『「当たり前」をひっくり返す』メモ(後半)
第6章 「ニィリエは自分で考えることを教えている!」
この章では、最初に1970年にFUB(スウェーデンの全国育成会のような組織)の総会と同時に開催された、当事者だけが発言を許される集まりででてきた意見が紹介される。そして、ここでさまざまな意見が出てきたことが、ニィリエがFUBを去るきっかけとなった。そのように意見が出ることを恐れた親たちは彼らがコントロールされるべきであると考え、FUBとして、ニィリエのノーマライゼーションの原理はFUBの基本方針ではなく、若者たちは親にコントロールされる、という方針がニィリエに通達された。そこでのニィリエへの批判が「ニィリエは障害者に自分で考えることを教えている!」というものだった。115p要約
119p~は北米でのヴォルフェンスベルガーによるノーマライゼーションの原理の「改竄」について記述されている。日本語ではヴォルフェンスベルガーが先に(1982年)に紹介され、1998年にニィリエの本が紹介されるまで、そのヴォルフェンスベルガーが書いたものがノーマライゼーションの教科書にされていたとのこと。では、どのように「改竄」されたのか。
まず、ヴォルフェンスベルガー
・・・対人処遇の手段は、できるだけ独自の文化を代表するようなものであるべきであり、逸脱している人(その可能性のある人)は、年齢やせいという同一の特徴をもつ人たちの文化に合致した(つまり、通常となっている)行動や外観を示しうるようにされるべきだ、ということである。(1982:48-49p)
これを受けて、竹端さんは以下のように書く。
・・・ニィリエの原理には一言も出てこない「逸脱している人」「規範」「可能な限り文化的に通常であるし身体的な行動や特徴」という表現が出てくる。これは、「再定義」どころか、全くの書き換えであり、ニィリエの原理の「改竄」である。 120-121p
そして、125pに引用されているニィリエからの反論は明確だ。
ノーマライゼーションとは、正常という意味ではないのだ。これは、人間を”ノーマルにする”べきであるという意味ではないのだ。これは、誰かに誰かの特殊な基準(例えば隣人の51%の人たちがすることであるとか、”専門家”が最善であると考えること)に従うような行動を強制されるという意味ではないのだ。これは、知的障害のある人が”ノーマル”であるべきとか、その他の人たちと同じように振る舞うよう期待されるという意味ではないのだ。ノーマライゼーションとは、知的障害者が、可能な限り社会の人々と同等の個人的な多様性と選択性がある生活条件を得るために、必要な支援が可能性を与えられるべきであるという意味だ。ノーマライゼーションとは、”ノーマル”な社会で、障害も一緒に受け入れられ、他の人たちと同じ権利と義務、可能性を持っているという意味だ(ニィリエ、2008:178-179p)
第7章 相手を変える前に自分が変わる
この章の冒頭である会話が引用されている。
「・・・あの人たちを理解していないのは、あなたの方じゃないの、パウロ?」そう言って 、エルザは付け加えた。「あの人たち、あなたの話はだいたいわかったと思うわ。あの労働者の発言からしても、それは明瞭よ。あなたの話はわかった。でも、あの人たちは、あなたが自分達を理解することを求めているのよ。それが大問題なのよね。(フレイレ2001『希望の教育学』:34p)
これは1950年代の後半にフレイレが貧民居住区で親たちが子どもに体罰をしないように求めてのレクチャーで40歳くらいの男性から「ぼくたちがどんなところに住んでいるか、ご存知ですか」と問われたことを契機にした妻との会話。フレイレはその時、話しかけるだけで彼らから学ぼうとはしていなかった、それを振り返ってこんな風に言う。
「ぼくたちは学ばねばならなかった。進歩的な教育者は、すべからく民衆に語りかけねばならぬときも、それを、民衆に、ではなく、民衆との、語り合いに変えていかねばならぬのだと」137p
第8章 オープンダイアローグとの共通点
「この章では、オープンダイアローグに関する解説を簡単にした上で、バザーリアやニィリエ、フレイレの実践とこのオープンダイアローグがどのように交錯するのかを整理してみたい」
として、ここではまず、オープンダイアローグのふたつの流れが紹介される。
一つは急性期に介入して、本人が望む人が出席して、本人が望む場所で毎日のようにミーティングを続ける中で、急性症状が治り、入院を防止したり 、投薬を減らしたり/時には投薬しなくても精神症状は治る、という精神科領域での治療を目的としたオープンダイアローグ(OD)。
もう一つは、精神科のみならず、福祉や教育などの数多くの専門機関が関わる「困難事例」と呼ばれるケースに関して、ファシリテーターが関わることで、その「困難さ」を解きほぐし、次の一手を見出すことができる「未来語りのダイアローグ(AD Anticipation Dialogue)のこと。153-154p
・急性期の精神症状を持つ人には、治療目的を持つ医療チームによるODが役に立つ。
・支援困難事例とは、緊急性を帯びてはいないけれど、放っておくと大きな問題になる、という意味では重要性が高い事例である場合が多い。このようなグレーゾーンの心配事の場合、ADのようなやり方が役に立つ。(グレーゾーンというのがよくわからない)
そして、竹端さんは、自らが研修を受け理解を深め経験する中で「これ(AD)が精神医療だけでなく、福祉現場のパラダイムシフトになりうる、と感じ始めている」という。155-156p
社会資源の不足や家族関係のこじれ、あるいは支援の見通しが立たない等、対象者(やその家族)に関する支援者の「心配事」が高まったときこそ、「関係性の中での心配事」を意識する必要がある。なぜなら、その「心配事」を構成しているのは対象者だけでなく、「そう感じる支援者の私」も、構成要素の一部分であるからだ。
だが多くの支援者は、「問題の一部は自分自身」であるとは考えない。だからこそ「関係性の中での心配事」の 度合いが大きくなると、どうしてよいのかわからなくなり、入所施設や、精神病院への「丸投げ」という選択肢を安易に選ぶ可能性が高くなる。これは、半世紀前でも今でも、残念ながら地続きの思想である。一方、半世紀前から、この「関係性の中での心配事」について自覚的だったのが、…取り上げてきた3人の先達である。156p(強調文字は引用者)
以下はウェブに掲載されている竹端さんの文章から
未来語りのダイアローグ(AD)とは
ADのプロセスとは、おおむね次のようなものである。社会関係がうまくいかず・つまづき、支援者が介入するもうまくいかない「困難事例」に関して、「当事者(家族)の『問題』」に焦点を当てず、「支援者の『心配事』」に焦点を当て、それを解決するために、当事者や家族、支援者などの関係者に集まってもらう。そして、想起(anticipation)すべき未来を当事者と決めた上で、例えば1年後と決めると、次のように聞く。(1)「一年がたち、ものごとがすこぶる順調です。あなたにとってそれはどんな様子ですか?何が嬉しいですか?」(2)「あなたが何をしたから、その嬉しい事が起こったのでしょうか?誰があなたを助けてくれましたか?どのようにですか?」(3)「一年前、あなたは何を心配していましたか。あなたの心配事を和らげたのは、何ですか?」
この3つの質問について、ご本人だけでなく、ご本人に関わる支援者にも一人ずつ話してもらう中で、みんなの心配事だけでなく、希望する未来に向けての具体的な行動が明らかになり、本人と家族や支援者の関係が大きく変わり始める。
・・・これだけ聞くと、ほんまかいな?と疑いたくなる。僕も半信半疑、というか、「そうなればいいけど、1回のミーティングでそんな変化が生じるだろうか」と半信半疑だった。だが、実際の事例を通じての「ライブダイアローグ」のセッションの場面で、ACT-Kの利用者さんと支援者達が、トム&ボブの二人のファシリテーターに上記の3つの質問をされて話し合う場面を別室からの映像越しに眺める中で、本当に「ほんまかいな」の出来事が「ほんまに」起こっていったのである。これが、最大の驚きだった。
そして、とりわけぼくが読まなくではいけないと思ったのが、以下の部分だ。
対話的関係性対話とは、「言うは易く行うは難し」である。相手が何かを話しているとき、自分がそれに関して言いたいことが出てくると、相手を待つことができず、あるいは相手の話を受け止める前に、ついつい自分が言いたいことを先に行ってしまうのである。これは、対話のフリをしていても、本当の対話ではない。「オープンダイアローグ」では、このような関係性を指して、「モノローグ的対話」と呼んでいる。モノローグ的対話では、話し手はいつも自分の言っていることを正当化して、弁護する立場になる。この種の会話には権力関係が入り込みやすく、「これこそが正しい答えだ」と決める権限をもつ者がしばしばあらわれる。〈対話〉で重要なのは、応答が新たな意味をつくりだすことである。 共に考えるという領域に移行するのだ。対話的発言は、語られたことに応答して新たなパースペクティブが開かれることを期待する。 (『オープンダイアローグ』セイックラ&アーンキル著2016年日本評論社113p)163p
この「対話的関係性」こそ、フレイレが追い求め続けてきたこと(165p)
第9章 批判的な探求者
ここに書かれている竹端さんのフレイレを援用した授業の紹介が興味深かった。
僕の講義では、子どもの貧困や、ひきこもり、ワーキングプア、自殺や過労死、「ゴミ屋敷」……など様々な社会問題を取り上げた番組を毎回見てもらう。「その場面の構成要素とその相互作用をわかりやすく表した」番組は、朝にある問題の焦点に関する「コード化」がなされたものである。映像を見る前に、その日の主題テーマに関する自分自身の価値観をワークシートに書いてもらう。「ホームレスは怠けている人なのだろうか?」などといった簡単な問いで。その上で、「コード化」された番組を見ながら、学生たちの「状況を批判的に分析する」ために、「脱コード化」を促進するという含んだワークシートに書き込んでもらう。映像を見た後、そのワークシートに基づき、学生たちにマイクを向け、対話を始める。すると、隣の人とおしゃべりをしたり、寝ていた学生たちも、コミュニケーションに加わるようになり、やがて「 気持ちを通じさせる」こともでき始める。これが、問題解決型教育の肝でもあった。(中略)僕の授業では・・・、学生たちが「脱コード化」していくプロセスを支援する、という感じである。「ゴミ屋敷」やホームレスなど、社会的に排除される存在に関する「コード化」 された番組を見ながら、「自らの前に現れる世界を、自らとの関わりにおいてとらえ、 理解する」営みに学生を誘う。学生たちはそれまで「現実は静的なもの」であると思っていたが、ホームレスや「ゴミ屋敷」の当事者、認知症のご本人、元ひきこもり当事者など、様々な当事者の語りを見聞きする中で、「現実は変革の過程にあるもの」と捉え始めるのである。176-177p
ここのカギかっこで括られた部分の多くはフレイレの『被抑圧者の教育学』(107-108p)からの援用。
この章はこんな感じでフレイレを引用して、自分の授業での様子と当てはめる形で進行する。授業での学生の変化について、こんな風に書かれている。
銀行型教育になれていた学生たちは、社会問題に関しても、〇✖式の問題のように一つの「正しい答え」があると思い込んでいる。だが、現実にはその「正しさ」で排除された存在の声を聞く=「反」のプロセスを通じて、「正 」というコード化への批判的思考を始め、自分たちなりの脱コード化としての「合」が始まる。それこそ、「変革の過程」のスタートなのである。(178p)
毎回、レジュメは用意するが、学生たちのコメントや発言に応じて、授業の展開をどんどん変えていく。彼女ら/彼らの発言を黒板に整理しながら、その内容を深める問いかけをし、時にはグループや隣同士でそのテーマについて話し合ってもない、更に議論を深める形態にする。すると、受講者の反応が年々良くなっていく。(179p)
「他人に迷惑をかけるな」「甘やかしだ」「自己責任だ」……。 これらの価値表明の中に、僕は「自分にもたらされた世界観を受け入れる」という意味での「適応」を見いだす。そういう発言をするのは、社会のルールをしっかり守るタイプの学生や、あるいはいわゆる「良い子」 タイプの学生など、フレイレの指摘を用いれば「『銀行型教育』に適応すればするほど、より『 教育のある人』と見られる」という暗黙の前提を忠実に守ってきたタイプかもしれない。 181p
そういう学生は、既成の価値観を揺さぶる竹端さんに疑問や反発という形で違和感を表明するという。その違和感の表明を竹端さんは「僕への批判」と受け止めていたが、フレイレに導かれると、その批判の矛先は竹端さんではないいとして、以下のように書く。
抑圧する側に「銀行型教育」を通じて過剰な自己同一化という「適応」をしているがゆえに、学生たちは「安穏とはしていられない」のである。ということは、本来違和感を抱くべきなのは、僕にではなく、自分が何に「適応」しているのか、のはずだ。自分が受け入れている『世界観』 そのものへの問いが、本来ならば必要となるのだ。181-182p
ちょっとこれは無理があるんじゃないかとも思う。その適応してしまった学生の批判の矛先はあくまで、自分の価値観を犯してしまう竹端さんなのだ。最初はそこからしか始まらない。そのために揺さぶったのだろう。しかし、対話の中で、自分の価値観を疑うに至るかどうか、そこに教育の真価があるのだろう。
そして、この章の結語は以下
・・・三砂ちづるはあとがきの中で「『ヒューマニゼーション』とは自らの内なる権威主義と闘いながら、システムとしての権威主義と対峙することである」と述べている。この「内なる権威主義と闘いながら、システムとしての権威主義と対峙する」姿勢こそ、フレイレ、ニィリエ、バザーリアに共通した視座であった。このような「内面化された二重性」を「意識化」することでこそ、それまで問われることのなかった暗黙の前提を問い直すことができたのである。189p
第10章 自由こそ治療だ
一般的に「病気の予防あるいは健康の維持」のために医師ができることと言えば、「早期診断」が思い浮かびやすい。だが、バザーリアはそれよりも「病気の原因になっている状況を労働の早生活環境の中で点検すること」を重視する。「早期診断」をした上で、「機械的に薬を与える」ことよりも、「患者の労働環境がどうなっているかということを、医療従事者たちと議論する」ことのほうが、患者が「より良い環境を取り戻し、日常生活を送り、そしてなんとか生き延びていくために」必要不可欠なことである、と気付いていたからである。すると、本人が病気に陥るような「労働環境」そのものへの問いも、必然的に生まれてくる。196p
これに気がついていない(あるいは気づいていても無視する)医師が多すぎるような気がする。
医師や精神科医が実際に病人に施す治療は、疎外という意味を持たざるをえません。医療の唯一の目的が・・・生産の歯車の中に病人を復帰させることであるかぎり、そうなるのです。このような治療は、人が主体的に自己表現するのを明らかに妨げています。こうして医師と病人の関係性は試合関係や権力関係になるのであり、この矛盾から抜け出すのは困難です。(バザーリア、2017 :133-134p)
「生産の歯車の中に病人を復帰させること」を生業にしているようなところもあるので、忸怩たる感じがないでもない。「生産の歯車の中に病人を復帰させること」に過度に行ってしまうことは危惧すべきだと思うのだが、それ自体は必要な部分もあるのではないか。それは働くことの意味ともつながってくる。
やっぱり、「働けるんだったら、働いたほうがいいよ」という思いは消えない。
繰り返しになるが、バザーリアは狂気が存在しない、と言っているのではない。その意味で、反精神医学ではない。精神医学の知識や技術と言った「医師たちが利用してきた全ての方法と手段」はいったい何のためにあるのか、を問い直しているのである。治療は、狂気の状態にある人の「主体性」を快復するためにあるのか、はたまた「病人が生産の歯車の中に戻れるように」するためなのか? そして、後者の場合なら、「あらゆる医学的知識の内容は病人を管理し抑圧するためにある」のではないか、と喝破しているのである。このような管理・抑圧的な構えでは、患者との協働関係は生まれようがない。204p
上でも書いたけど、主体性の回復と生産の中に戻ることをこんな風に二項対立的にとらえるのは違うと思う。
206P には実践の楽観主義という節がある。バザーリアの文章が引用してあって、それによると、もとはグラムシの言葉らしい。竹端さんは以下のように書く。
入所施設での障害者の隔離も、体制に疑問を持たせない詰め込み型の銀行型教育も、精神病院での隔離や拘束も、すべては「これ以外にはやりようがない」という一言で終わってしまう。だが、それは、バザーリアにとっては「伝統的な専門技術者の敗北という前提条件」に映った。「できない百の理由」を言う、という時点で、「できない」という「敗北」なのである。そして、そのような「理性の悲観主義」に満足せず、「できる一つの方法を探す」という意味でのという意味での「実践の楽観主義」を追求したのが、バザーリアであり、フレイレであり、ニィリエであった。 (中略) 彼ら三人はそのような楽観主義に基づいて、別の場所に同じ時期に「新たな科学」を打ち立て始めた。207p
やってみなきゃわかんないし、失敗して大けがしたり死んだりする危険がなければ、とりあえず試してみる、エラー&トライアルでみたいな話かなぁとも思ったりするんだけど、違うかも。
この本には2018年の1月に放映されたNHKの身体拘束に関する『クローズアップ現代』への否定的な反響が紹介され、45年前に大熊一夫さんが受けた同じ反響だったという。そして、それへの反論も45年前に大熊さんが書いたままだとして、45年前の大熊さんの文章が引用される。
このようなお粗末な医療しかできない日本の制度に問題があることは、論をまたない。しかし、その制度のもとで、「良心がマヒしている」という自覚がないことが、問題をもっと深刻にしている。「一部の悪徳病院……」ではすまない状況が確かにある。誰の目にも悪徳と映る病院はもちろんのことだが、「現状ではこの程度しかできないのだ」と妙に割り切って、被害者然としている医療従事者にも、私は多くの問題を感じる。(大熊、1973:96-97p)
45年前と精神病院がどう変化したか、ということへの知識をぼくは持ち合わせないが、この大熊さんの反論が拘束がしかたないという声への反論として、いまでも有効なのは間違いないだろう。そして、その拘束が、このところ増えているという報告がある。大きな要因は精神病院への社会的入院が批判される中で、認知症患者の入院に力を入れだしたからではないかと思うが(それにしたって、拘束なしでいさせろよと思うが)、どうなのか、そのあたりもよくわからない部分だ。
215p~始まる「自由こそ治療だ!」という節で、「3人の思想に共通するのは、不可能を可能にするための、『認識枠組みの変化』である」(216p)として、それがこの本の「ひっくり返す」というタイトルに込めた意味だという。そして、「常識をひっくり返すためには、制度を批判するだけではダメで…制度や組織という「他者」を問い直す前に、まず自分の実践を問い直せるか、が問われている」と書かれている。
さらに、この章の結語であり、3人に共通することとして、「国家の論理を変える」ことを第一義に行くのではなく、現場での変化を実際に積み上げることの大切さが説かれ、だからこそ、「『当たり前』をひっくり返す」ことが可能になったのだ、そのように理論だけではなく実践を積み上げていく、それこそが「実践の楽観主義」の真の姿なのだ、と改めて気づかされたという。217-218p
「終章」にはタイトルがない。
「当たり前」を括弧に入れるという節で竹端さんは、普段「当たり前」だと思っていて、疑いもしないこと、それを括弧に入れて、本当にそうなのか、と疑いの眼差しを向けること、宿命論や諦念を形作る「当たり前」こそを括弧に入れて、それがどのように構築されているのかつぶさに観察することが大切であり、3人はこの観察から全てをスタートさせた、と書く。222-224p
この3人(+竹端さん)が明らかにしてくれた「当たり前」ひっくり返すという視点から現代を観察すると、「当たり前」とされているのに、当たり前でないものが次々見えてくる。バザーリアがイタリアでニィリエがスウェーデンでなくすことに成功した精神病院や知的障害者の大規模施設は日本にはまだまだいっぱいあるという以上に、精神病が重くなったら、あるいは親が知的障害の子供を支援できなくなったら施設に収容するというのがまだまだ当たり前の社会だ。 ほとんどの学校で行われている授業はいまだにほぼ銀行型。フレイレが出てから何十年経っても、それを頑なに壊そうとしないメインストリームの教育の姿勢に、学校の本質が出てるって言えるかもしれない。
そして、その視点では、たぶん、特養も老健も当たり前じゃないし、他の就労困難者には支援がないのに障害者だけが受けられるサービスっていうのも違うだろう。
そんな風に考えて、見えてきたのは、竹端さんがいう「枠組み外し」「当たり前をひっくり返す」というのは、理念から生まれるのではなく、実際に動いて、何かにぶつかって、そして、それ以外の選択肢の可能性を感じなければ、外したり、ひっくり返したり出来ないのではないかということ。
2019年の現在、とりわけ凡庸なぼくに何か新しくて大きな枠組み外しや当たり前のひっくり返しを出来るとは思えない。たぶん、何をめざしても先行者がいたりするだろう。でも、それはそれでいいのではないか。自分の中で小さな枠組みはずしや当たり前のひっくり返しができさすれば。
この先は節のタイトル(太字)だけ並べれば、なんとなくわたったような気になる。
相手と対話し、相手から学ぶ(224p)
3人ともこれを実践してきたわけだ。相手は精神病者だったり、字の読めない貧農だったり、知的障害者だったりする中で。
社会を変える前に、自分から変わる(225p)
「〇〇はオカシイ」と言うときに、その背後に「そう指摘する子私はオカシくない(=正しい)」という自己肯定が潜んでいる場合もある。この絶対的な自己肯定に基づく他者否定は、理解や共感を得にくい。なぜなら、その時点で自分と他者を切り分けた他者批判となるからである。そして、この他者否定が権力と結びついたとき、支配や抑圧の論理として機能するだけでなく、宿命論的にそれを受け入れる事態ともつながっていく。
このようなプロセスそのものを括弧に入れて、批判的に捉え直そうとするならば、まずは自らに内在する権力性や支配性、 抑圧性をそのものとして認め、それを問い直す必要がある。これも簡単ではない。だがこの3人はそこを起点にした。226p
希望の希求(227p)
この節で竹畑さんは内閣府障がい者制度改革推進会議総合福祉部会での経験を紹介し、そこで彼が垣間見たのは、現行法を変えたくない厚生労働省や 、厚労省に説得されて現行法維持に傾いていった与野党の国会議員。 その彼らに抗しきれなかったことを竹端さんは「闘いの勝ち負けというよりも、理性の悲観主義がこの国に強固に根付いていることに僕自身が向き合いきれていなかったからである」(227-228p)と書く。つまり、「理性的に考えると、こんなことはできない」「そんな変化はあり得ない」という人々を変えられなかったということなのだろうか?
そして、この3人は「できっこない」という人々に自分でやって見せて「できない100の理由」を封じ込めていった。ここにこそ、「よい未来をつくる上での「予言的に意味合い」や「希望の希求」が感じられるのだと竹端さんは書く。(229p)
「当たり前」をひっくり返す、その今日的価値(229p)
これが本文の最後の節になる。長いメモももう終わる。こんな風に書かれている。
・・・永続性を信じて疑わない事態に対し、変化の可能性を模索する、という形で認識枠組みを転換することにより、「当たり前」を括弧に入れることが可能になる。その括弧に入れた現実を変化させるためには、何よりも対象となる相手との対話のなかで、相手から学ぶ必要がある。そして、相手や社会を変えようとする前に、まず自分自身が変わり始める。これが理性の悲観主義を超えた実践の楽観主義を実現するための筋道であり、その延長線上に「当たり前」をひっくり返すことが可能になる。そんな可能性を、3人とのポリフォニー的現実から受け止めることができた。231-232p
「あなたの中で、この三人との多声的な対話が実り豊かになることを願って、本論を閉じたい」と終わるのだが、そうできたらいいなと思った。
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