『歳月』(司馬遼太郎)メモ
文書には2009年12月5日のタイムスタンプがある。
父の遺品整理をしていて、目に留まって読んだ本だ。
これもpomeraのメモリカードを整理していて、でてきたもの。アップロードするのを忘れてたのだと思う。
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父親の死にともなうさまざまな用事。その合間に父の本棚にあった本をぱらぱらめくってみる。思わず読んでしまったのが、司馬遼太郎の『歳月』。上下あわせると1000ページ近い。
江藤新平の不思議な生涯の本だ。明治国家を作りあげていくドラマが人間のものとして、生々しい。どこまで真実かはわからないが、その気にさせる話ではある。
そこで気になったのが司馬遼の朝鮮観。
この小説の中では
と書かれ、
というような認識。
この下巻の付録の司馬遼の年表を読むと、朝鮮に関する対談や論文が数多くある。
この『歳月』を書いた時点での認識から、何か変化もあるかも知れない。
そういえば、
司馬遼太郎史観への高史明氏のまなざし
https://tu-ta.seesaa.net/article/200510article_11.html
というのがあったのを思い出した。
ここで高史明(コ・サミョン)さんは
また、司馬遼の革命観もまた興味深い
あるいは革命戦争が不足しているという西郷の(あるいは司馬遼の)維新観というか革命観。これもまた、どこまで真実かどうか。ぼくは確かめるつもりもないのだが、民衆の価値観の徹底的な変革のためにもっと徹底的な革命戦争が必要だということなのか。
「本当に日本は変わることができるだろうか」という僕の質問に正木高志さんは、明治維新前後の10年を例に、そこで価値観が大きく変ったことを評価し、人間の価値観はこんな風に大胆に短い時間の中で変わるという( https://tu-ta.seesaa.net/article/200707article_14.html )のだが、そんな風に価値観が変るというような事態をぼくはこれから目にすることができるのかな。
父の遺品整理をしていて、目に留まって読んだ本だ。
これもpomeraのメモリカードを整理していて、でてきたもの。アップロードするのを忘れてたのだと思う。
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父親の死にともなうさまざまな用事。その合間に父の本棚にあった本をぱらぱらめくってみる。思わず読んでしまったのが、司馬遼太郎の『歳月』。上下あわせると1000ページ近い。
江藤新平の不思議な生涯の本だ。明治国家を作りあげていくドラマが人間のものとして、生々しい。どこまで真実かはわからないが、その気にさせる話ではある。
そこで気になったのが司馬遼の朝鮮観。
この小説の中では
韓国は、いまもむかしも、かれらがいう倭(日本)という国や人種を尊敬したことがない。
と書かれ、
が、「倭」のほうは
――韓とは、なにものぞ。
と思っている。古来、朝鮮という半島国家については地理的位置が近接しすぎていて、往来がひんぱんで、しかも人種までが類似し、このため厳密な外国意識をもたずに数千年を経てきている。
というような認識。
この下巻の付録の司馬遼の年表を読むと、朝鮮に関する対談や論文が数多くある。
この『歳月』を書いた時点での認識から、何か変化もあるかも知れない。
そういえば、
司馬遼太郎史観への高史明氏のまなざし
https://tu-ta.seesaa.net/article/200510article_11.html
というのがあったのを思い出した。
ここで高史明(コ・サミョン)さんは
・・この作家の眼差しにあの戦争は昭和の軍部が悪かったので、明治日本はよかったという視座がありました。しかしそれは、第二次世界大戦を日本の軍部が悪かったんだという視座でもって、逆に明治日本の明暗を覆い隠してしまうことにならないでしょうか。「十五年戦争」という言葉には、その眠り薬が仕込まれています。本当に悪いのは昭和の軍部だけであって、明治日本は良いことばかりだったのか。確かに明治日本には、他のアジア諸国にない改革がありました。しかしながら、そこには暗部があり、「満州事変」とは、いわば明治維新以降の日本のものの考え方の暗部の総体を受け継いでいたのではないでしょうか。 (略)と話しています。
しかし、この幸せは、より深くなった暗部の上に立つ虚構ではないでしょうか。その虚構こそがまた、「靖国のおかげ」で、いまの日本の幸せがあるという虚構を作りだして・・・
また、司馬遼の革命観もまた興味深い
江藤は、世の中をうごかすものは少数の賢者より多数の、かれのいう馬鹿であるという政治の原理を理解しにくくできており、さらにはかれのいう、馬鹿を理解することなしに人間というものを理解することはできないということも・・・・。
あるいは革命戦争が不足しているという西郷の(あるいは司馬遼の)維新観というか革命観。これもまた、どこまで真実かどうか。ぼくは確かめるつもりもないのだが、民衆の価値観の徹底的な変革のためにもっと徹底的な革命戦争が必要だということなのか。
「本当に日本は変わることができるだろうか」という僕の質問に正木高志さんは、明治維新前後の10年を例に、そこで価値観が大きく変ったことを評価し、人間の価値観はこんな風に大胆に短い時間の中で変わるという( https://tu-ta.seesaa.net/article/200707article_14.html )のだが、そんな風に価値観が変るというような事態をぼくはこれから目にすることができるのかな。
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