「町工場で、本を読む」メモ
2015/03/17 14:58 読了
第1章は、小関さんにゆかりの大田区近辺の町ごとのエッセイ。
彼の短い自伝にもなっている。東京新聞に連載されたもの。
大森、鮫洲、北馬場、馬込、糀谷、大森西、羽田、下丸子、山王と続く。
2章以降ではたびたび村井吉敬さんの「小さな民からの発想」が紹介されている。(25P、村井さんと小関さんが繋がっていたことに驚く。
28p~は、50年代の東京南部の文化運動が紹介されている。
小関さんもその一人だったのだ。現代思想にいた池上さんや道場さん(追記:ぼくよりずっと若かったのに2016年に亡くなりました。合掌)が追いかけているこの運動、大田区内でももう少し注目されていいはず。
そして、新日文の文学学校に通った頃のノートも紹介され、そこには針生さんの「肉体ぐるみとらえるということが、最も本来的な意味で思想的である」というフレーズも(31p)。針生さんがここに出てきたことは驚くに値しないかもしれないが、さまざまなところで重なっているのだと思う。
また、新日文の終刊号に掲載されたエッセイで、彼の「おんなたちの町工場」に小沢信男さんが書いた解説を紹介している。
47pでは48時間以内の強制退去を命じられた羽田穴守町の話が出てくる。小関さんがある小説を書くきっかけとなったのは、地元の図書館に保存されていた蒲田警察の50年誌の以下のたった三行の記述だったという。
そして、沖合に展開した羽田空港の跡地利用計画がカタカナ言葉ばかりで語られているのを指摘し、「ひろく文化の領域で、場にこだわらぬ普遍的な価値なぞというものをわたしはついつい信じられない」(48p)と書いている。
60pから記載されている「刃物の見方」といういまだに再刊されていないという本の話も興味深い
「鉄道員(ぽっぽや)」の書評(68p~)には中野重治の詩が援用され、「喜びに重量はないが、悲しみには重量がある」という話が出てくる。重量があるほどの悲しみに、ぼくは出会っているだろうか?
志村ふくみ「一色一生」という本の書評では実家近くの弓ヶ浜絣に関する文章が引用されている。そこから孫引き。
サンカに関する小説などを書いていた三角寛さんという人がいて、その人が池袋の人生坐や文芸坐の経営に当たっていたという話もちょっとびっくり。108p
村井さんの「小さな民からの発想」の書評は110p~
小関さんはこの本が出てから20年間、たびたびページを繰ってきたと書く。そして、記述が古くなっていないと。
113pからは「町工場職人群像」の書評。株式会社ミツトヨのPR誌に1997年から2004年の間、掲載したというだけで、これが書かれた正確な時期はわからないのだが、9年前に8000社あまりだった大田区の工場がすでに6000社を切るほどの激減とあるが、現在はたぶんその半分程度になってるのではないか、あとで調べてみよう。小関さんもこの撮影に立ち会ったときに溶接工と話したエピソードが掲載されている。
「そりゃ俺だって、うまく立ちまわれば、もうちょっとましな暮らしができるチャンスはあったよ。でも、そんなことしたら晩酌のビールがうまかないやね」
ぼくにはそんなチャンスはあったかなぁ?
121p~は「大正時代の職工の短歌」というタイトルの書評で、とりあげている本は「松倉米吉、富田木歩・鶴彬」。 そして、この書評では松倉米吉だけがとりあげられている。ぼくは鶴彬が好きだが、小関さんが松倉を選ぶ理由はわかるような気がする。
鷺沢萠という女性の作家の「帰れぬ人びと」という本の解説を小関さんが書いていて、それもこの本に収録されている(159p~)。高校生でデビューした鷺沢さんは雪が谷高校で、彼女が小説を書くきっかけを作ったのが小関さんだったとか。
山形の農民作家、佐藤藤三郎の「私が農業をやめない理由」の紹介もある。小関さんは彼を「半歩のゆるぎもない」と紹介する。ゆるぎっぱなしの自分からすれば、そういう人や本はちょっと近寄りがたいなぁ。
ここで、サクランボや米沢牛だけが注目される山形の農業の話。しかし、そうじゃない部分をという視点も。これは93年の書評だが、それから20年以上たって、やはり農業はさらに厳しい攻撃にさらされている。164p~
朝日新聞で3冊を選ぶ連載から
「ヒバクシャ・シネマ」これは読んでみたい。日本映画が原爆をどう描いたのかを鋭く追求する10編、とのこと。185p
「愛することは待つことよ」森崎和江著
知的障害者の施設にも振れているとのこと。彼女がそれをどう描いているか、気になる。187p
「浪費なき成長」内橋克人著2000年 それでも成長は必要なのか気になる。189p
「印刷に恋して」はぼくが長く関わっている印刷の話。こんな本の書評も小関さんが書いてることにちょっと感動。204p~
「連合軍捕虜の墓碑銘」ここに日本には百余りあった収容所の大森の収容所についての克明な記録がある、とのこと。222p
「キューポラのある町-評伝早船ちよ」「キューポラのある町」の原作者、早船ちよは戦時下の蒲田で工場の子弟や商店員を集めて学習塾を続けていたとのこと。232P
『平和は「退屈」ですか』下嶋哲朗。戦争体験を語り継ぐことの困難をどうしたら克服できるか、という話。この実践が生まれた背景に、元ひめゆり学徒隊員の講演を聞いた女子高校生の「ことばがこころに届かない」という正直な一言があった、とのこと。233P
あとがきの「大きな労働組合の活動家でもあるような人たちだから、そんな浮き足立った人たちとは違うはずなのに」には、違和感。大きな労働組合の活動家に悪い経験でもあるのかな?
ともあれ、小関さんの書評本、面白かった。小関さんの読書会、参加してみたいと思ったりした。
2016年1月8日追記
小関智弘さんに亡くなった道場さんの「下丸子文化集団とその時代」の書評を書いて欲しい。どこかの媒体で依頼しないかなぁ?
第1章は、小関さんにゆかりの大田区近辺の町ごとのエッセイ。
彼の短い自伝にもなっている。東京新聞に連載されたもの。
大森、鮫洲、北馬場、馬込、糀谷、大森西、羽田、下丸子、山王と続く。
2章以降ではたびたび村井吉敬さんの「小さな民からの発想」が紹介されている。(25P、村井さんと小関さんが繋がっていたことに驚く。
28p~は、50年代の東京南部の文化運動が紹介されている。
小関さんもその一人だったのだ。現代思想にいた池上さんや道場さん(追記:ぼくよりずっと若かったのに2016年に亡くなりました。合掌)が追いかけているこの運動、大田区内でももう少し注目されていいはず。
そして、新日文の文学学校に通った頃のノートも紹介され、そこには針生さんの「肉体ぐるみとらえるということが、最も本来的な意味で思想的である」というフレーズも(31p)。針生さんがここに出てきたことは驚くに値しないかもしれないが、さまざまなところで重なっているのだと思う。
また、新日文の終刊号に掲載されたエッセイで、彼の「おんなたちの町工場」に小沢信男さんが書いた解説を紹介している。
・・・と「労働者の文学」に重点をおくグループで、・・・
この二つの騒々しい流れ足許を洗われながら、ついにどちらにも<さら>われず、ぽつんと一本屹立している棒っ杭。それが小関智弘その人だと、私には見えます。・・・
・・・
・・・孤立どころか、いわゆる大多数の未組織の大多数とともにある。いや、大多数のすぐ脇で、やっぱりすこし孤立している。大河のへりに立つ、水位を示す杭のように。 32p
47pでは48時間以内の強制退去を命じられた羽田穴守町の話が出てくる。小関さんがある小説を書くきっかけとなったのは、地元の図書館に保存されていた蒲田警察の50年誌の以下のたった三行の記述だったという。
昭和19年6月、穴守の慰安施設特別認可となる。穴守町750番地付近6500坪を、産業戦士に対する慰安施設として臨時私娼黙認地域を認可「黙認地域を認可」という語句の曖昧さがその小説を展開したという。
そして、沖合に展開した羽田空港の跡地利用計画がカタカナ言葉ばかりで語られているのを指摘し、「ひろく文化の領域で、場にこだわらぬ普遍的な価値なぞというものをわたしはついつい信じられない」(48p)と書いている。
60pから記載されている「刃物の見方」といういまだに再刊されていないという本の話も興味深い
「鉄道員(ぽっぽや)」の書評(68p~)には中野重治の詩が援用され、「喜びに重量はないが、悲しみには重量がある」という話が出てくる。重量があるほどの悲しみに、ぼくは出会っているだろうか?
志村ふくみ「一色一生」という本の書評では実家近くの弓ヶ浜絣に関する文章が引用されている。そこから孫引き。
本当に辛い仕事ならとっくにすたれていただろう。野草や小鳥の柄を絣に織り込むとき、彼等はどんなに疲れていても楽しかったに違いない。それを着て喜ぶ者の顔を思い出して描ければ疲れもいやされたのであろう。・・・弓ヶ浜の人々は、「豊かに貧乏してきた」といみじくも嶋田さんはいわれたけれど、それならば現在の我々は「心貧しく富んだ生活をしている」というべきかもしれない。104p
サンカに関する小説などを書いていた三角寛さんという人がいて、その人が池袋の人生坐や文芸坐の経営に当たっていたという話もちょっとびっくり。108p
村井さんの「小さな民からの発想」の書評は110p~
小関さんはこの本が出てから20年間、たびたびページを繰ってきたと書く。そして、記述が古くなっていないと。
113pからは「町工場職人群像」の書評。株式会社ミツトヨのPR誌に1997年から2004年の間、掲載したというだけで、これが書かれた正確な時期はわからないのだが、9年前に8000社あまりだった大田区の工場がすでに6000社を切るほどの激減とあるが、現在はたぶんその半分程度になってるのではないか、あとで調べてみよう。小関さんもこの撮影に立ち会ったときに溶接工と話したエピソードが掲載されている。
「そりゃ俺だって、うまく立ちまわれば、もうちょっとましな暮らしができるチャンスはあったよ。でも、そんなことしたら晩酌のビールがうまかないやね」
ぼくにはそんなチャンスはあったかなぁ?
121p~は「大正時代の職工の短歌」というタイトルの書評で、とりあげている本は「松倉米吉、富田木歩・鶴彬」。 そして、この書評では松倉米吉だけがとりあげられている。ぼくは鶴彬が好きだが、小関さんが松倉を選ぶ理由はわかるような気がする。
鷺沢萠という女性の作家の「帰れぬ人びと」という本の解説を小関さんが書いていて、それもこの本に収録されている(159p~)。高校生でデビューした鷺沢さんは雪が谷高校で、彼女が小説を書くきっかけを作ったのが小関さんだったとか。
山形の農民作家、佐藤藤三郎の「私が農業をやめない理由」の紹介もある。小関さんは彼を「半歩のゆるぎもない」と紹介する。ゆるぎっぱなしの自分からすれば、そういう人や本はちょっと近寄りがたいなぁ。
ここで、サクランボや米沢牛だけが注目される山形の農業の話。しかし、そうじゃない部分をという視点も。これは93年の書評だが、それから20年以上たって、やはり農業はさらに厳しい攻撃にさらされている。164p~
朝日新聞で3冊を選ぶ連載から
「ヒバクシャ・シネマ」これは読んでみたい。日本映画が原爆をどう描いたのかを鋭く追求する10編、とのこと。185p
「愛することは待つことよ」森崎和江著
知的障害者の施設にも振れているとのこと。彼女がそれをどう描いているか、気になる。187p
「浪費なき成長」内橋克人著2000年 それでも成長は必要なのか気になる。189p
「印刷に恋して」はぼくが長く関わっている印刷の話。こんな本の書評も小関さんが書いてることにちょっと感動。204p~
「連合軍捕虜の墓碑銘」ここに日本には百余りあった収容所の大森の収容所についての克明な記録がある、とのこと。222p
「キューポラのある町-評伝早船ちよ」「キューポラのある町」の原作者、早船ちよは戦時下の蒲田で工場の子弟や商店員を集めて学習塾を続けていたとのこと。232P
『平和は「退屈」ですか』下嶋哲朗。戦争体験を語り継ぐことの困難をどうしたら克服できるか、という話。この実践が生まれた背景に、元ひめゆり学徒隊員の講演を聞いた女子高校生の「ことばがこころに届かない」という正直な一言があった、とのこと。233P
あとがきの「大きな労働組合の活動家でもあるような人たちだから、そんな浮き足立った人たちとは違うはずなのに」には、違和感。大きな労働組合の活動家に悪い経験でもあるのかな?
ともあれ、小関さんの書評本、面白かった。小関さんの読書会、参加してみたいと思ったりした。
2016年1月8日追記
小関智弘さんに亡くなった道場さんの「下丸子文化集団とその時代」の書評を書いて欲しい。どこかの媒体で依頼しないかなぁ?
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