DETについて(追記・蒲田での紹介イベント満員御礼)

以下に紹介したイベント、おかげさまで満員御礼です。
ありがとうございました。
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いま、大田区内の仲間といっしょにDETのデモを準備している。
https://www.facebook.com/events/566376946771468/

デモだけど屋内です。デモンストレーションって書いたほうがいいかな。


で、そのDET(障害平等研修)とは何か?

久野さんが書いた説明をいくつかのWebサイトで読むことができる。
最後にURLを貼っておきます。
ぼくの障害平等研修の知識はすべてその久野さんからのものだ。直接会って聞いた話もあるが。


このDET(障害平等研修)を自分なりの言葉で説明できるか、試してみよう。(ちなみに正確さについては保証しません、あしからず)

やはり、久野さんが書いているように、従来型の障害理解啓発の研修と比較するのがわかりやすい。

いままでの障害理解啓発の研修は、その人の障害の特性について、基本的に医学や福祉の観点から語るものだった。車いす(あるいは視覚障害や聴覚障害)だと、こういうときに困ります。とか、それを補うこんな福祉の制度があります、じゃあ、車いすに乗って体験してみましょう、あるいはアイマスクをして体験してみましょう(「障害体験」)。そして、その福祉の制度などを使って、あなたも支援者になりませんか、あるいは制度に頼らなくても、こんなお手伝いができます、とかいうもの。

この「障害体験」で、物理的な障害を体験したような気になれる。やっぱり、こんな風に不便なので、こういう配慮が必要ですね、とかいう話になる。まあ、それはそれで有効な場面がまったくないとは言わないが、しかし、これだけで終われば明確に障害の個人モデル・医療モデルという把握の仕方に陥ってしまう。

また、多少座学で、問題は社会の側にあります、と説明したところで、強烈に印象に残るのは体で体験したことだ。段差は大変だったとか、見えなくて怖かった、とか、逆に車いすは楽しかったとか。

DETはそうではない研修をめざして生まれ、ブラッシュアップされてきた(のだと思う)。
しかし、日本ではまだ行われていない。日本人のDETファシリテータは、わたしたちが知っている範囲では一人しかおらず、その人もDETは海外でしか実施していない。

じゃあ、そのDETとはどのようなものか。

そこからの説明が難しい。

いままで書いたように、従来型の障害理解啓発などとの対抗で説明するところまでは容易にできるのだが、それが何かというのは、やはり、文献や説明だけではわかりにくい。

言えるのは、そこではフレイレ型のファシリテーションの手法が用いられること。
つまり、教師(教える人)と生徒(教わる人)の間の知識の受け渡しではなく、ファシリテータ(本人に気づいてもらうための環境を整える人)と学ぶ人たちの中での対話的な関係の中での本人の気づきと学び。そこではファシリテータもまた学ぶ。気づきは予定調和ではなく、ファシリテータ側も予期しなかったようなものだったりする。

そんな手法を用いるため、ファシリテータの研修も重要だ。そのファシリテータは障害当事者でなければならないというのがDETのルールになっている。

(ぼく自身、このルールの妥当性については、もう少し考えてみたいと思っているが、とりあえず、障害のないものがえらそうに啓発するという最悪な話を回避する役割はあるだろう。しかし、それだけでよいわけはなく、そこから先に行くために何が必要なのか、このルールがどんな役割を果たしうるのか、ということに関してはさらなる考察が求められているように思える。)

話がそれたが、このDETで学ぶのが障害を社会モデルで理解することだ。

ここもつっこんでいくと、それがなかなか微妙な問題をはらんでいるのだと思う。
DETが生まれたのは英国なので、そこで用いられるのは基本的に英国型の障害の社会モデルなのだが、それでは米国の社会モデルのような観点をどう入れていくのか、など。逆に、このDETの実践の中から、それぞれの社会モデルに関する理解を深めていく道筋もありえるのではないか、とも思う。米国型の、社会モデルでの理解を基礎にしつつも、インペアメントとのインタラクティヴィティを含ませるような、障害の社会モデルと英国型のまず社会の問題として把握するスタイル、どちらが人々の理解や共感につながるか、という話にもなり得る。

また、このDETで合理的配慮をどのように理解できるかも興味深い課題だ。ぼくはそのことに関する知識を現状ではまったく持たないが、日本の障害学の創設者の一人で、いまは政府の障害者政策委員会の委員長もやっている石川准さんが「合理的配慮を拡大解釈する人が多い」とツイートしていたのが、この間、ずっと気になっている。DETではそのあたりの課題にどのようにアプローチできるのだろう。

ま、とりあえず、いま準備している3月15日のデモでは(デモと言っても街頭にはでないよ)、そこまでツッコまないで、基本のDETの形をできるだけみんなで理解できるようなイベントになればいいと思う。

その先の話は、まだこれからだ。

さらに、DETの目的は(個人的?)行為の転換ではなく、組織の変革だと久野さんは強調している(ように思う)。昔、久野さんが作った表には「目的は行為の転換ではなく、障害理解の転換」だと書かれているが、最近は目的は「組織が変わることだ」と言っていたと思う。

そのことと、健常者中心社会をどう変革するか、という課題とのリンクも興味深い。
社会変革と個人の意識の変革のインタラクティブな関係とDETというのも考えてみたい課題ではある。あるいは、この近代社会の生産力主義みたいなものからの離脱や、共存や共生をめざす社会のありかた、みたいなところまでDETで展望することができるかどうか。


興味は尽きないが、ほとんど知識がない現状で、あんまり大風呂敷を広げすぎると、誤解を生むかもしれないので、これくらいにしておこうと思う。

ちなみに3月15日のDETデモに興味がある人は以下のフェイスブックのイベントページを参照してください。

https://www.facebook.com/events/566376946771468/



追記

自分が働いている福祉工場でのDETを妄想している。

多くの障害者が健常者文化の中で場合によっては健常者よりも根強く健常者の価値観に侵されていて、社会モデルや合理的配慮やインクルージョンを理解できていないと思う。

そういう障害者に対して、DETはとても有効だと思う。

で、そのあたりの問いかけに久野さんは以下のように答えてくれた。
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障害者へのDETですが、もちろん当然、対象です。

非障害者にとってはEnablementとして、障害者にとってはエンパワメントとしてDETは位置づけられます。
ですので、是非是非DETをやってください。
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これに再度、久野さんへぼくからの質問
~~~
「非障害者にとってはEnablementとして、障害者にとってはエンパワメント」
の意味ですが、エンパワメントは本来持っているものに気づくプロセスとしてのエンパワメントだから
ということでしょうか?

で、エネーブルメントって、初めて知った単語で辞書で調べました

enablement
【名】使用可能性

enablement requirement
実施可能要件
meet the enablement requirement
実施可能要件を満たす

この文脈での使い方、よくわかりません。
もう少し、教えてもらえたらうれしいです。


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この問いに関しても、久野さんから、参考文献のサジェストをもらっているのだけれど、まだ読み込めていないので、略

ちなみに
久野さんのHPでの障害平等研修(DET)の説明(少し古いです2003年10月12日)
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brick/5813/sub1.html
が読みにくかったので、FBのノートに転載しました。
https://www.facebook.com/notes/%E9%B6%B4%E7%94%B0-%E9%9B%85%E8%8B%B1/%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E5%B9%B3%E7%AD%89%E7%A0%94%E4%BF%AEdet%E3%81%AE%E8%AA%AC%E6%98%8E/600005290079992

また、雑誌での紹介
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n291/n291019.html
こっちは2005年10月

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