ヘンでいい。  読書メモ その1

ヘンでいい。 「心の病」の患者学
斎藤学(精神科医)x栗原誠子(元患者) 2009 大月書店

IFFの斎藤さんのセッション出でた身近な人が買ってきた本。
面白い。

本の帯には
治さない精神科医 vs 主張する患者
の本音対談とあり、
以下のような会話が拾ってある。
「栗原さんって、ホントおもしろいよね! 絶対治しちゃだめだよ」(斎藤)
「”そのままでいい”とか言われたくらいでそう思えるなら、病気なんかしないって」(栗原)

関係のなかに「私」が存在し、その関係性を変えていくことが回復だと斎藤さんはいう。
栗原さんはそれを受けて、こんなことを言っている。
「その関係性が見えなくなっているなぁと私は思っていて、(略)『何が不自由で、どちらが自由か――ちがうことこそばんざい』(牧口一二著)という本を読んでいたんだけど、障害者運動をやっている人たちを見ていると、助けてもらうことの豊かさをよく知っているなぁと。私がさいとうクリニックで学んだのもつながりの感覚・・・(以下略)」 25p

昔は障害者運動もいろいろあって、安易なつながりを拒否するような運動も少なくなかったし、「助けてもらう」というような感覚さえ拒否するような運動もあったのだが、もしかしたら最近は変ってるかも知れないと思う。


AAという自助グループについての斎藤さんの指摘、ぼくは感じていないものだった。
===
栗原 自分は無力だから、もう全部神様におゆだねします、みたいな発想ですよね。
斎藤 あれは自分の力じゃどうにもならんことだから、もうあきらめようということ。それをベイトソンはパラダイムの転換と言った。アメリカみたいなパワー教の国からAAという無力教が生まれたというのは、合わせ鏡みたいなもので。アメリカはパワー教で突っ走ってイラク戦争まで行っちゃったけど、それの影みたいなものがAAだと思うんですよ。  (長い中略)
 あそこでやってることは結局、すごく東洋的なんだよ。「自分を超えた大きな力(ハイヤーパワー)」を認識しろというのは「自分の意志の力」の限界を知れということで、つまり「あるがままの自分でいい」という意味。「あるがままの自分」というのは森田療法と同じだし、つきつめて言えば症状を含めた自分というものを受け入れよう、ということになる。つまり、いままで酒を飲んでいた自分を肯定しているわけね。その一方で、「でも、もうこんなことやってられないと思った」というのがAAの12ステップの第1ステップになる。
 4,5のステップを自分の罪の懺悔みたいにしゃべっている人は治らないですよ。(略)、そういう自分というのも自分の一部として受け入れて、それを人に語る。それが4,5のステップだと思うんだよね。 71~2p
===

ぼくはたぶんアルコール依存症ではなく、いまも酒は飲んでるけれども、別で12ステップに関わったことがあって、これについては、神様にゆだねちゃうのはいやだな、みたいな抵抗感をずっと感じていた。ハイヤーパワーを認識しろというのが「あるがままの自分でいい」という意味だなんて、考えたことはなかった。これは斎藤さん一流の解釈だとは思うんだけど、だったらいいかなぁとは思うものの、いろんなことに苦しんで、もう、いまの自分を変えようという人が12ステップに参加するわけで、そこで「あるがままの自分でいい」と言われても困る、と感じながら読み進めると、この後で、斎藤さんは、どうにもならない自分の現状を自分ではどうにもならないものとして受け入れるということを言っているようだ。その上で仲間や先をいく人との関係性の中で自分の現状が変っていくプロセスを維持していく、つまり、一人じゃ変えられないから、仲間との関係性を大切にし、AAならAAというサークルの関係性の中に自分を委ねていくというようなことなのだろうか。一人じゃできないから、みんなでなんとかしていこうと努力するっていう風に自覚することが大切なのか、とも思う。


一筋縄ではいかない斎藤さんの本領はいろんなところに発揮されている。
例えば、共感とセラピーをめぐるこんなやりとり。
===
栗原 ・・・共感なんてはたして、本当にできるだろうかと、それを疑問に感じるんですよね。私は一時期セラピーの勉強もしたことがあるんだけど、みんなが二言目には共感、共感とそればかりいうことに、すごく抵抗があった。
斎藤 おもしろがることだって共感だと思うけどね。
栗原 なるほど……。
斎藤 だけど、そういうものを否定するところから始まっているわけよ。
栗原 そういうものって?
斎藤 「ふむふむ」っていう治療法を否定しているわけだよ、私は。患者に共感して聞き入るみたいなものを。だから、コンダクターとしての役割のほうが大事だと言ったりするんだよね。
 患者の行動に変化を与えるような工夫をしないでセラピストなんて言うなっていうのが私の考えで、だからあなたの言ってることはほぼ正しいと思うよ。患者が悩みにしていることを――おもしろがるって言うよりもおかしがるって言ったほうがいいと思うんだけど――別の見方があることはいいことだよ。へんだよねーっていう。へんなほうが好きだからね。  90~91p
===
ここでも「共感」のダブルミーニングが語られているように思う。

栗原さんが、治療者はパワーとコントロールの罠から逃れるために、守るとか保護するとか救うとかいうのは一歩間違えたら暴力になるというフェミニストセラピーで言われていることを例に出し、「救おうと思わないんだったらどういうスタンスで治療してるのだろう」と尋ねると、斎藤は「だから、おもしろがるしかないんじゃない」と答える。ただ、効果がないとつまんないともいう。見方の変化という効果を生み、こだわっていることから解放するということが救うことなら、それは救っていることになるかもしれない、と答えている。そして、セラピストは自分で走っちゃだめだという。 94~5p



ここまではそれなりに面白いところなんだけど、ぼくがメモしかかったのはここから先だということに気づく。
疲れたからここで休憩。

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ここから買ってほしいということじゃないです。
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