わたくしたちがどのような社会に住むことを望み、それをいかにして築いていくのか

2019年札幌憲法集会での清末さんのスピーチ
素敵だったのでフェイスブックから転載して記録しておきます。

このスピーチについてKiyosueさん

「この原稿を書いているときに、何度も思い出した人が二人。パレスチナで闘う友と4月の東京講演なくして今日の原稿は書きおえることができませんでした」

とコメントしていたので、もしかしたらと思って、「東京講演って?」、聞くと

「ピープルズプラン研究所で講演ですよ〜。武藤一羊さんの問題提起、武藤さんからいただいた原稿を読み、二週間ずっと考えてきたのでした」

とのことでした。

これへのぼくのコメントを最後につけておきます。

📷Aisa Kiyosue5月3日 21:07
札幌で開かれた「憲法施行72周年 安倍改憲NO!守ろう5.3憲法集会」でのわたくしのスピーチ原稿全文です(長文失礼します)。
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 5.3憲法集会にご参加のみなさん、こんにちは。室蘭工業大学の清末愛砂です。突然ですが、みなさんはどのような社会に住みたいと願っておられるでしょうか。本日の演説はこの問いかけからはじめたいと思います。最近のわたくしは、自分がどのような社会に住みたいのか、ということをひたすら考えておりました。その理由は端的にいうと、近い将来、安倍自民党に改憲をあきらめさせることができたとき、そして安倍政権を打倒することができたときに、わたくしたちがどのような社会に住むことを望み、それをいかにして築いていくのかということをいまから丁寧に議論しつつ、同時にその実現に向けて動きだしておかなければならない、と感じてきたからです。

 そのように言うと、いまはそんなことを考えるよりも、安倍自民党による改憲構想をいかにして切り崩していくかを考えるべきだ、安倍以後の世界はそのときが来たときに考えればいいのだと、と思われる方もおられるかもしれません。安倍自民党がめざす改憲が、日本国憲法の原理である基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を明白に否定するものである以上、いかなる困難があろうともそれをはねのけ、その思惑を止めることが極めて重要であることは間違いありません。

 しかし、わたくしはそれを大前提にし、安倍自民党に抗する闘いは、現行の改憲の動きを単純に止めるためだけにあるのではなく、同時に改憲を止めることでわたくしたちがいかなる社会を望むのか、そしてその社会の構築をめざして、わたくしたちがどのように歩んでいくのかということを追求していくことにあるのではないか、ということを訴えたいのです。

 安倍以後の社会をわたくしたちが具体的に描くことができなければ、わたくしたちは安倍自民党や独裁政権と化している安倍政権を崩すことができたとしても、いずれかの段階でいまと同じ社会に住むことを余儀なくされるでしょう。過去の歴史や経験への真摯な反省とそれを繰り返さないことの決意、そしていまとは異なる社会を築くための努力なくして、わたくしたちはこの社会を抜本的に変えることができるでしょうか。安倍自民党が改憲を通して確固たるものとしようとしている恐ろしい社会に住みたくないからこそ、わたくしたちは抵抗の声をあげるともに、わたくしたちが住みたい社会、また次世代に残したい社会のありようを主体的に思い描き、その実現に向けて動いていかなければならないのです。

 大日本帝国の経験を経て、わたくしたちが選びとった日本国憲法の多角的な価値。そのひとつは、基本的人権の尊重という基本原理に基づき、この社会に住むあらゆる者の尊厳が奪われることなく、生きるということを肯定的にとらえることができる社会を築くことにあります。このような社会こそが、わたくしが心から住みたいと願う社会です。

 残念ながら、わたくしたちが住む社会にはさまざまな形態の差別や暴力が蔓延しています。それらにより尊厳を奪われ、その回復を求め続けている人々がわたくしたちのすぐ目の前にいます。各種の権力関係が生む苛酷な暴力や排除、多様な他者の存在を認めたくないという身勝手な心情が生む恥ずべき偏見やそれに基づく差別言動、富める者を優遇する社会の構造から生みだされてきた貧困、己の利益のために他者を搾取することに何ら痛みを感じない経済活動等により、尊厳と大きく結びついている人格を傷つけられてきた人々がこの社会にいます。

 安倍自民党の目論見を止めることができたとしても、わたくしたちがこの社会を巣くう暴力と差別の病理を自らの手で克服することができなければ、わたくしたちはこの社会に住むすべての者が恐怖や欠乏から解放された社会、すなわち誰もがひとしく平和的生存権を享受できる社会を築くことはできません。また、自らが住む社会が暴力と差別にまみれている限り、わたくしたちは国境を越えた関係を築く上でも、日本国憲法前文が謳うような「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」平和を築くことはとうていできないでしょう。なぜなら、猜疑心や敵対心、偏見、そしてそれらで結びつく同盟国との関係強化を通してしか対外関係をみることしかできないからです。これが、安倍自公政権が振りまく武力に基づく安全保障神話の根底にあるものです。

 日本国憲法施行から72年。あまりにも醜悪な社会が出来上がってしまったいま、安倍改憲反対、安倍自公政権打倒の運動を通して、わたくしたち一人ひとりがこの社会の構造を抜本的に変える努力をすることが強く求められています。あらゆる暴力や差別、抑圧からの解放をめざす。それこそがわたくしたちの運動の支柱にすえられるべきものです。わたくしはそのことを確認しながら、本日の問題提起をおわりにします。ご清聴、誠にありがとうございました。

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以下、ぼくのコメント


すごく根源的(ラディカル)で大切な呼びかけだと思いました。
Kiyosueさん、ありがとう。

それをどう実現するか、そのために何ができるかということが問われているのでしょうね。

一つにはそんな話ができる小さな場をたくさん作ること。遠回りな感じもしますが、街頭での呼びかけ(それももちろん大切ですが)以上に、そんな場をどう作っていくか問われているように思います。

そして、自由に政治を語ることができるような教育の再生。道徳を教科にして、上から押し付けるのとは反対方向ですよね。さらに、そんなことが出来る教員をどう増やすことができるのか。

そのほかにも地域社会や福祉、いろんな場所で、Kiyosueさんが書いてくれたような理想に近づけるために、何ができるか、今の何が間違っているかという話ができるようにすること。そこで権威を使わずに、小さな声にも耳を傾けられるようにすること。反対の意見を持っている人をリスペクトしながら、それでも意見の違いを明確にできること。

そんな小さな取り組みしか、できないけれども、そんなことを積み重ねることがすごく大事な熟議民主主義の土台になっていくのではないか、9条の精神の前提にそういうことがあるとKiyosueさんにここで教えてもらったような気がしました。

ありがとうございました。長文失礼しました。

あと、これを思い出しました(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=kjAI9V1G6bA
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ちなみに
清末愛砂さんの『非暴力・非武装の実践―安倍改憲と対極にあるもの』
が掲載されている【季刊「ピープルズ・プラン83号」】
《特集》 非暴力・非武装のリアリティ

http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd0/index.php?id=90
から購入できます。

そして、ここでKiyosaeさんがインスパイアされた武藤さんの原稿が掲載されているのはたぶん以下(まだ未確認です)
季刊「ピープルズ・プラン84号」
◆安倍改憲をつぶす、その先に何を展望し、実現するか ― 憲法前文と9条の原理の実現プロセスについて(IV)「米日同盟」の軍事的核との対決なしに安倍改憲とたたかえるか(武藤一羊)
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd0/index.php?id=91

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