”reasonable accommodation” は『合理的配慮』か(2020年8月追記)(2021年4月さらに追記)

reasonable accommodation を日本では『合理的配慮』と訳されるのだが、このことについて誰かが"reasonable accommodation"をこんな風に訳すのはおかしい(なぜ問題かといえば、「配慮」には「してあげる」というようなニュアンスが含まれるから、というような話だったとおぼろげな記憶)、と言っていたのが気になっていたので、とりあえず、手軽に英辞郎くんに聞いてみた。
reasonable accommodations
手頃な宿泊施設

provide reasonable accommodations
相応の便宜を図る

accommodation
【名】
〔新しい環境などへの〕適応、順応
〔人を〕もてなすこと
〔人に対する〕便宜、用立て
宿泊設備[施設]、収容設備
〔人に対する金銭の〕融通、貸し付け、 貸付金
〔論争・紛争などの〕調整、和解
〔眼の遠近の〕調節
さらにこれをググるとKaienの社長が5年前に書いていた。
ここにもこう訳したら、というのはないのだが、『合理的条件整備』っていうのはどうだろうと思った。
すごい意訳だけど。

どなたか、いい訳があれば教えてください。

以下、2020年8月追記
コメント欄に書いたが、千田さんから「合理的調整」でいいのではないかと教えてもらった。

さらに、"reasonable accommodation"の概念を広げるために
合理的配慮でいいのではないか、という意見がある(前にも読んだのに読み飛ばしていた)。
以下は繰り返し考えていかなければいけない課題だと思う。
「合理的配慮」は政治的リベラリズムを背景としており、意思の表明が困難でない障害者ばかりが対象となるという批判がなされてきた。とくに第三の論点については、今後の日本の実践が「合理的配慮」の射程を広げる可能性を秘めている。しばしば「合理的〈配慮〉」という訳は誤訳として批判される。しかし、意思の表明が困難な障害者への「合理的配慮」は、周囲の人間が当人の困難に気づき声をかけるという〈配慮〉から始めざるを得ない。このような〈配慮〉がなければ、「合理的配慮」の恩恵は一部の障害者にしか与えられないだろう。

 本研究会を通して、日本が「合理的配慮」を受容・実施する上で直面する課題が明らかとなった。日本を過度に特別視することは別の危険をはらむ。しかし、現に「合理的配慮」はハイコンテクストな理念であり、その咀嚼と消化はじっくりと腰を据えて取り組むべき課題である。「合理的配慮」理念によって日本の障害者の権利保障が実現されるか否かは、「合理的配慮」の理念と既存の日本の制度とが今後 “reasonably accommodate” されるかどうかにかかっていると言っても過言ではないだろう。
誤訳か意訳、あるいは超訳であることは間違いない。しかし、そこからこの概念の射程を広げるという議論は面白い。

2021年4月追記
「そこからこの概念の射程を広げるという議論は面白い」と書いた。
確かに面白い。しかし、やはり「配慮」という言葉が、reasonable accommodation は恩恵で与えられるものなので、感謝が必要という勘違いを生んでいるという事例が伊是名さんのブログ炎上で多数見られた。主張できない障害者のことを考える視点は必要だが、それを「配慮」と呼ぶ必要もないのだと思う。 自ら主張できない人の声を形にしていくために身近な人の複数の関りが重要だと思う。それは「配慮」というよりも言葉以外の対話から導かれる本人側からの主張と考えていいのではないか? 確かに不確かさは残る。そのことに自覚的である必要はある。しかし、それは配慮ではなく自己主張だと考えたい。


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このBIGLOBEのブログが終了し、コメントが移行できないとのことなので、本文に追加
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tu-ta
2015年12月28日 17:33
FBで『合理的調整』はどうかという意見をもらいました。

tu-ta
2016年07月06日 12:10
【報告】「共生のための障害の哲学」第19回研究会・シンポジウム「合理的配慮の現在と今後」
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2016/06/post-823/
ここに
reasonable accommodation と 合理的配慮は別物ではないかという意見があり、目から鱗だった。

2021年04月19日 14:45
お疲れ様です。
思いっきり論点を外しているので、あらかじめお詫びいたします。

今でも、
・車椅子を見たことがない
・触ったことがない
という二足歩行者が多いです。
おっかなビックリなんです。

理想的なバリアフリー社会を考えると、そういう人たちの気持ちに配慮することが合理的に感じてます。

具体的には、
・車椅子を見たことがない
・触ったことがない
人たちに車椅子を見せてあげて触らせてあげて、優しく接する。

私は、それが【合理的配慮】だと思ってます。


tu-ta
2021年10月09日 09:05
じょぷりんさん
すごく遅れた返信ですみません。

「障害」と名指される(じょぷりんさんはそのことを拒否してますね)少数の側が、差別や平等のことを理解できない多数派に、それを教えてあげるための配慮こそが合理的配慮だというのは、面白いですね。それはリーズナブル・アコモデーションとはまったく違うものとして。

この記事へのコメント

tu-ta
2015年12月28日 17:33
FBで『合理的調整』はどうかという意見をもらいました。
tu-ta
2016年07月06日 12:10
【報告】「共生のための障害の哲学」第19回研究会・シンポジウム「合理的配慮の現在と今後」
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2016/06/post-823/
ここに
reasonable accommodation と 合理的配慮は別物ではないかという意見があり、目から鱗だった。
2021年04月19日 14:45
お疲れ様です。
思いっきり論点を外しているので、あらかじめお詫びいたします。

今でも、
・車椅子を見たことがない
・触ったことがない
という二足歩行者が多いです。
おっかなビックリなんです。

理想的なバリアフリー社会を考えると、そういう人たちの気持ちに配慮することが合理的に感じてます。

具体的には、
・車椅子を見たことがない
・触ったことがない
人たちに車椅子を見せてあげて触らせてあげて、優しく接する。

私は、それが【合理的配慮】だと思ってます。
tu-ta
2021年10月09日 09:05
じょぷりんさん
すごく遅れた返信ですみません。

「障害」と名指される(じょぷりんさんはそのことを拒否してますね)少数の側が、差別や平等のことを理解できない多数派に、それを教えてあげるための配慮こそが合理的配慮だというのは、面白いですね。それはリーズナブル・アコモデーションとはまったく違うものとして。
2022年11月20日 03:49
「しかし、意思の表明が困難な障害者への「合理的配慮」は、周囲の人間が当人の困難に気づき声をかけるという〈配慮〉から始めざるを得ない。このような〈配慮〉がなければ、「合理的配慮」の恩恵は一部の障害者にしか与えられないだろう」という意見を紹介し、
「誤訳か意訳、あるいは超訳であることは間違いない。しかし、そこからこの概念の射程を広げるという議論は面白い」というコメントしました。

当事者(および当事者側の人)からの主張がないなかで、事前に環境調整することは合理的配慮とは異なるという話があったと思います。おぼろげな記憶ですが、合理的配慮の定義には「当事者(および当事者側の人)からの主張」というのが前提として、含まれていたと記憶しています。

そこまで含めて、合理的配慮とするのは、従来の合理的配慮の概念を書き換えるような話であるのですが、そこまで踏み込んだ議論が出来るのであれば、それはそれで面白いようにも感じています。

しかし、このブログの最後に書いたように、「配慮」という日本語が使われるが故、それが恩恵であるように扱われるという問題は明確にあり、どのように解釈しても、それは恩恵ではないので、そのことを明確にする訳があるべきだと考えます。

また、仮に「当事者(および当事者側の人)からの主張がないなかで、事前に環境調整すること」をリーズナブル・アコモデーションに含めるにしても、日本語としては「合理的調整」でいいのではないかと思うのでした。

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  • 「自立を混乱させているのは誰か」メモ

    Excerpt: 読後の第一印象としては、断定的なことを書いてる割には、ちょっとどうかなぁと思える記述が多い、という印象。 Weblog: 今日、考えたこと racked: 2016-05-22 10:21