「生活保護法の目的における二面性について」

以前書いたレポートシリーズ
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低所得者に対する支援と生活保護制度

「生活保護法の目的における二面性について」
~二つの目的を指摘したうえで所得保障と対人援助の関係にも言及して論述しなさい


1、生活保護の目的における二面性とは

生活保護法1条には、その目的として「日本国憲法第二十五条に規定する理念に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること」と記載されている。つまり、目的の前半では所得保障について書かれているが、後半では自立の助長も図るとされている。これが目的における二面性である。

2、「自立の助長」の背景にあるもの

これに関する教科書62頁の記載は興味深い。ここで紹介されているのは「自立の助長」が導入された背景として惰民養成排除を挙げる場合があるが、本来の自立助長の意味は、本人の内的な可能性を発見し助長育成することであり、惰民養成の排除ではないという説である。

自己責任が強調される現代日本社会で、生活保護による所得補償が惰民を養成しているのではないかという批判がある。それへの反論としての「生活保護では所得補償と同時に自立の助長がその目的となっている」という主張があり、それはわかりやすい。しかし、このように答えると、「自立の助長」という主張の背景に「惰民養成の排除」のロジックがあると受け取られかねない。そうではなく、惰民養成の排除のためというロジックを明確に否定した上で、自立の助長は本人の可能性を発見するためだというこの教科書での説明に感銘を受けた。

3、対人援助の視点としてのエンパワメント

生活保護を受ける者への対人援助の視点として、当事者が尊厳を維持することや支援者は当事者の存在をリスペクトして対応することは欠かせない。そのためにも、自立の助長という目的の背景にあるのは、惰民養成の排除のためではなく、本人の可能性に着目するためのものだという指摘は有効だろう。

生活保護の所得補償で本人の尊厳ある生活を支えながら、自らが「本人の可能性を発見する」ということこそ対人援助の肝ではないかと考える。本人が「本人の可能性を発見する」というのはまさしくエンパワメントのプロセスである。

生活保護不正受給が大きく報じられる中で、福祉事務所が警察OBを導入し「不正受給≒惰民の排除」にばかり力を入れているように見えることも多い。もちろん、生活保護への不当な非難をなくしていくためにも不正受給の排除が必要なのはいうまでもないが、ソーシャルワーカーによる対人援助の目的がそこにあるわけではない。

生活困窮者に対して、生活保護による所得保障で本人の尊厳を持った生活を支えながら、本人が「本人の可能性を発見する」というエンパワメントのプロセスを支援すること、その気づきをファシリテートすることこそ、ソーシャルワーカーが対人援助においてめざすべきことなのではないかと考える。
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