何のきっかけだったか忘れたが、ここでエコフェミについて書いたものを読み返してみた。
「 ナショナリズムとジェンダー」読書ノート
https://tu-ta.seesaa.net/article/200702article_19.html
で以下のように下記、森岡さんの文章の長い転載をしている。
~~~以下、転載~~~
上野さんの「転回」については 「境界線を破る!」読書メモ https://tu-ta.seesaa.net/article/200701article_7.html にも少し触れたが、95年に森岡正博さんがエコロジーと女性-エコフェミニズム http://www.lifestudies.org/jp/ecofeminism.htm という文章で書いている。以下に部分引用しておこう。
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…一九八三年に出版された、青木やよひ編『フェミニズムの宇宙』に、青木やよひは「女性性と身体のエコロジー」という論文を書き、エコフェミニズムの立場を鮮明にした。(中略)
青木のこの論文が、日本におけるエコフェミニズム宣言であった。この論調は、あきらかに一九八〇年初頭の英米でのエコフェミニズム運動の盛り上がりと呼応して生じたものであろう。しかし、この青木の論文は、当時論客として登場しはじめていたマルクス主義フェミニスト上野千鶴子から痛烈な反論を浴びることになる。上野は、青木のような「女性原理」派フェミニズムが、既存の男性文化を相補的に補完するにとどまってしまう点を鋭く指摘し、「女性が「男のよき左手」になることに、男性が反対するはずもあるまい」(上野 一九八五年:一五五頁)と切り捨てた。これをきっかけに、いわゆる青木―上野のエコフェミ論争が生じたが、実りある結論が導かれたわけではなかった。むしろ、この論争を通じて、エコフェミは反近代主義・母性主義を導く危険思想だという雰囲気がフェミニズム陣営に共有され、これ以降八〇年代後半にかけてエコフェミニズムが一種のタブーになった感すらある。そのあいだも、海外では、エコフェミニズムは着々と議論を積み重ね、論文集や教科書が出版されるようになっていた。この数年間のブランクは、日本のエコフェミニズムにとって大きな損失であったのかもしれない。
日本のこのような状況は、一九九三年ころまで続く。九三年にイギリスのメアリー・メラーの『境界線を破る!』が翻訳されたころからふたたび状況は変わりはじめる。海外の書物が翻訳されるようになり、海外のエコフェミニストを呼んでの会合なども開かれるようになる。一九九四年四月には、エコフェミニストであるマリア・ミース、メアリー・メラーらを呼んでシンポジウムが開催された。その司会には、青木やよひ、上野千鶴子らが当たっている。上野はその会議のレポートで、ヨーロッパのエコフェミニズム運動を評価し、環境問題に対する女性の闘いこそ今後のフェミニズムの重要課題であると述べている(上野 一九九四年)。上野千鶴子のこの「転回」によって、日本でもふたたびエコフェミニズムの議論は活性化しはじめるであろう。それにしても、一九八〇年代半ばから約一〇年間の空白期間を許してしまうこととなった日本のフェミニズムの屈折、とくにそれが「母性主義」に触れたときに見せる屈折については、改めて深い考察を加える必要があると思う。
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これ、2007年に書いているのだが、重要なことを書き忘れていることに気がついた。森岡さんはここで、《上野千鶴子のこの「転回」によって、日本でもふたたびエコフェミニズムの議論は活性化しはじめるであろう》と書いているが、実際には、それから20年近くを経過した、いまでも活性化しているとは言い難いのではないか。これは何を意味しているのだろう。そもそも上野さん自身は、この「転回」について、あまり触れていないんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう?
そして、なぜ、日本ではこんなにもエコ・フェミニズムに関する議論が低調なのか、と思う。
あのミースとシヴァの「エコ・フェミニズム」さえ、まだ出ていない。
2012年4月末の段階で、今でもただいま編集中に入っている。
10年以上も塩漬けだ。
http://www.shin-yo-sha.co.jp/hensyu.htm
この本に関する新曜社とのやりとりも以前、ブログに掲載した。
https://tu-ta.seesaa.net/article/200606article_18.html
https://tu-ta.seesaa.net/article/200606article_21.html
https://tu-ta.seesaa.net/article/200607article_8.html
ただ、ここにも書いているけれども、ぼくもかかわっていたミースのサブシステンス・パースペクティブもまだ出ていないので、自省的に書かなくてはいけない部分でもある。
で、「日本ではこんなにもエコ・フェミニズムに関する議論が低調なのか」という議論に戻るが、ぼくが知らないだけ、という可能性は非常に高いと思ったので、検索してみた。
するとぴったりの論文がでてきた。
ぼくがこれを書いたのと同じ2007年に発表された以下の論文の要旨でも「日本においてエコフェミニズムがフェミニズムの一つの潮流として未だ根付いていないように見受けられるのはなぜなのか」と書かれている。
28-Mar-2007 日本におけるフェミニズムとエコロジーの不幸な遭遇と離別 : フェミニズムとエコロジーの結節点に関する一考察 横山 道史
http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/789/1/3yokoyama.pdf
この横山さん、たしか以前、会ってるはず。
斜めに読んだだけだけど、すごく興味深いし、読みやすい日本語で記述されている。こういう研究者の文章は好きだなぁ。欧州のエコフェミ事情の概説にもなりそうっていうか、ぼくは知らなかったので勉強になった。
で、いちばん共感したのが、昨年だったか亡くなった青木やよひさんの理解。こんな風に整理できるのかと思った。「女性原理」っていうのがわからないというのは何度か書いている話だ。
https://tu-ta.seesaa.net/article/200709article_15.html
で、あえて、リクエストさせてもらうと、ここで、上野さんの「転回」に触れていないのが残念な感じだし、藤岡美恵子さんと中野さんのイリッチ論にも触れて欲しかったなぁと思ったりする。
参照 https://tu-ta.seesaa.net/article/200608article_4.html
https://tu-ta.seesaa.net/article/200709article_14.html
など。
(いま、気がついたんだけど、同じものを気づかずに2度もアップしたりもしている。)
あと、切り取りできないPDFになってるとことがつらいけど。
ともあれ、
日本でのエコ・フェミニズム、3・11を経て、何か変化があるのだろうか。
いま、すごく大切な思想なんじゃないかと思うんだけどなぁ
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