平和といのちを見つけること (ジャン・バニエ)

ラルシュ・かなの家から送られてくる「ジャンバニエからの日々の思索」

数日前のものが気に入ったので、ちょっと自分で訳を変えてみました。

まず、送られてきたオリジナルを掲載(改行位置変更)
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Finding Peace and Life

If we see housework or cooking simply as chores that have to be done, we will get tired and irritable; we will not be able to see the beauty around us.

But if we discover that we live with God and our brothers and sisters through what has to be done in the present moment, we become peaceful. We stop looking to the future, we take time to live.

Jean Vanier, Community and Growth, p. 170


生活の中で平和を見い出す

    家事や料理をするとき、単にやらなければならない面倒な仕事だと考えるなら、疲れてイライラしてしまいます。すると、身の回りにある美しいものを見ることはできません。

でも、今この瞬間にやるべき事を通して、神と、そして兄弟姉妹たちとともに生きていることに気づいたのなら、平和がおとずれます。先の事ばかり気にかけることをやめ、今を生きる事を大事にするようになります。

ジャン・バニエ
コミュニティゆるしと祝祭の場 p275

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以下、ぼくがオリジナルの翻訳を基本に英文をみながら、勝手に訳語をいぢったもの。
平和といのちを見つけること

  家事や料理を、やらなければならない面倒なこととしか思えないなら、疲れてイライラしてしまいますよね。そうなると、回りにあるとても美しいものが見えなくなってしまいます。

でも いま この瞬間に やらなければいけない家事や料理を通して、神さまや仲間たちとともに生きていることに気づいたのなら、平和で穏やかな気分になれるはず。将来を想いわずらうことをやめて、いまを生きるために時間を使います。

これだけの短い文章を訳すのにずいぶん時間がかかりました。もとの訳文をみながら訳したにもかかわらず、です。

そもそも、もとの訳文がなければ、ぼくはちゃんと意味をとることもできなかったように思います。

で、一番苦労したのは、最後の
We stop looking to the future, we take time to live.
という文章。直訳すると、
「未来を見るのを止めて、生きることに時間を使います」なのかと思って、そのままでもいいかなぁと感じたのですが、やっぱりちょっと自分の考えを入れて、意訳してみました。

あと、最後に変えたのが「兄弟姉妹」という部分。なんか日本語っぽくないなぁという気がして「仲間たち」にしちゃいました。


それからthe present momentで思い出したのが、ティク・ナット・ハンさんの有名な詩
https://tu-ta.seesaa.net/article/200508article_13.html から引用
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Breathing in, I calm my body.
Breathing out, I smile.
Dwelling in the present moment
I know this is a wouderful moment.

『ビーイング・ピース ほほえみが人を生かす』(中公文庫1999年)の中では以下のように訳されています。

息を吸い、体を鎮める。
息を吐き、ほほえむ。
この瞬間に生きる。
素晴らしい瞬間だと知る。

自分なりに適当に意訳してみると面白いです。その時々の気分で少しづつ変ります。

今日のぼくの訳

ゆっくり息を吸って、からだを落ち着かせる
ゆっくり息を吐いて、微笑んでみる
いま、この瞬間に在って、
これがいいんだよねってわかる。

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ここだけじゃなくて、てぃく・なっと・はんさんは「この瞬間に生きる」ことの大切さを繰り返し語っています。クリスチャンのジャン・バニエとブッディストの彼の不思議な一致。

二人とも、それぞれの宗教の中では少数派なのかなぁ。

で、最初の翻訳の話に戻って

そして、この部分、先日のリトリートで購入した佐藤さんの訳の書籍も確認してみました。ここではまた大きく違います。フランス語からの翻訳ということも影響しているのかもしれません。
以下、佐藤訳
もし、家をきれいにし、料理をするとき、雑役夫のように、すべきことをただ行うのなら疲れて苛立つだけだろう。しかし、神と、また兄弟姉妹たちと生きるのは、謙虚なこのときの中で、そこを通して、行われるのだと発見し、今というときに、すべきことを見出すのなら、わたしたちの心は静まり、もう未来へと逃避しない。

これ、ぼくには難しいなぁ。

で、ついでなので、伊従さん訳の本の訳も探してみました。
「共同体 ゆるしと祭りの場」201p
家の掃除や料理をしなければならない嫌な仕事としてするならば、疲れていらついてくる。しかしこの瞬間にすることがこの仕事であり、この目立たないつまらない現実こそ神とまた兄弟たちと生きることなのだと悟る時、心は安らぎ、もはや他のこと、先のことに逃避しないで生きるためにゆっくり時間をかけるようになり、急がなくなる。





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