『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る――アフガンとの約束』メモ

澤地久枝さんによる中村哲さんのインタビュー。
すごくベタなタイトルだが・・・。

職場に澤地久枝さんと満州の女学校で同級だったという80前の女性がいる。いまでも、毎日、午前中働いている。敗戦の混乱の中で聴力を失い、聞こえないままだ。戦争はぜったいいやだといい、8月15日には千鳥ヶ淵に行き、地元で3人だけの9条の会の活動をしている。ときに9条の会の聞こえない街頭演説会にも参加する。熱心なカトリック信者で、毎早朝、仕事の前に少し遠くにあるカトリック教会まで歩いて行きミサに参加している。

ぼくはそんな彼女から、毎日なにやかやと怒られながら仕事をしている(笑)。

その彼女から借りた本。


澤地さんが中村さんの役に立ちたいと考え、「思案の末にゆきついたのが、中村先生の本を作り、その本がよく売れるようにつとめ(これが問題だが)、得られる印税によって先生を若干なりと助けること」だったと書く。

何冊か著書はあるが、自分のことをほとんど語ろうとしなかった中村さんのことを澤地さんがインタビューする。

ぼくにとって興味深かったこと
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中村 おそらく、人類がどんなに変化してもなくならないのは、農業という営みだと思うんですね。食べものをつくることです。アフガニスタンはそれがじかに見えるところで、水さえあれば、これだけ豊かで平和な生活ができるのだという実証があれば、たいへんな力になると思います。
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この農業という営みが世界中でどんどん破壊されている。中村さんたちの団体のように、地元にもともとあった灌漑の手法を地元の人たちの手で復活させるということは、とても大切なことだと思う。しかし、同時に、世界中にあった自分たちが食べるための農業が、いま現在どんどん壊されている。ある場合には換金作物への転換。またある場合には「先進国」からの援助金つきの農産物による価格破壊による離農。いわゆる先進国に本拠を置く多国籍企業や、そこにつながる人たちだけが豊かになる構造が伝統的な農業を破壊し、生まれ育った農村で生活することを不可能にしている。ここに直接に抵抗し、農的な暮らしを豊かに再生していくこと、さらに、そのような世界の構造に対する抵抗が必要なのだと思う。


あとがきで澤地さんが紹介している、練馬での講演会のやりとり、ぼくはとても意を強くした。
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・・。自分になにができるだろうか、という質問に医師は答えた。答の意味は、人それぞれであること。なにも出来ないということはなく、「なにをするか」よりも「なにをしてはならないか」であると。
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これ、『世界から貧しさをなくすための30の方法』
https://tu-ta.seesaa.net/article/200612article_2.html
で書いた<彼らの声は「~してほしい」ではなく、「~をやめてくれ」です>と同じじゃないかと意を強くした。


あとがきのいちばん最後のほうで中村さんは以下のように書く。
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 もし現地活動に何らかの意義を見出すとすれば、確実に人間の実体に肉迫する何ものかであり、単なる国際協力ではなく、私たち自身の将来に益するところがあると思っている。人として最後まで守るべきものは何か、尊ぶべきものは何か、示唆するところを汲んでいただければ幸いである。
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「そうか」と思う。中村さんが目指していたのは、単なる国際協力ではなかった。

・人として最後まで守るべきものは何か
・尊ぶべきものは何か

戦争で破壊された、そして現在もまた再び破壊されつつあるアフガニスタンから見えてくるものがあるはずだ。それは「先進国」と呼ばれながら、自分たちが食べるものさえ十分に生産できず、生産している人はどんどん高齢化し、廃業を余儀なくされている「日本」という国家に生活する私たちに鋭く突き刺さる問いである。

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