エンパワメント・アプローチの定義と、その援助方法について

昔書いたレポートシリーズ

追記、レポートをアップした中で、これが一番読まれている。で、評価は・・・末尾で

科目名 相談援助の理論と方法② 

エンパワメント・アプローチを定義し、その援助方法について事例を通して説明し、あなたの考えを述べなさい

 教科書には相談援助におけるアプローチとは「クライエントやクライエントを取り巻く問題への接近方法ないし、その研究方法を意味する」と記載されている。私は相談援助におけるエンパワメント・アプローチを「接近方法ないし、その研究方法」としてというよりも、相談援助によって、クライエント自身が問題を解決するための支援方法として捉えたい。エンパワメントについての定義はさまざまあるが、エンパワメントを森田ゆりさんのシンプルな定義で考えることが相談援助にとても役に立つと考えている。その定義とは以下のようなものだ。

「エンパワメントとは『力をつける』ということではない。それは外に力を求めて、努力して勉強してなにものかになっていくということではなく、自分の中にすでに豊かにある力に気づき、それにアクセスすること」

「エンパワメントとはまずもって一人ひとりが自分の大切さ、かけがえのなさを信じる自己尊重から始まる、自己尊重の心は自分一人で持とうと意識して持てるものではない。まわりにあるがままのすばらしさを認めてくれる人が必要だ。無条件で自分を受け入れ、愛してくれる人が」

 教科書に記載されているエンパワメントの説明とはニュアンスが異なる部分もあるが、私は上記にエンパワメント概念の核心部分があると考える。
 この定義に即した相談援助の例として、思い出したのがカンボジアのNGOで働くメアス・ニーという人が書いた『壊れた籠』というブックレット。以下にその一部を引用する。
「村は、粉々に砕け散った籠のようだ。かけらはそのまま残っているけれど、その気になって見なければ見えない。壊れた籠はゆっくり時間をかければ編み直すことができる。それができるのは村人といつも一緒にいて、信頼関係を築くことができた者だけだ。
そう、ゆっくり、注意深くやれば、編み直すことができる。そしていつかは村人自身が編む人となり、この仕事をもっと、もっと進めるのだ。こうして、籠は前よりもずっといいものになる」

「貧しい人と一緒に腰を下ろしてその言葉に耳を傾ければ、それがその人の自信を深めることになる。時には間違ったことを言うこともある。でもそれを責めてはいけない。生きようとしているのだから。(中略)。責める代わりにこう言ってみよう。
『ちゃんと食べているじゃないか。問題があったって、こうして生きているじゃないか。どうやっているんだい?』」

 ここにエンパワメントのエッセンスがある。エンパワメントとはその人が持っている力を信頼すること、そして、待つこと。その力が抑圧や不平等によって見えなくさせられている場合に、それを本人が超えていくための手助けをすること、押し付けるのではなく、その人の気づきを促し待つことが重要だと考える。


参考文献 『エンパワメントと人権』森田ゆり著
『壊れた籠』メアス・ニー著JVC発行1996年

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さすがに、この引用だらけのレポートの評価は高くなかったようなおぼろげな記憶。

いま、見たら、評価はCだった。

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