3・11とゴジラとナウシカ
これは当時Webで読んだ感想。
先日、『3.11を心に刻んで』という本にこのコラムは収録されていたことはこの本のメモに書いた。
ここから、Webで読んだときにわからなかった以下の疑問が解けた。
この岩波のコラムで赤坂さんが触れている、彼が3・11直後に書いた評論というのを読んでみたいと思うのだけど、どこに掲載されているのだろう。
それは
『海のかなたより訪れしもの、汝の名は』
(雑誌『群像』2011年5月号)
で、図書館で借りた。
以下、読書メモ
~~~~~
この3・11直後のコラムで赤坂さんは自分の担うべき役割について、以下のように書く。
わたしが担うべき役割は、あくまで東北に根差しながら、東北の声なき声に背中を押されながらも、より深く見つめ、より遠くまで考えることだ。そして、それがどんなに未熟であれ、現在進行形のメッセージとして発信し続けることだと思う。
そして、「チュラカサ(美ら瘡)」に言及する。
このチュラカサについて、岡本太郎が折口信夫を援用しながら、紹介しているという。
それは疱瘡(天然痘)をさす言葉、治療法のない時代、天然痘はとても凶暴な脅威だったのだろうが、沖縄の人は、瘡が美しいと読んだ。なぜか。岡本太郎の文章を引用しながら、以下のように書かれている。
「強烈に反発し、対決してうち勝つなんていう危険な方法より、うやまい、奉り、巧みに価値転換して敬遠してゆく」ことこそが「無防備な生活者の知恵」であり、チュラカサの伝統であった。
このチュラカサの伝統が東北人の精神にも宿っているのではないか、と赤坂さんは書く。
そして、この「チュラカサの知恵に学び直さなければならない」というのだが、いくら危険でもきっちり抵抗すべきものもあると思う。ただ、抵抗できない自然災害や疫病があるのも確かで、抵抗できるものとそうでないものを見分けなければならないと思う。
現に、沖縄の人たちだけが、米軍に追従し沖縄に犠牲を押し付ける日本政府のあり方に、見えるような形でちゃんと抵抗していると思える。
ただ、それをちゃんと見分けることができるかどうか、それはかなり微妙だ。
ともあれ、「チュラカサの知恵に学び直さなければならない」でひとつの節が終了し(ぼくにはかなり未消化だが)、「ゴジラからナウシカへ」という節に移る。
赤坂さんは
『ゴジラ』という映画には、わたしたちの他界観のみならず、神々への信仰、災厄や犠牲にまつわる観念といったものが、凝縮して見出される
と書く。
彼は20年前には『ゴジラは、
なぜ皇居を踏めないか』というエッセイを書いたという。(『物語からの風』
以下のように説明されている。
わたしは映画の『ゴジラ』と三島由紀夫の小説『英霊の声』とを重ねあわせにして、『ゴジラ』の深層に沈められている、南の島に散っていった若き兵士たちの彷徨する霊魂の群れに、ただの人間に戻った天皇が遠く対峙しあう光景を浮き彫りにしたのだった。
それがエッセイの前半なのだが、そのエッセイの後半に即して、それとは「いくらか異なった視野」から『ゴジラ』を眺めると書かれている。
そして、ナウシカとゴジラを並べる。ナウシカがポスト近代であるのに対して、ゴジラは近代の枠組みに閉じ込められていて同列に論じることはできない、としながら、にもかかわらず、
災厄と犠牲をめぐるテーマで共振しあっている
という。
世界が『風の谷のナウシカ』に追いついたのだというのが赤坂さんの見立てだ。それは肯定的な評価ではない。
そして、ナウシカの話を終えて、民俗知が秘める可能性の話に移っていく。節のタイトルは『南の島からの言伝え』
ここでは琉球弧の海嘯(つなみ)に関する伝承が紹介さえ、次の『記憶の場と民俗知を求めて』という節では『遠野物語の津波伝承が紹介される。
そして、この東日本大震災の瓦礫の下にあるだろう数々の物語を一つでも多く聞き取り、記録にとどめなければならない、という。「物語りすることが魂鎮めである」と。いまはそれどころではないが、として、以下のように書かれている。
やがて喪に服しながら、わたしたちは広やかな記憶と物語の場をめざして、動きはじめる。それを鎮魂の時空へと組織してゆかねばならない。
思えば、民俗知はみな、あのチュラカサの伝統にこそ根差しているのかもしれない。人としての身の丈に合った暮らしの知恵や技を、民俗知として復権させることだ。
そして、赤坂さんはそれが迂遠な道であることを自覚した上で、直面しつつある巨大な問いの群れへの特効薬になるのだと言いたわけではないと書く、さらに以下のように続ける。
しかし、このたびの大震災のなかでわたしたちは地震と津波/原発事故という、人類が制御しえぬ二つの荒ぶる力が絡みあい、激しく奔流する姿を生々しく目撃してしまった。もはや牧歌的な『ゴジラ』の風景のなかへと撤退したり、閉じ籠ることはできない。『風の谷のナウシカ』という修羅の渚へと、いかなる困難があれ、出立してゆくしかない。何か、根底からの世界観の組み換えなしには、この先の生存そのものが危うい、といった予感は、わたしだけのものではあるまい。
巨大な防波堤や原子力発電所が壊された事態を見て、『神々の背丈を人のモノサシで測るような、愚かしい傲慢さがあふれていた』という。
その事態を受けて、それでもさらにそれを上回る科学技術的なもので、さらに高い万里の長城を築くのか、と問う。
そうではなく、その対極にあるチュラカサの伝統とその知恵を、ほんの少しだけでも復活させようと赤坂さんは呼びかける。
抗えないものに対しては、避け、逃げ、丁寧に送り返すのだ、というのだが、では、抗えない崩れかけの原発や放射能汚染にどう向き合えばいいのだろう。
そこにチュラカサの知恵は使えそうにないと思うのだが、という話を赤坂さんに聞いてみたい。
この記事へのコメント