辺見庸『月』メモ
読書メータに書いたもの
最初のメモ
読んだとは言えないかも。 初めはがまんして読んでいたが、うんざりして、飛ばしながら読み、最後は放棄。そんななかでわずかに気になったのは、298p~の少しと312pの少し、そして、ヨケラ高校銃乱射事件のマニフェストの話(256p)
「にんげんとはなにか、あるとき辞書で調べた・・・大辞林で。」とあって、中身が引用してあった。検索したら、ほぼそのままだった。
にんげん【人間】 ① (機械・動植物・木石などにはない、一定の感情・理性・人格を有する)ひと。人類。 ② (ある個人の)品位・人柄。人物。 (以下略)
で、その人のセリフで引用した後に、以下のように続く。
第一項目に『(機械・動植物・木石などにはない、一定の感情・理性・人格を有する)ひと。人類』とあるのですね。カッコ内のほうが長くてじゅうようにみえます。
それで二項目には・・・。なるほどなとぼくは思いましたよ。へえ、そんなもんかよ、と。ああ、これを書いた人は園のことなんかあにも知らないのだな、かんしんがないのだな……そう、ぼくは感じました。ご存じかもしれませんが、園には『一定の感情・理性・人格』をもつとはとてもおもえない入所者たちがたくさんいます。・・・
辺見庸はこんな風に、加害者の思いを小説の形で代弁する。
「・・・衆議院議長さんにもお手紙をおわたししました。作戦実行のご指示をいただくためです。それがバレたために、園を辞めざるをえなくなったのです。あたまがイカれている。そういわれましたよ。で、精神病院に措置入院もさせられました。すごくバカバカしい入院でした。精神科の医師たちはなにもわかっていません。この世で精神科の医者と臨床心理士くらいバカげたれんちゅうはいませんね。かれらは思想と精神病理をごっちゃにしているのですから。・・・
医師らに、易怒性、思考奔逸、昂揚気分、マリファナによる「脱抑制」……などと診断されたことを、かれは苦笑まじりで説明した。
「まったく(中略)こんなことで危険視されるのでしたら、世界中の何千万人もの人々を拘束しなければ(後略)」236p
口では優性思想反対をいいながら、「よい遺伝子/わるい遺伝子」の存在を、だれだってかくしやしない。・・・298p
「さとくんを小バカにしてはいけないわ。さとくんの思考方法はけっしてかれだけのものではない。社会的化合物みたいなものではないのかしら。さとくんは自力で今日にいたったわけじゃない。こんにちをきり拓いたのでもない。おされて、吹かれて、もまれて、いろいろさんざ聞かされて、とりこまれて、侵されて、つけこまれてここまできたのよ。」(271ページ)
「事件をなぞったつもりはありません。無力な存在であり視野に入らない存在の側、向こう側から何が見えてくるのかを描いた。こちら側の視点ではなく『さとくん』に殺される側の視点でその声を伝えたかった。」〔田沢竜次2019〕
田沢竜次「この人のこの本 101回:辺見庸『月』KADOKAWA――近代以降の理念の破綻を問い 人間存在の在りかを掘り下げる」から
どうして、この小説にうんざりしたのか、うまく言語化できないのだけど、辺見庸はどれくらい取材したのだろうと思った。重い知的障害のある人と同じ時間を過ごしたことがあるだろうか? 入所施設は見に行ったのだろうか? メディアに掲載された植松のインタビューや識者の評論だけを読んで、あるいはまわりの人の話も聞いたかもしれないが、重い知的障害のある人と、同じ時間をそれなりに過ごすことなく、あとは空想で補って、小説を書いてるのじゃないかと感じたりしました。
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