「重症児者」と呼ばれる人たちのリアリティと【地域での暮らし】(2019年9月と2021年11月追記)

spi*zi*ara2さんのブログ

海やアシュリーのいる風景

の2年前のエントリー

立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件-優生思想とヘイトクライム』
https://spitzibara2.hateblo.jp/entry/65476129
ここでのspi*zi*ara2さんとのやりとりを読み返していた。
spitzibaraさんのブログの引っ越しに伴って、コメント欄でのやりとりは上記のURLから消えていますが、消える前にコピペしたものを、このブログの最後に貼り付けました)

ここでぼくは「重症児者」と呼ばれる人たちのリアリティを少し学ばせてもらった。


そして、spi*zi*ara2 さんとの間の埋まらない溝の深さを考えていた。


「唯の生」を維持するために、専門性が必要な人たちが、そこには確かに存在している。

そこで、「しかし」と言いたくなるのだった。

「専門性」ってなんだろう。

そこに横たわる多義的な意味群。


「この人たちには専門的なケアが必要なのだ」と言われて、地域で生きることをあきらめさせられた多くの人たちをぼくは知っている。

しかし、多くの場合、その人のことをちゃんと知ってさえいれば、専門家などいらないことが圧倒的に多かったと思う。





同時に、spi*zi*ara2 さんからは、そういう言説の中で、生きることを難しくさせられて、隙間で苦しめられている人がいること忘れないで欲しいと言われたのだと思う。


「生きていて欲しい」と思う。

その思いは重なっている、と思う。

spi*zi*ara2さんに指摘されいるように、確かに、ぼくには見えていない部分があった。


専門性がなければ、生存そのものが危うい人たちが存在している。

しかし、一方で専門性を隠れ蓑にして、地域から引きはがされる人もいる。


後者が、自分で生きたいと思う形で生きていくことを支援する営みにかかわってきたし、たぶんこれからもかかわっていく。

その言説が、ひとつ間違うと前者の生を否定することにつながり、現に否定され苦しめられている人がいると、spi*zi*ara2さんは言っているのだと思う。


生きていて欲しい、その人の生をしっかりと。

そこを起点にすれば、両方の主張が対立することはないはず。


見えていなかった人たちが苦しめられる現実を、しっかり認識したうえで、

それでも地域で生きていきたいという人たちといっしょに、ぼくはこれからも生きていく。








追記 2019年9月4日
~~~~~~
ヤフーブログの中止に伴って、上記のブログでのやり取りが消えてしまうと聞いたので、とりあえず自分に関するところだけ抜き出してみた


~~~~~

spi*zi*ara2さんのこのブログ記事に触発されて、本を読んで読書メモを書きました。
時間があれば、読んでください。
https://tu-ta.seesaa.net/article/201703article_2.html

2017/3/5(日) 午後 9:39[tu_*a*]

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> tu_*a*さん

拝読しました。私はもやもやっとするばかりで明確に掴みきれなかった辺りを読み解いてくださっていて、とても勉強になりました。ありがとうございました。

この事件から後の議論を詠み齧るにつけ、いわゆる重症児者のニーズについて多くの方が「身障と知的障害それぞれのニーズを足して2にしたもの」とか「身障と知的のニーズに医療さえを加えればOK」といった短絡的なイメージで捉え、まったく分かっておられないのではないか、という疑問が膨らみ続けていたのですが、つい最近それを改めて痛感する体験があったので、近く、その具体がどういうものであるか、私は娘についてしか書けませんが、試みてみようかと思っています。

2017/3/6(月) 午前 10:54[spi*zi*ara2]

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相模原の事件から後の施設批判は本当に事実に基づいているのか、という問題意識から、膨大な資料に当たり、関係者に直接取材も重ねて、ハートネットTVのディレクターが日本の知的障害者施設の歴史を辿りなおしてくださっています。全14回の長大なシリーズですが、最後の第14回がまとめとなっています。また第5回から以降、施設福祉からも地域福祉からも取り残されてきた重症児者について詳細に書かれています。お知らせまでに。

http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/choryu/263955.html

2017/3/6(月) 午前 10:58[spi*zi*ara2]

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このコメントを読ませてもらって、少し触発された部分もあり、しかし、それとは直接的には関係しないかもしれないことを書き足しました。
https://www.facebook.com/masahide.tsuruta/posts/1281468371933677

2017/3/7(火) 午前 0:46[tu_*a*]

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> tu_*a*さん

私も基本的には同じ立場ですが、ふっと思いだしたのは、ずっと以前に障害は「ないにこしたことはない」か、という問題をめぐって、arsviに掲載されたtu_*a*さんの文章や、あのあたりの議論。問題としては、合い通じていくものがあるような気がしました。

2017/3/7(火) 午前 8:20[spi*zi*ara2]

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http://www.arsvi.com/2000/0103tm.htm
ですね。
これを書いてから16年もたつのだなぁと思いました。歳はとったのに変わってないのは、肯定的なことだけではないな、と。

2017/3/7(火) 午前 8:39[tu_*a*]

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> tu_*a*さん

早速にありがとうございます。

改めて読ませていただいて、面白かったです。相模原の事件からの議論に感じている違和感にこだわっているからか、抽象的な「障害」を「ないにこしたことはない、か」という問いにおいて考えることと、個々の人にとっての固有具体の「障害」の違い、ということを、今回はとても意識しました。

個々の当人にとっての「障害」とは、「自分がこれまでこれこれこういうふうに生きてきた」という中の、まぎれもない固有具体の現実の一部である、とうこと、「薬があったら飲むだろ?」と言われたって、そんなものは現実に存在しなかったし、これからも存在しない現実を生きていくわけで、その仮定そのものがまったく意味をなさない。それが当事者が生きる現実ということだ、と。

私には、相模原の事件から後の議論にもこれと同じ違和感があります。

2017/3/7(火) 午前 9:07[spi*zi*ara2]

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つまり、抽象的な「障害」や「施設」や「地域」を論じている人は、ここでの立岩さんの「家族は逃げればいい。家族を蹴飛ばせばいい」に象徴されるように、「それぞれ自分の主張したいことを主張しやすいように、文脈によって多様な障害像を恣意的に出し入れ」することができるだろうけど、「個々の本人と家族は、そんな器用な手品なんて使えない」固有具体の「現実を生きて」いかざるをえないということです。

2017/3/7(火) 午前 9:15[spi*zi*ara2]

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紹介していただいたハートネットTVのブログにコメントを書かせてもらいました。
https://tu-ta.seesaa.net/article/201703article_3.html
NHKから連絡があって、URLなどは掲載できないけれども、他はだいたい掲載してもらえるとのことでした。

2017/3/8(水) 午後 6:03[tu_*a*]

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> tu_*a*さん

改めて読み返して、tu_*a*さん、とんでもない誤読をしておられると思いますが。

問題にしておられる「施設とともに」の箇所は、「障害者の自立生活運動を推進する人たちが求めているのは、施設とともに家族からも自立して生きられる社会」です。

この記事のタイトルも「施設からも家族からも自立して生きる」となっているように、その「施設とともに」とは、「施設から自立すると共に家族からも自立して」という意味なのではありませんか?

2017/3/8(水) 午後 9:06[spi*zi*ara2]

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spitzibaraさん
確かに、そこは誤読でした。spitzibaraさんの指摘の通りです。(ちょっと恥ずかしい)
「障害者の自立生活運動を推進する人たちが求めているのは」という部分に着目すれば、ここでの意味は「施設からも家族からも自立して生きられる社会です」ね。

ただ、このコラム、その後の方では「施設も地域福祉を支える社会資源へと、その役割を広げつつあるように思います」「日本の施設の歴史的経緯を理解し、地域と施設が補完し合って、一人ひとりにふさわしい最善の形を」とあります。そこに引きずられて読んでしまっていました。

そういう意味でのこのコラムへの違和感と読み替えていただけると幸いです。

2017/3/9(木) 午後 6:18[tu_*a*]

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> tu_*a*さん

重症児者では、医療的ケアや医療的配慮を必要とするため、そのケアは専門性と個別性が高く、地域での生活を支援していく為に必要な資源がこれから整備されていくにも、NICUを備えた大学病院など高度な医療機関と、重症児者医療とケアの知見と資源が集約されてきた重症児者施設と、それぞれの地域の医療/支援の事業所とがネットワークで繋がり、「補完しあう」ことは不可欠ですし、私はさらにそこがうまく「循環」できるだけの資源と仕組みが十分に整備されないかぎり、重症児者の「地域移行」を安易に進めてもらったのでは、本人と家族の命に関わる、と考えています。

2017/3/9(木) 午後 8:08[spi*zi*ara2]

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spitzibaraさん
上記のコメントで重症児者のリアリティを感じました。とりわけ「重症児者医療とケアの知見と資源が集約されてきた重症児者施設」というのは、あまり考えたことのない視点でした。確かに現実にはそれがなければ難しいのだろうなと感じました。

と同時に、その「重症児者」では、そうだと思えるロジックがあまりに容易に使われ、重症児者的なケアの必要のない多くの障害者が地域から遠く離れたところで生活を余儀なくされています。「この人は行動障害があるから、専門性のある施設でなければ暮らせない」というような話がまだまだ流通していることに苛立ったりしています。

spitzibaraさんは、そのことをわかった上で、あえて書かれているとは思ったのですが、ここを読んでいる人のために、あえて付け加えさせてもらいました。

2017/3/10(金) 午前 2:55[tu_*a*]

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追記するとspitzibaraさんが少し前のコメントで書いていた
~~~
抽象的な「障害」や「施設」や「地域」を論じている人は、ここでの立岩さんの「家族は逃げればいい。家族を蹴飛ばせばいい」に象徴されるように、「それぞれ自分の主張したいことを主張しやすいように、文脈によって多様な障害像を恣意的に出し入れ」することができるだろうけど、「個々の本人と家族は、そんな器用な手品なんて使えない」固有具体の「現実を生きて」いかざるをえない・・・
~~~~
そういう話ですね。ただ、ぼくが見てる相手とspitzibaraさんが見てる相手が違うというふうに括れるかもしれません。

2017/3/10(金) 午前 3:04[tu_*a*]

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> tu_*a*さん

「見てる相手が違う」という括り方はちょっと違うんじゃないでしょうか。

私が指摘しているのは、相模原の事件からの議論において、重症児者と家族が排除され、置き去りにされているという問題です。社会のマジョリティがマイノリティである障害者のことをまったく知らず分からず、分かっていない人の常で「自分は分かっていない」という自覚がもてないまま、障害者を排除してきたのとまったく同じ構図が、そこにはある、と私には見えます。

2017/3/10(金) 午前 8:14[spi*zi*ara2]

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> tu_*a*さん

ハートネットのブログの全14回のうち、第5回からの重症児者の箇所を予見を排して丁寧に読んでいただけると、障害者の中でもマイノリティであり続けた重症児者がいかに障害者福祉施策から取り残されてきたか、いかに施策と障害者運動の間で翻弄され、その谷間に置き去りにされてきたか、多少のご理解をいただけるのではないかと思いますが、今また、同じことが相模原の事件から後の障害者運動の議論でも繰り返されている、と私には思えてなりません。

2017/3/10(金) 午前 8:15[spi*zi*ara2]

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> tu_*a*さん

『障害者運動のバトンをつなぐ』の中で、小泉浩子さんが、ALSなどの難病患者や重度の知的障害者との出会いから、身体障害者である自分たちには実はわからないことがとても多いのだという気づきを書いておられます。

==
私たちは、健常者がつくり出した健常者社会から排除されています。それに立ち向かい、運動をしてきました。健常者がしてきた「排除」を、私たち障害者同士がしてはいけないと思います。(p.32)
==

ここでの小泉さんの視点ですら、最重度の身体障害であるALSの人と、重度の知的障害者までで留まっているのが象徴的でもありますが、小泉さんがこのように常に「自らを問う」という視点を持ってものを考えておられることを、私は尊敬しています。

2017/3/10(金) 午前 8:28[spi*zi*ara2]

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> tu_*a*さん

簡単に言えば「見てる相手が違う」と括るのではなく、「自分にはまだ見えていないものがある」と気づくことが大切、という話ではないか、と。

そのためにも、本当は互いに相手への敬意を失わずに対話を重ねることが大切だと思いますが、あの事件で、あまりにも多くの傷を負い、みんながその余裕をなくして、難しいですね。

2017/3/10(金) 午前 8:37[spi*zi*ara2]

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気持ちいいくらいぼくのダメさ加減が暴露されてます。

今日、『風は生きよ・・・』を見てきて、これを思い出したのでした。

2017/3/13(月) 午前 2:11[tu_*a*]

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> tu_*a*さん

ダメさ加減……って、そういう意味ではないんですけど、すんません。

『風』はいい映画ですね。海老原さんの生き方が、さわやかな風のようで。

2017/3/13(月) 午前 8:46[spi*zi*ara2]

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このコメント欄でのやりとりを読まれる方に、3月9日のコメントの内容を、個人的な体験からさらに詳細に解説したエントリーを読んでいただければ、とTBしました。

実際には、tu_*a_*さんがここにコメントを入れてくださる前から原稿を書き始めていたエントリーですが。

2017/3/14(火) 午後 8:42[spi*zi*ara2]

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ここでのspi*zi*ara2 さんとのやりとりを読み返していました。
読み返していて感じた思いをフェイスブックに書いたので、転載します。
~~~
ここでぼくは「重症児者」と呼ばれる人たちのリアリティを少し学ばせてもらった。
そして、spi*zi*ara2 さんとの間の埋まらない溝の深さを考えていた。
「唯の生」を維持するために、専門性が必要な人たちが、そこには確かに存在している。
そこで、「しかし」と言いたくなるのだった。
「専門性」ってなんだろう。
そこに横たわる多義的な意味群。
「この人たちには専門的なケアが必要なのだ」と言われて、地域で生きることをあきらめさせられた多くの人たちをぼくは知っている。
しかし、多くの場合、その人のことをちゃんと知ってさえいれば、専門家などいらないことが圧倒的に多かったと思う。
同時に、spi*zi*ara2 さんからは、そういう言説の中で、生きることを難しくさせられて、隙間で苦しめられている人がいること忘れないで欲しいと言われたのだと思う。

「生きていて欲しい」と思う。
その思いは重なっている、と思う。
(続く)

2019/6/8(土) 午前 3:46[tu_*a*]

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続き)
spi*zi*ara2さんに指摘されいるように、確かに、ぼくには見えていない部分があった。

専門性がなければ、生存そのものが危うい人たちが存在している。

しかし、一方で専門性を隠れ蓑にして、地域から引きはがされる人もいる。
後者が、自分で生きたいと思う形で生きていくことを支援する営みにかかわってきたし、たぶんこれからもかかわっていく。

その言説が、ひとつ間違うと前者の生を否定することにつながり、現に否定され苦しめられている人がいると、spi*zi*ara2さんは言っているのだと思う。

生きていて欲しい、その人の生をしっかりと。

そこを起点にすれば、両方の主張が対立することはないはず。
見えていなかった人たちが苦しめられる現実を、しっかり認識したうえで、
それでも地域で生きていきたいという人たちといっしょに、
ぼくはこれからも生きていく。

2019/6/8(土) 午前 3:50[tu_*a*]

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tu_*a*さん

2年も経ってのコメント、また、ここでのやり取りをこの間ずっと引きずってくださって、ありがとうございます。

私に分からないのは、「対立することはないはず」と言いながら、ご自身が「地域で生きる」か「地域で生きることを諦めさせられる」かの二項対立の〇×思考に戻っておられること。私が指摘したのは「重症児者についてあなたには分かっていないことがある」ということだったのに、どうして「しっかり認識したうえで(とは「自分にはもう認識できている」という認識ですね)」という立場に立てるのかということ。

なにより、どうしてこれが「ぼく」の問題に回収されてしまうのか、ということ。「ぼくはこれからも生きていく」とタンカを切られても、私は最初からtu_*a*さん個人の生き方を問題にしていたわけではないので、「どうぞ」とお返しするしかない。

「ぼくには見えていない部分があった」と思われるなら、「生きていく」と格好の良い結論で問題にピリオドを打たずに、見えていない部分を見ようとし続けられればいいだけのことではないですか。

2019/6/8(土) 午後 10:18[spi*zi*ara2]

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> tu_*a*さん

私からの応答はここまでにさせてください。

別にtu_*a*さんへの応答として書いたものではありませんが、これ以上は、この夏に生活書院さんから刊行予定の次著『殺す親 殺させられる親――重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行』が応答になるのでは、と思います。

それから、6月1日に尾道で映画「道草」の初回上映後に、監督の宍戸さんとトークをやりました。その内容が「道草」HPとFB、こちらのブログにアップされる予定です。それも結果的には、ここでの議論への私の応答にもなるかな、と思います。

2019/6/8(土) 午後 10:37[spi*zi*ara2]

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> tu_*a*さん

Yahooブログは12月半ばでサービスを辞めることになり、8月までにはどこかのブログサービスに移行を迫られています。どのサービスでも移行できるのは本文だけで、コメント欄は消滅してしまうとのこと。

コメント欄では、tu_*a*さんをはじめ多くの方々と何度も密度の濃いやりとりをさせてもらい、それらは今でも読み返すたびに多くの気づきに繋がりますので、それが失われるのは断腸の思いです。

私にとって2つのブログは、自分の仕事のファイリングでもあるので、すべてを失うことは耐え難く、そのうちに移行はしますが、ずいぶん多くが失われてしまうことは間違いなく、もともと加齢に伴う知力気力体力の衰えは感じているところでもあり、その時点でブログを続ける気力が尽きてしまうような気がします。

長いこと、お世話になり、ありがとうございました。

2019/6/8(土) 午後 10:41[spi*zi*ara2]

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> spi*zi*ara2さん
返信が遅れてごめんなさい。
尾道での宍戸さんとのやりとり、写真は出てますが、中身はまだですね。
秋にでる本も楽しみにしてます。

2019/6/16(日) 午前 0:14[tu_*a*]

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> tu_*a*さん

おはようございます。

宍戸さんとのトークは、14日にこちらでエントリーを立てて一足お先に公開させてもらっています。もし、よろしければ。

2019/6/16(日) 午前 9:06[spi*zi*ara2]

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読みました。
道草上映会ではかなり異色の、しかし大切なトークになったと思います。
いま、東京・城南地区の上映運動にかかわっているので、仲間に紹介したいと思います。

2019/6/23(日) 午前 11:36[tu_*a*]

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> tu_*a*さん

ありがとうございます。

tu_*a*さんにそういう受け止めをしていただけると、たいへん嬉しいです。

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児玉さんと宍戸さんのトーク

映画「道草」  宍戸大祐監督×児玉真美トーク  2019年6月1日

https://spitzibara2.hateblo.jp/entry/66314369



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