『児童虐待から考える 』メモ

以下、読書―メータからのコピペ。


児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか (朝日新書)
杉山 春 著

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昨日、おおたTSで杉山春さんの講演会。その講演会を挟んで読んで読み終えた。終了後、杉山さんに愛着障害について質問した。聞き違いもあるかもしれないが、生育の過程の問題で言葉を獲得できない子どもさえいるという。これは重篤な愛着障害と言えるのだろうか。虐待を受けた子どもの愛着障害とどう対応し、表出する症状が苦しければ、それをどう消していくかというのも大事だろう。 はじめて、嫌いなアマゾンの電子図書を買ってしまった。引用などは便利だが、コメントに記載したKindle の位置表示、微妙にずれし、引用には上限があった


身体の医学は自然科学であって、個人の身体の中で完結する。しかし、精神医学は 自然科学に収まらず、共同性・関係性の視野の中でとらえると。つまり、文化的なもの ・・・・ 精神障害の診断は医学的診断ではありません。 (付録 誤解される「子どもの精神障害」─ ─児童精神科医・滝川一廣さんとの対話 から) (Kindle の位置No.1775)


本書では精神障害とは「人とのかかわりにおける、なんらかの直接的な困難な苦しみとして現れるとする」と規定 (Kindle の位置No.1805)
この精神科医、滝川さんはこのように言うのだが、医学的診断でなければ、なんの診断なのだろう。


虐待という言葉はよくないです。虐待と名付けるとその家族を否定的に見る。あなたは悪いことをしているというまなざしの中で家族統合といってもうまくいかない。 (Kindle の位置No.1856)


「私たち「新たな社会的養育の在り方に関する検討会」の構成員は、子育てがうまくいかない親を厳しく罰するという方向で考えたことはありません。厚労省の担当官もそのはずです。ただ、検討会や厚労省がどう考えていようが、意図せざる方向にいくことはあります。家庭の中に行政が入ることによってもたらされる危険性については、十分に認識され、配慮されなければなりません」(Kindle の位置No.2086)同検討会で座長代理を務めた松本伊智朗・北海道大学大学院教育学研究院教授


進む虐待対策   2016年6月、 児童福祉法改正 この改正でもっとも注目す べきは、旧法の下では福祉の対象として、保護者や、国・地方公共団体によって「 心身ともに健やかに育ててもらう」受身の立場だった子どもが、「愛され、保護さ れること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他 の福祉を等しく保障される権利を有する」( 改正法 第1条)、いわば権利の主体 となったこと(Kindle の位置No.1879)


【これにより今後、子どもたちは「その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮され」ることになる(第2条第1項)】(Kindle の位置No.1883)書かれる。 これで思い出したのが、南オーストラリアの意思決定支援(SDM)。最善の利益を誰が決めるのか、というわけでそこでは「最善の利益」よりも「表出された希望」が優先されていたはず。https://kokucheese.com/event/index/473402/


不安がいっぱいの一時保護入所時に、その子が普段大事にしていたもの(ぬいぐるみなど)を持参できることは、とても大事なことです。仮にそれができないところがあるとすれば、それは人権侵害です。 (松本教授)(Kindle の位置No.1941)


「このシステムが適切に働くには実際の正規の職員として、専門職を受けるかどうかが重要だと思います。そこに予算をつけるかどうかは、厚労省のみならず、総務省の果たす役割が大きいです。国としては地方公務員の数を減らす流れなので、予算がつくかどうか心配です」 (松本教授)(Kindle の位置No.2009)

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