、どういう「情熱」があのデモに参加者を導いたのかと思う。
あのデモへの参加者自身の置かれている境遇や生きにくさが、彼女たち一家を排除するデモに参加させることにつながったのだろうか。
ジャン・バニエが紹介している「アウシュビッツで29歳で亡くなったエティ・ヒルサムという若い女性の日記」のことを思い出す。
( https://tu-ta.seesaa.net/article/200904article_8.html )
彼女はゲシュタポの若い隊員からどなられたときに日記にこう書いた「わたしは怒りを感じるよりも、むしろ真の哀れみを覚え、こう尋ねたかった。よほど不幸な子ども時代を過ごしたの? ガールフレンドにふられたの?」
そんなことを思っていたら、萩上チキさんがブログで「中の人には、一度じっくりインタビューしてみたいんだけど、ムリだろうか」と書いていた。
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(でも、ポスト社会運動っていうのが何なのか、もうひとつよくわからない。)
さっきのArisanのノートの記事の話に戻ろう。
彼はその結語で
====
だが、こうした露骨な行動によっても、あるいは抑圧やごまかしによっても、眩しいと感じられる存在のもたらす不安や居心地悪さが、本当に消えるということはないであろう。
そこでなしうる行動としては、こうした存在を前にしたときに自分のなかに不安や不快さが生じるというその事実を否認せずに、その不安や不快さと共に、少しでも光の方に向かっていこうとするということ、そういうこと以外にないのではないかと思う。
自分自身が、その光の方へと、少しでも変化していくしか、本当に楽になる道はない。
これは、排外主義的な人たちにそう言いたいだけでなく、自分自身に言い聞かせる意味でも、こう書くのである。
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デモに参加した100人の彼らがあの少女のことを眩しいと感じたかどうかはわからない。そもそもその少女の一家が生活する居住地域でデモをすることの意味をどんな風に感じていたのかさえわからないのだが、100人の参加者をそういう行動に駆り立てた、その行為を、日本でも貧困が可視化されるようになったことと重なるように移住労働者への排外主義もまた可視化されるようになってきたと見ていいのかどうか。
現状の変革をあきらめているか、その必要性も感じていないのか、あるいは意思表示は選挙だけで充分と考えている圧倒的多数をまんなかに置いて、どんな形であれ移住してきた人たちを排除しない社会を望む運動があり、その排除を求める運動がある。とりわけ多くの若い人たちが「生きにくい」と感じているこの現状、それは多少流動化しつつあると言えるかも知れないが、状況は確かにかなり大きな過渡期であり、社会はどんな形にであれ、変らざるを得ないところに来ているように思える。蕨でのデモもまた、その社会に影響を与えようとするひとつの意思の表れだといえるだろう。それをとてもグロテスクな見えやすい形で表現したものといえるかも。
ぼくが「こうあって欲しい」と思える社会に近づけるために、ぼくにできることは何で、ぼくがしたいことは何なのか、
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この記事へのコメント
ご縁を大切にしてくれて、ありがとう!
うれしいです。
この文章、転送してもいいですか?
私も「こうあってほしい」と思える社会のために
迷いながら、考えながら、
上手ではないやり方だけど、
いまはとにかく
続けようと思っています。
このあいだ、ちょっとだけ会えて、milkyさんの気持ちいい笑顔が見れて、よかったです。(笑)
もちろん、転載はOK
「袋小路に入っていってしまい操舵し」っていう部分を見ればわかるように、読み返すこともなくアップロードしてる文章です(^L^;)
(ここはこれから修正しますね)
milkyさんがいろんなことにすごくがんばってるのが、伝わってくるんですが、走りすぎると疲れるから、適当に休んでください。
そんなやさしいこといわれるとまいる~。
可愛い息子たちに癒されて、怠けていますので、大丈夫よ、きっと。
いつかゆっく~~り時間を気にしないで
おはなししたいですね。