「介助者たちはどう生きていくのか」メモ(4月29日追記)
風雷の中村さんが最近の現代思想で渡邉さんの文章を読んで面白くて、呼びたくなったとSNSで発信していたので、読みたくなってこの本を読んだ。購入していたと思いこんでいたが、見つからなかった。
で、ほんとに面白くて、いろいろ刺激された。
とりあえず、本のデータは以下
http://www.seikatsushoin.com/bk/067%20kaijosha.html から
以下の目次で、この本のイメージはつかめるかも
~~~~~~
著者の渡邉さんは介助が労働として成立してきたのは2000年代に入ってからだと書いていて、そうなのかと思った。知り合いに要求組合系の専従介護者がいたので、もう少し前からかと思っていたのだけれど、彼らは極少数のグループだったのかもしれない。ただ、いま、障害者介助で食べている人はどうなのだろう。そんなに一般的でもないような気もするが、20世紀と21世紀でどのような違いがあったのか、そこについても何か書いてあったと思うのだが、思い出せない。以下、ふせんをたよりにメモ。
冒頭近くで渡邉さんは運動としての介助と労働としての介助という二つの側面があり、その両者が互いに拮抗していたと紹介している。43p
言われてみれば、要求組合系の介助者はみんな運動として介助に入った人たちだったかも。
で、「うっ」と思ったのは、ヘルパーが追いつめられたき相手が「死んだらいいのにとか、「自然に」思うようになる、という下り。67p
問題はそんな風に追いつめない形をどうつくるか、という話ではあるが,重い課題でもある。
89pの注4では「母よ、殺すな」というタイトルに象徴される青い芝による減刑嘆願運動批判が、誤解されがちなのだが、母に向けられたものでなく、母親を見捨てた地域やマスコミに向けられたモノだったと記述がある。やはり、あの本のタイトルのインパクトは強烈なので、ぼくも誤解しがちだったかも。
114pからは「移動支援」について書かれている。
その意義などが書かれた後で、
118p~は介護報酬単価の話。ここで気になったのは(身体介護4000円というような)「介護報酬単価は時間あたりの事業所の収益」という表現。細かいようだが、この収益という言葉にひっかかってしまった。確かにネットで調べると、総売上というような紹介がされているが、ここで収益という言葉は、少なくともぼくにはわかりにくかった。「売り上げ」というか、役所から払われるお金のことであれば、もう少しわかりやすい言葉があったんじゃないかな。。
2章6節では障害福祉サービスのホームヘルプと介護保険のホームヘルプの違いが記載されていて、143pの介護保険ではお酒の買い物はダメ、という話に驚いた。「ダメじゃん、介護保険」って感じだなぁ。もうすぐ使える年齢なので、そうなったら、当事者運動を組織するしかないか、っていうか、「いま怒れよ、運動を組織しよう介護保険ユーザー!」と思う。
つーか、介護保険のホームヘルプを使うような年寄りは自己主張しないだろうってことを前提になめてるんじゃないか厚労省。
3章と4章は「障害者介護保障運動史そのラフスケッチ」で、具体的には3章が「70年代青い芝とその運動の盛衰」、4章が「公的介護保障要求運動・自立生活センター・そして現在へ」となっている。
渡邉さんはまず、「青い芝」は介護保障要求運動をやっていないから、ここから介護保障運動史を始めるには「ただし書きが必要」と書く。155ー156p。ぼくのおぼろげな記憶だが、80年代の東京青い芝はそんなことにもかかわっていたように思うのだが、この記憶は定かではない。そして、ぼくが障害者運動に関わり始めた80年代中盤の東京青い芝はとても柔軟な要求運動になっていたのではないかというおぼろげな記憶もある。そこからは70年代の青い芝のラディカルさは想像もできないような感じだった。そもそも、その存在自体が非常に希薄だったような気がする。八王子自立ホームの設立運動とかは彼らの主張だったのではないかと思う。
と、ここまで書いて、気がついたのだが、その中心にいた寺田さんの文章が4章(206p~)に引用されていた。介護を要求するのではなく、設備を要求していたとのこと。そこで、当時ではいろんなところが最先端の電動式の八王子自立ホームだったわけだ。
で、介護保障運動史を書き始めるにあたって、そこから始めること自体には違和感はない。ただ、時代的には4章に記載される70年代の初頭の府中療育センターの闘争と重なっており、府中と青い芝の連関は気になるところだ。(216pに簡単に記述されている。)
155pの注にある田中耕一郎さんの介護料要求運動を消費者運動とする整理が安直ではないかと批判する。ここは確かに押さえた方がいいポイントかも。
渡邉さんは青い芝が問題にしてきたこととして、反差別、自立と解放、県全社の文明批判をあげ、それらの運動の一環として介護があり、介護保障のための運動という発想はさしあたり出てこない、と書く。156p
60年代の青い芝の動きなどを、おそらく他にないほど、丁寧に記述した上で(168pまで)、70年に入って、「健全社会に対峙してー地域社会と障害者」という節(168p~)をたて、減刑嘆願反対運動の記述に入っていく。
そして、それを思想として表現するものとして、横塚さんの「母よ!殺すな」を引用した上で、以下のように書く。
障害学が障害に関する学問ではなく、障害を切り口にあらゆる事象をみていく学問であるように、障害に関わる運動も、障害者が生きていくという先に社会全体の変革がイメージされていいのではないか。それがどのようにどの程度可能なのかはわからない。当事者からはそんなことまでかまっている余裕はないという答えが来るかも知れない。しかし、やはりそれが必要だと思う。
第4章 障害者介護保障運動史 そのラフスケッチ2──公的介護保障要求運動・自立生活センター・そして現在へ
先ほど、少し触れた東京青い芝の寺田純一さんの主張はこの章の206p~紹介されている。
この本では繰り返し書かれているが、
前述の府中センター闘争と青い芝の関係について以下のように記載されている。
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~~~~
ここから100pくらい飛ぶ。
312pには「かりん燈」という介助者の会の立ち上げの話がでてくる。
自立支援法の成立で給料が下がり、将来の見込みがない暗い雰囲気のなかで離職者が増え、日々の介助がまわらなくなり、残った介助者は倒れる寸前、という状況だったという。そんな中で自立支援法反対の障害者運動は広範にあったが介助者としての運動はなかった。そして、
315pでは働かざるもの人にあらず」という価値観が障害者を抑圧するという話が出てくる。これは長く障害者の雇用・就労にかかわってきたぼくがずっと考えてきたテーマに関連することでもある。
ぼくは誰もが「働ける」し「働く権利」を持っているという前提にたてばいいじゃないかと主張してきた。個人モデルではなく社会モデルで労働を規定すればいいのでは、と思う。
その人が働くことができないのは、インペアメントの問題ではなく、社会の問題だと問題を立てればいいのではないか。
そういう意味で誰でも働くことはできるはずではないか。
そんな風に考えると、青い芝の「労働者は構造的に障害者を抑圧する存在であり、労働者の中にその自覚がない限り、障害者解放はありえない」という主張は妥当ではないという結論も導くことができるのではないか。
同時に、316pに記述される「労働の価値観」を問題にすることの大切さという話でもあるだろう。この文脈では「労働が大事」という価値観が障害者を抑圧しているという類の話のようにも読めるが、ぼくが主張したいのはそういう話ではない。
ぼくも「労働が大事」という立場に立つ。同時にその労働はすべての障害者に「合理的に配慮」されながら準備されるべきだという立場だ。
「働ける」「働けない」という分断を無効にするような「労働の価値観」の転換が必要なのではないか。逆に言えば、その労働の価値観の転換がなければ、働けない人は存在し続け、「労働」から排除され続けるだろう。昔から主張しているが、その排除されている状況を前提に残したまま、「働かない権利」というようなことを主張するのは違うと思う。
で、少し驚いたのが、「夕食が4時半というのは今でも多くの施設で共通だろう」「風呂は週に2回」(317p)という記述。ほんとにそうなのか。
319ー320pには府中療育センターの労働組合の態度についての記述がある。
そこで生活する4人の障害者が職員の勤務移動に反対してハンストに突入。労組執行部は人事異動に賛成か反対かという職場全体投票にかけ、反対が上回ったが執行部判断で当局の方針をのんだというもの。これ、民生局支部だろうか?・・・・。今度、やまぼうしの伊藤さんにあった時に聞いてみよう。
そして、そのすぐ直後には民生局支部の名前が出てきて、その支部が(ヘルパー組合とともに?)新田さんらの介護料要求運動に反対したという記述がある。ヘルバー組合というのはおそらく公務員ヘルパーなのだろう(民生局支部の一部かも?)。せっかく要求して正職員になったのに、この新田さんが要求する制度が通ったら、自分たちの仕事が切り下げられるという主張。渡邉さんは、このヘルパー組合の首長は納得のいく主張だが、この言い分が通ったら地域で重度障害者が暮らすための介護保障制度ができることはなかったのである、と言い切る。こんな風に断言してしまっていいのかという思いは残るものの、少くとも介護保障の仕組みはの整備は大幅に遅れていただろうし、いまだって十分とは言えない介護保障の仕組みがどうなっていたかは予想もつかない。
このあたりに労働者・労働運動と障害者運動の桎梏の話がいくつか紹介されていて、それはその通りなのだが、上記の民生局支部、80年代中盤、多くの障害当事者が厚生省に集まった費用徴収反対運動でロジを担ったのは彼らだったということを知っている人は少ないだろうから、ぼくがここに書いておこうと思う。また、ぼくたちは「障害がある人とない人がともに」というのを、ほぼメインスローガンに掲げた福祉工場の労働組合として参加していた。ま、こっちは小さな労働組合だから注目されなくて当然なんだけど。
4節の「資格と専門性」に関する話はほんとにその通りだと思う。こんな風に書かれている。
第6章 障害者自立生活の現在的諸相──介助者・介護者との関わりのあり方から見て
から
大田区には自立生活センターはないので、どこかがその機能を果たす必要があるのだろう。宮原さんのところか風雷か。
知的障害者の介助について、当事者の責任はどれくらいで、介助者の責任はどれくらいか?(この本、地の文章と引用の境目がけっこうわかりにくいのだが、ここもわかりにくい部分で、基本はグッドライフの末永さんの考え方が紹介されていると思いつつも、ちょっと判然としない部分が残るが、以下、ちょっと要約して引用。)
スウェーデンの自立生活運動の先駆者アドルフ・ラッカ
規制や規則に満ちているようなホームヘルプ制度を「移動施設」「動く施設」とみなした。
ここに7項目の施設の定義が引用されている。
・ほかに選択肢がない
・誰がどんな任務で介助しようとしているのか、選べない
など
6章補論1(387p~
ここでは民間事業所からの支援での自立生活について書かれている。そういう事業所では障害者のことを「ご利用者様」「お客様」として扱い、障害者本人の社交性をそいでしまうというような危惧も。
自己決定の前提となる社会経験の問題も問われる。乏しい経験しかない中でお客様として扱われ、自己決定を尊重するという美名の元で、成長する必要はなくなる。そのように「お客様化が進展していく中で、もう一度障害者も事業所も介助者も自立や自己決定ということを考えたらいいと思う」というのが渡邊さんのここでのとりあえずの結論となる。
補論2はメインストリーム協会の話だ。渡邊さんはここを「おそらく今日本で最も元気で楽しい自立生活センター」として、滞在したときのことを報告している。393ー397p
ここは「一緒に社会を変えていこうという運動する仲間」。それは障害者も非障害者も。そして、そこでの信頼関係を持つことの大事さが書かれている。そこでは信頼関係のもと、何でも話せるような関係を目指していると。398p
「あとがきにかえて」では各章を振り返っている。
1章について振り返った部分の結語で渡邊さんは以下のように書いていて、同感だった。
6章を振り返った部分の以下の問題提起も興味深い。
この直後に渡邊さんは小佐野彰さんの「「障害者」にとって「自立」とは何か」(現代思想 第26巻第2号)を引用した後に「自己決定というだけではない自立の社会的側面にこそ、これからますます注目していかなければならないのだろう」(416p)として、「施設、家族、健全者への依存を徹底して否定していく自立」と「新しい出会いを求めて相互変革していく自立や双方の思いやりを徹底させた自立」この
一人一人の暮らしの中にこのダイナミズムはあり、それは障害者の暮らしに限らない。ただ、そのダイナミズムを障害者の暮らしが可視化してくれるという側面もあるように思う。それが、障害学の重要なテーマであるようにも思う。
一人一人の暮らしの中にこのダイナミズムはあり、それは障害者の暮らしに限らない。ただ、そのダイナミズムを障害者の暮らしが可視化してくれるという側面もあるように思う。これは障害学の重要なテーマではないか。
~~以下追記部分~~
これだけではわかりにくい面もあるかもしれないので補おう。この部分を花崎皋平さんの『生きる場の哲学』に即して書くと、人間には自由の拡大と類的共同性の回復という二つの価値軸があるという話であり、渡邉さんが「自立」(生活)を考えて、その両方の価値がせめぎあうダイナミズムが見えてきたということだと思う。。
花崎さんはこの『生きる場の哲学』を1980年頃書いて二つの価値軸のうち、後者の価値があまりにも顧みられない現代社会の問題を告発しているのだが、そこから40年近く経過して、21世紀という時代に入った。21世紀という時代は、後者の価値をちゃんと社会の中に位置づけなければ、人類が類として、生き残っていくことさえ、困難になっている時代だと呼べるだろう。
とはいうものの、この前者の価値を捨てていいわけではない。その両者の相克を生き抜くことは現代の重要な課題の一つだということができるはず。その両者のダイナミズムを生きるということにどのような困難が存在し、また、どのようにそのダイナミズムを統合するのかという課題が、障害者の自立生活を考えていくことで可視化されるのではないか。
渡邉さんに限らず、この自立生活の二つの側面のダイナミズムという課題をぜひ深めていって欲しい(他力本願だけど)。障害を切り口に現代社会全体が抱える問題を照射するという「障害学」の果たすべき役割が、そのあたりにもある。
~~追記ここまで~~
さらに興味深い記述が続くのだが、この後、著者は「ケア」と「介助」について、「その行為が外見的には同じに見えても、おそらく他者に対する意味合いがまったく変わってくるだろう」と主張し、以下のように書く。「「介助者」は自分を消去し他者の手段となる存在である。他方「介護者(ケアラー)」は他者から求められ、他者を助ける存在である」
ここは微妙だなぁと思う。おそらく、ここにつっこめば、それだけで1冊の本が書けそうなテーマだし、深田さんの新田論のテーマともつながるものだろう。どこまでこんなふうに分けることが可能なのか。そもそもこのように分けるためのメルクマールは何なのか。
渡邊さんは「このどちらか一方だけを強調しすぎるのはとても危険である」として、見田宗介の「社会学入門」(岩波新書2006:173)での他者の二面性の部分を援用する(417p)。
この2面性のダイナミズムは実際の暮らしの中で行ったり来たりして、失敗しながらも、つきあい続けるしかないようなものでもあるだろう。大きくいってしまうと、それが「生きる」ということなのかもしれない。
そして、こんな風にこの部分が閉じられる。
メモここまで
で、ほんとに面白くて、いろいろ刺激された。
とりあえず、本のデータは以下
http://www.seikatsushoin.com/bk/067%20kaijosha.html から
渡邉 琢【著】
介助者たちは、どう生きていくのか
障害者の地域自立生活と介助という営み
四六判並製 416頁 定価2415円(税込) ISBN978-4-903690-67-4
身体を痛めたら、仕事どうしますか? それとも介助の仕事は次の仕事が見つかるまでの腰掛けですか? あなたは介助をこれからも続けていきますか?
あまりがっつりと働かなくても、あまり高い収入でなくとも、とぼとぼと介助を続けていけたらいいと思う。そしてこのように介助をとぼとぼと続けていけるような仕組みが必要なのだと思う──障害者地域自立生活の現場を支えるために、介助者はどう生きていけばいいのか、生きていけるのか。
介護保障運動史、ホームヘルプ制度の中身、介護保障と「労働」問題まで、「介助で食っていくこと」をめぐる問題群に当事者が正面から向き合った、これぞ必読の書!
以下の目次で、この本のイメージはつかめるかも
【目次】
第1章 とぼとぼと介助をつづけること、つづけさすこと
1 わたしたち、介助者
2 介助という仕事の成立
3 介助をはじめたきっかけ
4 介助という仕事の特徴
5 介助という仕事が成立した背景
6 労働としての介助
7 労働者としての介助者像
8 賃金等の保障
9 介助と感情労働
(1)手足論を疑いはじめる
(2)疑似友達の関係をつくりだす
(3)本音をいえば、自分のダメな部分をわかってほしい
10 介助特有のしんどさ
(1)風邪をひいて休むのは、自分が悪いんでしょうか
(2)一対一の関係のしんどさ
(3)抜け出せない袋小路の中で
11 とぼとぼと介助をつづけること、つづけさすこと
第2章 障害者ホームヘルプ制度──その簡単な説明と課題
1 障害者権利条約第19条とパーソナルアシスタンス
2 障害者ホームヘルプサービスの諸類型
(1)重度訪問介護
(2)身体介護、家事援助(居宅介護)
(3)行動援護
(4)移動支援
3 介護報酬単価について
(1)単価ってなんだ?
(2)給料について
(3)人件費比率について
(4)代理受領について
(5)事業費補助について
(6)特定事業所加算など
4 資格と専門性について
5 介助者の労働条件について
6 介護保険との比較
第3章 障害者介護保障運動史 そのラフスケッチ1──70年代青い芝の会とその運動の盛衰
1 はじめに──障害者介護保障史を語る上でのただし書き
2 障害者介護保障史の見取り図
3 青い芝の会と障害者運動の原点
4 関西青い芝の会と健全者運動
第4章 障害者介護保障運動史 そのラフスケッチ2──公的介護保障要求運動・自立生活センター・そして現在へ
1 府中療育センター闘争から公的介護保障要求運動へ
2 自立生活センターの抬頭
3 90年代とゼロ年代の動き──24時間介護保障制度の定着
第5章 障害者運動に対する労働運動の位置と介護保障における「労働」という課題
1 介助・介護における「労働」問題の浮上
2 労働運動による抑圧の歴史
3 介護保障における労働問題
4 資格と専門性について
補論 ゴリラHさんの生き様
第6章 障害者自立生活の現在的諸相──介助者・介護者との関わりのあり方から見て
1 障害者の自立生活と介助者・介護者の位置
2 自立生活のあり方と介助者・介護者との関係性との相関図
3 それぞれの自立生活と介助者のあり方の特徴
(1)公的介護保障要求運動型自立生活
(2)共感型組織での自立生活
(3)ダイレクトペイメントシステムによる自立生活
(4)管理型組織での自立生活
補論1 ヘルパーによってお膳立てされる自立生活
補論2 混合型進化系自立生活センター
4 まとめ
あとがきにかえて──介助者たちは、どう生きていくのか
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著者の渡邉さんは介助が労働として成立してきたのは2000年代に入ってからだと書いていて、そうなのかと思った。知り合いに要求組合系の専従介護者がいたので、もう少し前からかと思っていたのだけれど、彼らは極少数のグループだったのかもしれない。ただ、いま、障害者介助で食べている人はどうなのだろう。そんなに一般的でもないような気もするが、20世紀と21世紀でどのような違いがあったのか、そこについても何か書いてあったと思うのだが、思い出せない。以下、ふせんをたよりにメモ。
冒頭近くで渡邉さんは運動としての介助と労働としての介助という二つの側面があり、その両者が互いに拮抗していたと紹介している。43p
言われてみれば、要求組合系の介助者はみんな運動として介助に入った人たちだったかも。
で、「うっ」と思ったのは、ヘルパーが追いつめられたき相手が「死んだらいいのにとか、「自然に」思うようになる、という下り。67p
問題はそんな風に追いつめない形をどうつくるか、という話ではあるが,重い課題でもある。
89pの注4では「母よ、殺すな」というタイトルに象徴される青い芝による減刑嘆願運動批判が、誤解されがちなのだが、母に向けられたものでなく、母親を見捨てた地域やマスコミに向けられたモノだったと記述がある。やはり、あの本のタイトルのインパクトは強烈なので、ぼくも誤解しがちだったかも。
114pからは「移動支援」について書かれている。
その意義などが書かれた後で、
「意義はおさえつつも、一つ覚えておかないといけないのは、ガイドヘルプは、結局は余暇的なヘルプ利用でしかない、ということだ」とあえて、書かれている。平日は家族による介護で、結局、親元に住んでガイドヘルブだけ頼んでいる状態では、家族に限界が来たとき、施設に入らざるを得なくなる。ガイヘルの需要は多いが、さしあたりは家族介護を前提とした制度なので、充実したホームヘルプ制度が必要だといのが渡邉さんの主張。「さしあたりは家族介護を前提とした制度」と言ってしまっていいのかどうか気になるところだが、大田区でも、知的障害者に限って言えば、たぶんGくん以外の利用は、家族介護か、GH利用者による利用だろう。重度訪問介護の範囲が拡大された今、その先のホームヘルプを誰がコーディネートするのか、また、それを保障していく事業所をどう育てていくのかが課題なのだろう。
118p~は介護報酬単価の話。ここで気になったのは(身体介護4000円というような)「介護報酬単価は時間あたりの事業所の収益」という表現。細かいようだが、この収益という言葉にひっかかってしまった。確かにネットで調べると、総売上というような紹介がされているが、ここで収益という言葉は、少なくともぼくにはわかりにくかった。「売り上げ」というか、役所から払われるお金のことであれば、もう少しわかりやすい言葉があったんじゃないかな。。
2章6節では障害福祉サービスのホームヘルプと介護保険のホームヘルプの違いが記載されていて、143pの介護保険ではお酒の買い物はダメ、という話に驚いた。「ダメじゃん、介護保険」って感じだなぁ。もうすぐ使える年齢なので、そうなったら、当事者運動を組織するしかないか、っていうか、「いま怒れよ、運動を組織しよう介護保険ユーザー!」と思う。
つーか、介護保険のホームヘルプを使うような年寄りは自己主張しないだろうってことを前提になめてるんじゃないか厚労省。
3章と4章は「障害者介護保障運動史そのラフスケッチ」で、具体的には3章が「70年代青い芝とその運動の盛衰」、4章が「公的介護保障要求運動・自立生活センター・そして現在へ」となっている。
渡邉さんはまず、「青い芝」は介護保障要求運動をやっていないから、ここから介護保障運動史を始めるには「ただし書きが必要」と書く。155ー156p。ぼくのおぼろげな記憶だが、80年代の東京青い芝はそんなことにもかかわっていたように思うのだが、この記憶は定かではない。そして、ぼくが障害者運動に関わり始めた80年代中盤の東京青い芝はとても柔軟な要求運動になっていたのではないかというおぼろげな記憶もある。そこからは70年代の青い芝のラディカルさは想像もできないような感じだった。そもそも、その存在自体が非常に希薄だったような気がする。八王子自立ホームの設立運動とかは彼らの主張だったのではないかと思う。
と、ここまで書いて、気がついたのだが、その中心にいた寺田さんの文章が4章(206p~)に引用されていた。介護を要求するのではなく、設備を要求していたとのこと。そこで、当時ではいろんなところが最先端の電動式の八王子自立ホームだったわけだ。
で、介護保障運動史を書き始めるにあたって、そこから始めること自体には違和感はない。ただ、時代的には4章に記載される70年代の初頭の府中療育センターの闘争と重なっており、府中と青い芝の連関は気になるところだ。(216pに簡単に記述されている。)
155pの注にある田中耕一郎さんの介護料要求運動を消費者運動とする整理が安直ではないかと批判する。ここは確かに押さえた方がいいポイントかも。
渡邉さんは青い芝が問題にしてきたこととして、反差別、自立と解放、県全社の文明批判をあげ、それらの運動の一環として介護があり、介護保障のための運動という発想はさしあたり出てこない、と書く。156p
60年代の青い芝の動きなどを、おそらく他にないほど、丁寧に記述した上で(168pまで)、70年に入って、「健全社会に対峙してー地域社会と障害者」という節(168p~)をたて、減刑嘆願反対運動の記述に入っていく。
そして、それを思想として表現するものとして、横塚さんの「母よ!殺すな」を引用した上で、以下のように書く。
・・・障害者だけが努力すればいいわけではない。また健常者だけが反省すればいいわけではない。障碍者、県全社を問わず、社会を構成する一人一人がこの社会のあり方、そして自分たちの意識のあり方を一から考え直していくことを求めているのだ。横塚はしばしば、「自己とは何か」「人間とは何か」と問うている。「障害者運動とは障害者問題を通して「人間とは何か」に迫ること、つまり人類の歴史に参加することに他ならないと思う」(銅123p)そう、この視点が必要なのだと思う。
こうして青い芝の会は、健全者社会全体を巻き込んだ社会の変革運動へと向かっていく。169p
障害学が障害に関する学問ではなく、障害を切り口にあらゆる事象をみていく学問であるように、障害に関わる運動も、障害者が生きていくという先に社会全体の変革がイメージされていいのではないか。それがどのようにどの程度可能なのかはわからない。当事者からはそんなことまでかまっている余裕はないという答えが来るかも知れない。しかし、やはりそれが必要だと思う。
第4章 障害者介護保障運動史 そのラフスケッチ2──公的介護保障要求運動・自立生活センター・そして現在へ
先ほど、少し触れた東京青い芝の寺田純一さんの主張はこの章の206p~紹介されている。
障碍者運動の中には、「重度障碍者の自立の中心的課題は介護の保障である」とする考え方も強い。しかし私たちは、障碍が重ければ重い程、独立を確保するための住宅、設備器具、移動手段などの物理的条件の整備が重要であること、介助の問題もそれらを踏まえて考えなければ自立ではなく、依存を助長する結果になることを、さまざまな機会を把えて訴えてきた。1985年の障害者施設への費用徴収反対運動の中で寺田さんとかに会う機会は何度もあったと思うのだが、彼らがこんな主張を持っていることを30年後のいま、知った。そう彼らの運動で実現した八王子の自立ホームも何かの用事で行ったことがあったのだが、行ったという事実しか覚えていないなぁ。
この本では繰り返し書かれているが、
「現在では自立生活運動といえば自立生活センターが有名であるが、構図的に見れば自立生活センターの運動は要求者組合につらなる公的介護保障要求運動の基盤の上にのっかているという見方が妥当である。自立生活運動の発想だけからは、現在のような介護保障制度は出てこなかっただろう」という主張は、重要だろう。208p
前述の府中センター闘争と青い芝の関係について以下のように記載されている。
新田自身は府中センター時代に東京青い芝系列の人からかなりの支援をうkていたが、後に東京青い芝を脱退している。東京青い芝の会は介護の保障や介護者との人間関係づくりはむしろ障害者の依存を助長する結果を招くと見ていて、24時間の介護保障を求めて運動する新田のやり方には警戒心を抱いていた。後に新田とは路線対立することになる。216pこのあたりの文章は新田の「障害者も介護者を思いやる」という発想に関する記述の中に位置づけられていて、自立生活センターの運動にもその発想はなく(あったとしてもだいぶ後回しで)、新田の独特な立場として記述されている。
~~~~
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ここから100pくらい飛ぶ。
第5章 障害者運動に対する労働運動の位置と介護保障における「労働」という課題この本、メモすべきことが多すぎて、メモがなかなか進まないのだが、この章はとりわけ刺激が多かったっていうか、ぼくの問題意識と課題として重なる部分が多かった。違和感も残ったが。
1 介助・介護における「労働」問題の浮上
2 労働運動による抑圧の歴史
3 介護保障における労働問題
4 資格と専門性について
補論 ゴリラHさんの生き様
312pには「かりん燈」という介助者の会の立ち上げの話がでてくる。
自立支援法の成立で給料が下がり、将来の見込みがない暗い雰囲気のなかで離職者が増え、日々の介助がまわらなくなり、残った介助者は倒れる寸前、という状況だったという。そんな中で自立支援法反対の障害者運動は広範にあったが介助者としての運動はなかった。そして、
「障害者の自立生活運動の中で、はじめて介助者の労働問題をとりあげたのが、かりん燈」だと評価されたという。
315pでは働かざるもの人にあらず」という価値観が障害者を抑圧するという話が出てくる。これは長く障害者の雇用・就労にかかわってきたぼくがずっと考えてきたテーマに関連することでもある。
ぼくは誰もが「働ける」し「働く権利」を持っているという前提にたてばいいじゃないかと主張してきた。個人モデルではなく社会モデルで労働を規定すればいいのでは、と思う。
その人が働くことができないのは、インペアメントの問題ではなく、社会の問題だと問題を立てればいいのではないか。
そういう意味で誰でも働くことはできるはずではないか。
そんな風に考えると、青い芝の「労働者は構造的に障害者を抑圧する存在であり、労働者の中にその自覚がない限り、障害者解放はありえない」という主張は妥当ではないという結論も導くことができるのではないか。
同時に、316pに記述される「労働の価値観」を問題にすることの大切さという話でもあるだろう。この文脈では「労働が大事」という価値観が障害者を抑圧しているという類の話のようにも読めるが、ぼくが主張したいのはそういう話ではない。
ぼくも「労働が大事」という立場に立つ。同時にその労働はすべての障害者に「合理的に配慮」されながら準備されるべきだという立場だ。
「働ける」「働けない」という分断を無効にするような「労働の価値観」の転換が必要なのではないか。逆に言えば、その労働の価値観の転換がなければ、働けない人は存在し続け、「労働」から排除され続けるだろう。昔から主張しているが、その排除されている状況を前提に残したまま、「働かない権利」というようなことを主張するのは違うと思う。
で、少し驚いたのが、「夕食が4時半というのは今でも多くの施設で共通だろう」「風呂は週に2回」(317p)という記述。ほんとにそうなのか。
319ー320pには府中療育センターの労働組合の態度についての記述がある。
そこで生活する4人の障害者が職員の勤務移動に反対してハンストに突入。労組執行部は人事異動に賛成か反対かという職場全体投票にかけ、反対が上回ったが執行部判断で当局の方針をのんだというもの。これ、民生局支部だろうか?・・・・。今度、やまぼうしの伊藤さんにあった時に聞いてみよう。
そして、そのすぐ直後には民生局支部の名前が出てきて、その支部が(ヘルパー組合とともに?)新田さんらの介護料要求運動に反対したという記述がある。ヘルバー組合というのはおそらく公務員ヘルパーなのだろう(民生局支部の一部かも?)。せっかく要求して正職員になったのに、この新田さんが要求する制度が通ったら、自分たちの仕事が切り下げられるという主張。渡邉さんは、このヘルパー組合の首長は納得のいく主張だが、この言い分が通ったら地域で重度障害者が暮らすための介護保障制度ができることはなかったのである、と言い切る。こんな風に断言してしまっていいのかという思いは残るものの、少くとも介護保障の仕組みはの整備は大幅に遅れていただろうし、いまだって十分とは言えない介護保障の仕組みがどうなっていたかは予想もつかない。
このあたりに労働者・労働運動と障害者運動の桎梏の話がいくつか紹介されていて、それはその通りなのだが、上記の民生局支部、80年代中盤、多くの障害当事者が厚生省に集まった費用徴収反対運動でロジを担ったのは彼らだったということを知っている人は少ないだろうから、ぼくがここに書いておこうと思う。また、ぼくたちは「障害がある人とない人がともに」というのを、ほぼメインスローガンに掲げた福祉工場の労働組合として参加していた。ま、こっちは小さな労働組合だから注目されなくて当然なんだけど。
4節の「資格と専門性」に関する話はほんとにその通りだと思う。こんな風に書かれている。
障害者の介助をするにあたって、たいていの場合、学校で教えてもらうような専門的知識はいらない。それよりもその人とちゃんと向き合い、その人の話が聞けるかどうか、そしてその人から信頼されるかどうか、そちらのほうが重要である。わからないことがあったら、その都度本人かだれかに聞いて試行錯誤すればいい。そのうち落ち着く。そう社会福祉士の過去問題を見る機会があったのだが、こんなふうに人の名前を覚えることになんの意味があるのかと思わせるような問題がそれなりに含まれていた。
(中略)
介助者・介護者に何らかの研修が必要だとしたら、それは、障害者の地域自立生活の保障のための研修だろう。現在のところ介護福祉士の講師陣には地域自立生活の保障に関わっている人はほとんどいない。研修課程の中にも地域自立のことはほとんど含まれていない。
私たちに必要なのは、現在地域生活が難しいとされている重度の知的障害者、身体障害者、高齢者がいかに地域生活を実現・継続していけるか、についての研修だろう。
あるいは、そのうち施設送りになりそうな障害者、高齢者がいかに地域で暮らし続けていけるか、それを学んでいくことが必要だろう。 338p
第6章 障害者自立生活の現在的諸相──介助者・介護者との関わりのあり方から見て
から
「力の強い自立生活センターがある地域は介護保障が充実している地域…逆に言えば…ない地域は介護保障がきわめて弱い」357p
大田区には自立生活センターはないので、どこかがその機能を果たす必要があるのだろう。宮原さんのところか風雷か。
知的障害者の介助について、当事者の責任はどれくらいで、介助者の責任はどれくらいか?(この本、地の文章と引用の境目がけっこうわかりにくいのだが、ここもわかりにくい部分で、基本はグッドライフの末永さんの考え方が紹介されていると思いつつも、ちょっと判然としない部分が残るが、以下、ちょっと要約して引用。)
ちょっと考えると、50対50くらいかなと思うかもしれない。けれど、彼らの考えでは
、障害者の責任と介護者の責任は100対100.「利用者には人としての責任、生活の主体としての責任があり、介護者には仕事として介護をする責任がある」(末永2008:209)
・・・
自分の責任できちんと判断ができる介護者を育てていくという意味でも、障害者の自立を進めていく事業所は介護者の自立も進めていかなければ成り立たない。ここでいう介護者の自立とは一つには親元からの自立だが、もう人るには考え方の部分で経験を積んで、利用者の意向も事業所の意向も十分に理解しながら、そのどちらかの意向に従うのでもなく常に自分自身で判断ができる介護者、これこそが自立した介護者のイメージ(同:211)370-371p
おそらく部分的な介助で自立生活を営んでいける人々には時給制の介助者でいいだろうが、生活全般にわたってトータルな支援が必要な人の場合はそはいかない。373p
スウェーデンの自立生活運動の先駆者アドルフ・ラッカ
規制や規則に満ちているようなホームヘルプ制度を「移動施設」「動く施設」とみなした。
「『移動』施設には注意せよ。施設は煉瓦とモルタルでできている必要はない」380p
ここに7項目の施設の定義が引用されている。
・ほかに選択肢がない
・誰がどんな任務で介助しようとしているのか、選べない
など
6章補論1(387p~
ここでは民間事業所からの支援での自立生活について書かれている。そういう事業所では障害者のことを「ご利用者様」「お客様」として扱い、障害者本人の社交性をそいでしまうというような危惧も。
自己決定の前提となる社会経験の問題も問われる。乏しい経験しかない中でお客様として扱われ、自己決定を尊重するという美名の元で、成長する必要はなくなる。そのように「お客様化が進展していく中で、もう一度障害者も事業所も介助者も自立や自己決定ということを考えたらいいと思う」というのが渡邊さんのここでのとりあえずの結論となる。
補論2はメインストリーム協会の話だ。渡邊さんはここを「おそらく今日本で最も元気で楽しい自立生活センター」として、滞在したときのことを報告している。393ー397p
ここは「一緒に社会を変えていこうという運動する仲間」。それは障害者も非障害者も。そして、そこでの信頼関係を持つことの大事さが書かれている。そこでは信頼関係のもと、何でも話せるような関係を目指していると。398p
「あとがきにかえて」では各章を振り返っている。
1章について振り返った部分の結語で渡邊さんは以下のように書いていて、同感だった。
わたしたちは、弱さや揺らぎを抱えた個々人の多様な生き方をもっと肯定していってよいのではないだろうか。(中略)障害者の生き方の多様性を肯定していくのと同時に、健常者らしからぬ介助者たちの多様な生き方を肯定していく道筋があった方が、世の中と、そして人生が楽しくなっていくだろう。411p
6章を振り返った部分の以下の問題提起も興味深い。
おそらく、自立生活運動は今分岐点に来ている。これまで自立生活、当事者主権ということで、運動が強く推進されてきたけど、現場では、むしろポスト自立の問題がテーマになっている。施設や親元を出る、それは確かに自立である。けれど、その先になにが待っているのか。現在、「無縁社会」、「孤立」が社会問題となっている時代である(さらに手のかかる患者などは病院から在宅への追い出しがはじまっている)。人とのつながりをいかにつくっていくかが新しい時代のテーマだろう。
自立は、「~出る」ということだけが至上の価値ではない。やはり「出てその先」を求めて出るのである。その先の関係こそが自立の内実を決めていく。414ー415p
この直後に渡邊さんは小佐野彰さんの「「障害者」にとって「自立」とは何か」(現代思想 第26巻第2号)を引用した後に「自己決定というだけではない自立の社会的側面にこそ、これからますます注目していかなければならないのだろう」(416p)として、「施設、家族、健全者への依存を徹底して否定していく自立」と「新しい出会いを求めて相互変革していく自立や双方の思いやりを徹底させた自立」この
「両者のダイナミズムをまるごと見る必要がある」(417ー417p)という。
一人一人の暮らしの中にこのダイナミズムはあり、それは障害者の暮らしに限らない。ただ、そのダイナミズムを障害者の暮らしが可視化してくれるという側面もあるように思う。それが、障害学の重要なテーマであるようにも思う。
一人一人の暮らしの中にこのダイナミズムはあり、それは障害者の暮らしに限らない。ただ、そのダイナミズムを障害者の暮らしが可視化してくれるという側面もあるように思う。これは障害学の重要なテーマではないか。
~~以下追記部分~~
これだけではわかりにくい面もあるかもしれないので補おう。この部分を花崎皋平さんの『生きる場の哲学』に即して書くと、人間には自由の拡大と類的共同性の回復という二つの価値軸があるという話であり、渡邉さんが「自立」(生活)を考えて、その両方の価値がせめぎあうダイナミズムが見えてきたということだと思う。。
花崎さんはこの『生きる場の哲学』を1980年頃書いて二つの価値軸のうち、後者の価値があまりにも顧みられない現代社会の問題を告発しているのだが、そこから40年近く経過して、21世紀という時代に入った。21世紀という時代は、後者の価値をちゃんと社会の中に位置づけなければ、人類が類として、生き残っていくことさえ、困難になっている時代だと呼べるだろう。
とはいうものの、この前者の価値を捨てていいわけではない。その両者の相克を生き抜くことは現代の重要な課題の一つだということができるはず。その両者のダイナミズムを生きるということにどのような困難が存在し、また、どのようにそのダイナミズムを統合するのかという課題が、障害者の自立生活を考えていくことで可視化されるのではないか。
渡邉さんに限らず、この自立生活の二つの側面のダイナミズムという課題をぜひ深めていって欲しい(他力本願だけど)。障害を切り口に現代社会全体が抱える問題を照射するという「障害学」の果たすべき役割が、そのあたりにもある。
~~追記ここまで~~
さらに興味深い記述が続くのだが、この後、著者は「ケア」と「介助」について、「その行為が外見的には同じに見えても、おそらく他者に対する意味合いがまったく変わってくるだろう」と主張し、以下のように書く。「「介助者」は自分を消去し他者の手段となる存在である。他方「介護者(ケアラー)」は他者から求められ、他者を助ける存在である」
ここは微妙だなぁと思う。おそらく、ここにつっこめば、それだけで1冊の本が書けそうなテーマだし、深田さんの新田論のテーマともつながるものだろう。どこまでこんなふうに分けることが可能なのか。そもそもこのように分けるためのメルクマールは何なのか。
渡邊さんは「このどちらか一方だけを強調しすぎるのはとても危険である」として、見田宗介の「社会学入門」(岩波新書2006:173)での他者の二面性の部分を援用する(417p)。
この2面性のダイナミズムは実際の暮らしの中で行ったり来たりして、失敗しながらも、つきあい続けるしかないようなものでもあるだろう。大きくいってしまうと、それが「生きる」ということなのかもしれない。
そして、こんな風にこの部分が閉じられる。
わたしたちはそんなに上手に生きられないし、コミュニケーションだって得意ではない。すぐに新しいことに適応できるわけでもない。それでも、時間をかけてじっくりわたしを認めてほしい。そうしたつながりをゆっくりゆるやかにでもつくっていけたらな。419p
メモここまで
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