『解放のソーシャルワーク』についての質問とそれへの横田さんからの返答
「『解放のソーシャルワーク』(第1章までのメモ)」について
目黒区の平井さんが紹介していた『解放のソーシャルワーク』を読んで1章分だけのメモ書いて、わからなかった部分について、著者の横田さんのメールアドレスが大学のHPで公開されていたので、以下の質問を送ったら、素敵な返事が来て、いま、とてもうれしいです。以下に質問と書いていただいた返事を転載。
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目黒区の平井さんが紹介していた『解放のソーシャルワーク』を読んで1章分だけのメモ書いて、わからなかった部分について、著者の横田さんのメールアドレスが大学のHPで公開されていたので、以下の質問を送ったら、素敵な返事が来て、いま、とてもうれしいです。以下に質問と書いていただいた返事を転載。
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初めまして。
**といいます。
障害者の就労支援の仕事をしています。
ホームページでアドレスをみつけて、メールさせていただいています。
知り合いに紹介されて、『解放のソーシャルワーク』を読ませていただきました。
とても刺激の多い素敵な本でした。ありがとうございます。
同意できたところは多々あったのですが、それを書いても面白くないので、それ以外の部分についてです。
いくつか気になったことがあったので、もし、お時間があれば教えてください。
いちばん気になったのは
3 エンパワメント概念の理解を伴うアクション志向の実践的経験
開発学的視点からの人権概念の再検討
の部分です。
32ページには以下のように書かれています。本節で展開しているエンパワーメントの捉え方に依拠するならば、実践者が身につけるべき視点は人々のニーズの問題化やそのアセスメント、充足にあるのではなく、ユーザーに代表されるヴァルネラブルな人々の人権(政治権・経済権・社会権・文化権)に責任を持つ担い手の変革を促す方に重点が置かれなければならない。
これは違うと思うのです。 ソーシャルワークに求められているのは、今抱えている生きづらさをまず軽減することではないでしょうか、
責任を持つ担い手の変革を待ってはいられません。
例えば、私が実際につい先日、経験したのは、40歳で介護保険の適用を受ける特定疾病の人の話です。その人たちは「介護保険優先」の原則を厳格に適用する福祉事務所の下では、たとえ生活保護でも1割負担が求められます(生活保護の場合は保護費から出るのですが)。
他の理由で障害者になった人は障害福祉サービスを使うので、多くの場合自己負担がないのだけれど、介護保険を使う場合はいつも自己負担がつきまとい、いろんな事情で生活保護を受けていない低所得者も1割の負担が強いられます。これはおかしいと思って、区や都に電話したのですが、結局、仕組みがそうなっているから変えられないとのことでした。そこから先、制度の改変を求めて運動を起こすことまで求められても、ソーシャルワーカーとしてはちょっと厳しいのではないかと感じたわけです。
しかし、先生は「責任を持つ担い手の変革を促す方に重点が置かれなければならない」と書かれているわけですが、どう考えたらよいのでしょう?
教えていただければ、幸いです。
上記の内容も含む無駄に長い読書メモをブログに残しています。
もし、時間があれば、ご笑覧いただければ幸いです。
https://tu-ta.seesaa.net/article/201812article_5.html
いきなりのメール、失礼しました。
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Keiko Yokota
12:11 (8 時間前)
To 自分
鶴田様
初めまして。
ご感想をいただきありがとうございます。
「解放の~」は、かなり前に上程したもので、当時の私は、いわゆるイギリス~オーストラリアで盛んだったラディカル・ソーシャルワークにかなり入れ込んでいました。メールで引用してくださった「32ページ」などは、あらためて(突きつけられて・笑)読むと、若書きだなあと恥ずかしくなるとともに、当時、何を必死で伝えようとしていたかもありありとよみがえってきます。
あの表現の行間にはいくつか社会的・時代的な背景が関係しています。
これを書いた当時(2000年前後)は、まだ日本のソーシャルワーク「実践」は、1960年代のアメリカで流布していたいわゆる「心理主義」を輸入した1970年代の痕跡を消せないままでした。すなわち「なぜその問題をこの人がこのような形で抱えることになっているのか」をより大きな文脈で見ようとせず、ひたすら「目の前の問題の『解決』」のみが謳われていたこと、そしてそれが臨床心理学と区別がつかないような方法論や理論的枠組みで説明されていたこと・・・などがだ、当時の私の中ではとても大きな不満(=怒りに近かった)でした。
当時の有名大学・主要な福祉学科では、アメリカ帰りの臨床心理士や、その先生がたの薫陶を受けた「我こそが実践家である」という顔をした人たちが、自分たちの(ただ習ってきただけの)実践理論をまったく振り返ることもなく、疑問も持たず、平然と「福祉教員」として教鞭をとっているような時代でした。(今でもまだ退職ぎりぎり年齢で残ってる人もかなりいますね。有名どころとして。)
自分自身も1990年代末までは臨床心理士でしたし、その肩書でいわゆる「現場の」人間だったのですが、国家資格化をめぐって紛糾する心理の先輩たちを見ていてその視野の狭さにへきえきしていたのと、同時期に薬害エイズ事件の原告団・血友病の人たちと一緒に仕事をするようになったりして、(その後もまあいろいろあって)、なぜか社会福祉専攻で博士課程に社会人として入りなおしたのですが、入学して心底あきれ返ったのが、上記に書いたような「ソーシャルワークの臨床心理士化」ともいうべき、ミクロな現場中心の、まともな理論すらない(=いや、使っている理論を自明のものとして、批判的に検討することすらしない)実践教育だったわけです。
そんな中、偶然、1999年にオーストラリアの研究者が書いた著書を所属の大学図書館で見つけ、その先生にコンタクトを取って、いきなりメルボルンへ行ったのが2000年。その後10年くらいはたびたびメルボルンやパースを行き来して、オーストラリアの社会福祉実践理論の研究に熱中していました。
「解放の~」で寄稿してくださっているマルクス系批判理論の加茂先生ともそのご縁です。あと、同じく寄稿してくださっている同志社の木原先生からは、「実践におけるスピリチュアリティ」を考えていく上で、今でも大きな刺激をいただいています。
あれから自分自身が変わってきた点と、変わらず持っている価値観と両方あると思っています。
変わった点は、ソーシャルアクションやエンパワメントに関する政治的な関心から、福祉実践で使われている概念そのもの(「正義」とか「ケア」とか「人権」、「自由」・・)を、哲学的に、徹底的に見直す作業に自分の仕事の関心が移ってきたことでしょうか。
変わらない点は、最前線で「いま、ここ」の問題に対峙して逃げずにおられるワーカーさんたちへの尊敬の念だと思います。
だからこそ私は、「福祉の専門家だ」と自他ともに思い込んで専門知を教えているつもりになっている、多くの(ほとんどの)福祉・特にソーシャルワーク実践分野の教員たちに「非常に」批判的です。
そういう人たちが1970年代以降、質の悪い福祉学とソーシャルワーク理論を再生産し続け、日々現場で奮闘している人たちを知的な枠にはめてしまって搾取していることに怒りをもっているのも、昔と変わらないかもしれません(苦笑)。
最前線で人びとに寄り添い実践するワーカーさんだからこそ、福祉学とかソーシャルワーク理論などという浅薄なこの学問領域全体に疑念を持ってほしいし、研修会などで一方的に『自明のこと』のように講師などが言う数々の方法論やそれがよって立つ概念そのものを、しっかりと疑ってほしいと思っています。
実践~理論的枠組み~政治性・・・それらすべてを自ら批判的に吟味して、『深みとすごみを併せ持った実践家』に育ってほしい。そういう人こそが、目の前の人(クライエントさんの場合が多いでしょう)の力になれるし、それと同時に、その人の在り方を自分の力にすることもできると、あの本では書いたつもりですし、今でもそう思っています。
極言すると、社会福祉学とかソーシャルワーク理論などというものは「ない」のです。哲学・心理学・社会学のパッチワークにすぎないですよね。研修会や学会などでいろいろと言っている「センセイ」がたの多くは、自らの無知にすら気づいていないだけです。
若い人を教えることが主な生業となってから20年くらいになりますが、自分自身、今もって医療ソーシャルワークの現場にいることもあり(=私は肺がん緩和ケア病棟とHIV感染症という、割とニッチなところにずっといます)、現場で日々「日常」と向き合っている人びとと共にありつづけるような言葉を紡いでいきたいなあ。。。と、(これはかなり大それた)望みはまだ持っています。
・・・ということで。
お尋ね頂いた引用個所については、
まずは「そのとおりです。」とお答えすることになるでしょう。
ですが、目の前の人の生きづらさを軽減するという待ったなしの手当てをしつつも(鶴田さんご自身のクライエントさんのお話しをしてくださっていますように)、よく直面するのが「条例は変えられない、制度の対象ではない・・・・などなど」の壁に囲まれ、根本的な解決に至らないという現実だと思います。
たいていの現実(問題)は、法や制度の隙間に生じますものね。社会そのものの写し鏡だから、過去に立脚した制度は、どうしても現実の後追いになってしまいます。
理念としてのソーシャルワークは、「目の前の人の困難を解決しつつ、その事例が語っている(まだ問題化していない)ニーズをとらえ、それを社会問題として描き出して制度政策の担い手に示し、共に解決志向の対話を行う」ところまでだと今も思っています。(あ、あくまでも、理念・・・ですよ。)
理念はあくまでも理念であり、現実には無理、というのも、その通りだと思います。一人では難しいし、だからと言ってたくさん集まってデモすればいい、ということでもない。
妙な言い方かもしれませんが、だからこそ、上記に書いたようなこと、すなわち「自分自身がソーシャルワーク実践理論の枠組みを外れて学び、考えてみること。その結果として、さまざまな分野の知と行動を融合し、示せる人になる」ということが意外に大事になってくると思うのです。
私が関わっているHIV診療のソーシャルワークは、患者でしかもエイズウイルスに感染させられた人々が、有象無象の専門家を利用し(そして逆に専門家集団から搾取もされ、傷つきもして)、ついに患者団体代表が毎年厚労大臣と面会し、医療施策に関する要望を突きつけるところまで至りました。そのときに患者の側にいたソーシャルワーカーたちが行った数々の実践を、私はひとつの現実的なあり方だったと思っています。(その後の20年に関しては、私は彼・彼女らとは考えを異にしていますが、1990年代前半の行動に関しては、ひとつの専門職としての在り方としては認めています。)
なんだかまとまりない書き方になりましたが、お考えを進める上で何かの役に立ちますでしょうか。
良い新年をお迎えください。
横田恵子
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横田 恵子 (YOKOTA, Keiko)
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