損か得かが多くの人を動かしているのでは?


『ふと思った。要するに、従来のメインストリームの価値観の反対方向に向かうことのほうが自分にとって得だと思えないとダメなんじゃない? 』


とフェイスブックに書いた後で、この考え方を電車の中でポメラを使って、整理していた。
すると、その直後にタイミングよく、武藤一羊さんから「 意味不明。乞う解説。 」というコメントが入ったので、仕事が終わった(を終わらせた)いま、ポメラから取り出して、少し書き足して、コメント欄に書いたのだけど、ノートにも残しておこうと思ったのが以下。
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ぼくは山之内靖ヴェーバーの信奉者というか、あの岩波新書以外のヴェーバー理解を知らない、ということが前提なんですが、山之内さんのヴェーバー理解の肝は以下の有名なフレーズだと思うのです。
 「人間の行為を直接的に支配するものは、利害関心(物質的ならびに観念的な)であって、理念ではない。しかし、「理念」によってつくりだされた「世界像」は、きわめてしばしば転轍機(ターンテーブルのルビ)として軌道を決定し、その軌道の上を利害のダイナミックスが人間の行為を推し進めてきたのである。」

これを書き換えると、こんな風に言えるのではないでしょうか。
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人間の行動は、基本的にそれがその人にとって損か得かで決まる。しかし、何かが臨界点に達して、大きな流れが変わったら、その損か得かの価値軸が動くのだ。
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金を儲けた奴がえらい、たくさん儲けることがいい、スピードは早い方がいいし、人は強い方がいい。そういう会社の論理から離れて、自由に振る舞うのは危ない、というような価値感からの転換で社会は変わるのかもしれない。市井の多くの人がお金や仕事より大事な物があると、いまでも思っているはず。しかし、その価値を中心とする生き方に転換する具体的な手だてを持っていないし、今の仕事を失うのは怖い。だから、メインストリームの価値観からなかなか自由になれない。

ほどほどに仕事して、プライベートを充実させよう。ちょっとくらいの不便なら地球を長持ちさせたほうが、自分にとっても得だ。民主主義はちょっと面倒だけど、大切にする必要がある、と多数の人が思えるようになれば、社会は変わる・・・・と思いたい。

社会を急激に変えるという企てはうまくいかないという教訓をぼくは20世紀の失敗から受け取った(そのことが正しいかどうかは知らないが)。

社会や価値観は作為的に変えようとしても、徐々にしか変わらない。しかし、その量が一定のレベルを超える(臨界点に達する)と変化のスピードは変わるかもしれない。
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そんな風に思ったのですが、説明になったでしょうか?

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