「誰一人取り残さない-No one will be left behind」(追記4月28日)

SDGsに関しては、いろいろ疑問(後述)もあり、全面的には信用していないんだけど、このアジェンダの「誰一人取り残さない-No one will be left behind」という理念は大事なものだと思う。どこに連れていかれるかが問題だと思うし、残りたい人の自由も認めたうえで。


(以下、誤解がないように追記。

SDGsって国連が言ってるなかには、必要で、早急にやらなくてはいけないこともたくさん含まれていると思っていて、それを使ってよくなることがあれば、どんどん使って良くしていけばいいという立場ではある。ここで疑問と書いたのは、その他方で「北」として持続不可能な社会を形成し、押し付けてきた側が、そのことの反省もなく、その「北」の価値観を「南」の持続可能な社会に押し付けてる側面もあって、そこは拒否したいと思っているという話。)



で、書きたいことは何かといえば、福祉関係者こそがこの言葉(No one will be left behind)を肝に銘じる必要があるんじゃないかということ。


「いまの仕組みではそのサービスはこの人に支給できません」とか、それがなければ生きていけない人に、平気で言って、そのままにしていないか?


「自分のところは力量がないからできません」とか、逃げの言葉ばかりが前に出て、ほかに行き場のない人をそのままにしていないか?


と、自分に問うことが必要って話で、自戒でした。




あと、この「No one will be left behind」のwillが大事なんじゃないかと。

「あの人はあれがあるからダメ」とか言わないという決意のwill



SDGsへの疑問は

「持続可能な社会」を残したいのか、「開発」を残したいのか不明な部分。

前者はすごく大切だが、前者を形容詞として使い免罪符にして、後者を残して金儲けや自分たちの価値感や「南」の地域や貧しい人からの搾取、簒奪を続けようという動きがあると思う。


「開発」は何をどのように「開発」するのか?


持続可能な社会を壊してきたものこそが「開発」だったのではないか。


その反省を抜きに、「また開発かよ」と思う。


必要なのは「脱開発」「カウンターディヴェロップメント」「対抗発展」じゃないかなぁ。

これについては

10年以上前に

~~

「開発」という言葉をそのまま肯定的に使いたくない


~~

を書いています。

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