『障害学はもう終わっている』のか? (『障害社会学という視座』 7章「障害社会学と障害学」メモ)
この本、やはり、ぼくにとっての焦眉は7章「障害社会学と障害学」
『障害学はもう終わっている』のか?
前提として、難しいところは飛ばして呼んだので、大切な見落としがある可能性は多い。もし、そこに気づいてもらえたら指摘してもらえれば幸い。書いていて、この章に対する、かなり大幅な反論のような形になってしまった。
以下、この章のメモ
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障害学が「社会モデル」を提唱したことを紹介したうえで
【それは解放の学問であると同時に制約でもあった】(152p)と著者は書く。
そして、その制約をいくつか例示する。
・障害者に必要な面もある医療の周縁化
・身体的機能不全の「進行」を含む身体的諸問題の軽視
・障害と同種の不利益を受けていながら、(障害者とされないため? あるいは障害以外の問題とされるため?)障害学の対象となることが少なかった人々の存在
・a,障害学を反映した制度が持つ否定的な働き、b,障害者運動の語りの特権化による家族や関係者の語り、c,障害者の非運動的な語り これらの語りへの従属的な位置づけ
それらの制約は確かに存在したとぼくも思う。
【障害社会学はこれらの制約からの解放をも図る】とあるのだが、それらは障害学が抱える大きな問題ではあるが、障害学自身が答えなければならない問いではないか? 障害学の制約だから、別の学問を立てるということの意味がよくわからない。【障害社会学は、障害学への反省を織り込んだ、障害をめぐる社会学的反省の学問である】【その社会学的反省は、障害社会学自体が生み出す制約への反省をも織り交ぜつつ展開する過程として捉えられる】と書かれているのだが、障害学自体がその反省を織り交ぜつつ展開するとしないのはなぜなのか少なくともこの段階では不明。
【障害社会学という領域があまり整備されてこなかった原因の一端は、「障害学」にあった】というのは肯定できる話ではある。「障害学」があったから必要なかったのだということもできるのではないか。
また、169頁には以下のように書かれている。
…障害学は専門領域としての社会学に対して、当事者性に基づき、ある種の反省を促したと言うことができる。しかし、当事者性自体も反省の対象となりうるということを、今後の「障害社会学」は看過することができない。169p
当事者性自体を無前提によいもの、としてきた傾向は確かにある。それへの反省は確かに必要だと考える。そして思うのだ、当事者性を反省的に見ていく視線は、障害学にこそ問われているのではないかと。
175頁からは、「ケルビニズム」という疾患で顔の外観が損なわれた人を例に、社会モデルの問題を問い返す。つまり、人種やジェンダー・セクシャリティなど損傷以外の理由で社会から否定的な態度をとられる人がいて、そこには障害の社会モデルは適用されないのだから、(障害の?)社会モデルの前提として、損傷が存在することになる。しかし、顔の外観が損傷されているかどうかも、社会的に構築された価値観である。そこでは、「身体ではなく社会が問題」という論法が使えない。
ここに書かれていることをわかりやすく言い換えれば、いかのような感じだろう。
構築された価値観という一つ目の社会の問題と、それによる人びとの否定的な態度二つ目の社会の問題。その両方が問題であって、身体の問題ではない、という話だ。
そこで、身体か社会か、損傷か障害かという社会モデルの基礎的区別が無効化されてしまう。これが枠組の根幹にかかわる欠陥である(177p)と、著者は主張する。
果たして本当にそうか。確かに損傷かどうかということでさえ、身体ではなく社会の問題だというところまでは間違いない。そして、構築された損傷が、人びとの否定的な態度を形成し、差別が生まれる、とすれば、医療モデルで従来言われてきたように、損傷に焦点をあてる見方は誤りであり、社会に焦点をあてることに意味があるということの妥当性は残るのではないか。これこそが、障害の社会モデルの持つ意味ではないかと思う。
いくつかの例示の後、180頁では以下のように書かれている。
このように、イギリス障害学の核である障害の社会モデルは、パトラーの批判やOG問題(オントロジカル・ゲリマンダリング問題)の存在によって致命的に毀損されたと考えられる。一般に非構築物と構築物を区別する形の構築主義は成立し得ない。障害の社会モデルはそうした構築主義の一種である以上、維持することはできない。
このように、障害を巡る社会学に自らを対置してきた障害学は、それ自体の正当性を失うに至る。しかし、話を複雑にするようであるが、イギリス障害学の登場がもたらした変化が、すぐれて社会学的であったことを否定する必要はない。・・・(180p)
このように書いて、社会モデルによる障害の再解釈は、常識を問い直すような社会学的展開であった。という。
まず、ここの前半に書かれているように当初の英国流の障害の社会モデルには問題があり、それは障害学の内部でも議論されてきた話だ。そこで不思議なのは、この本、その障害学内部での議論に、少しだけ触れているものの、ほとんど看過しているように見えることだ。例えば、『障害学のリハビリテーション』で星加さんはトム・シェークスピアからの社会モデルへの根源的な批判を紹介している(*)が、ぼくが読む限り、この本でそこには触れられていない。社会モデル批判の先行研究は障害学の中にこそ豊富にあるはずなのに、そこに触れると、彼が書いていることの整合性がとれなくなるからか、と邪推してしまう。
(*)参照 『障害学のリハビリテーション』メモ その1(書きかけ)
https://tu-ta.seesaa.net/article/201401article_2.html
ただ、上記のようにポロヴォーキング(ケンカを売っているよう)な書き方は嫌いではない。そのことで差異が明確になり、論争の輪郭がはっきりするから。
「障害者差別禁止法制は、障害の社会モデルを原動力として制度化されたと考えることもできる」(182p)。しかし、法制化されて、障害者とは誰かということに社会モデルは定義できないとする。
そこはそうだと思うが、これに続く、「障害の社会モデルは・・・障害者の社会的包摂のために、すなわち社会モデルで言うところのディスアビリティ解消のために、医療や施設は有害でしかないという問いを発することができる」と書かれるのだが、少なくともぼくは障害学界隈で「医療や施設は有害でしかない」という主張を聞いたことがない。「問いを発することができる」という表現が微妙で言い逃れできるように書かれているのかと思うが、ここはありもしない障害学の姿を捏造しているようにも感じる部分だ。あえて、プロヴォーキングに描くというのは好きだが、事実でないことを書いてしまうのはダメだと思う。
上記の文章を受けて、「こうして障害学が障害学の帰結と直面する段階で必要とされる学知を、障害社会学として再定式化しようとするのが本書の目的である」と書かれる。その前提が「どうよ」という話だが、それを除いても違和感の残る部分はある。障害社会学を用いて再定式化したいのであれば、それはご自由に、というしかないのだが、原則的には「障害学が障害学の帰結と直面する段階で必要とされる学知」は障害学自らが獲得すべきものではないか。障害学に障害の社会モデルを何が何でも、発足した当初の英国モデルのまま死守しなければならないというルールはない。
また、190頁に障害学VS障害社会学という話が出てくる。
・・・。ここで焦点が当たっているのは過程である。それは物体の運動のような意味での知的運動であり、時間軸に沿って展開される。こうした観点からは、共時的な障害社会学 対 障害学という対立関係を前提としなくても良く、また障害社会学を構想するために、これまで障害学がおこなった貢献を否定する必要もない。障害の社会モデルやイギリス障害学の登場は、障害社会学の展開過程の一部であったと考えることができる。しかし、障害社会学は、障害の社会モデルという特定の認識にも反省可能性を認めることになる。障害学、少なくともイギリス障害学は、障害の社会モデルという特定の認識を核としているため、それを維持するためには反省可能性を閉ざさなければならなくなる。そうして教条に陥った障害学は、もはや障害社会学の一部ではなくなる。190p
プロヴォーキングに好きなことを書いてるなぁと感じるのはぼくだけだろうか。
いままで書いたことで、上記への反論は出しつくしているような気がするが、さらにコメントしてみよう。
「時間軸に沿って展開される知的運動」というのは間違いないと思う。そして、「障害の社会モデルやイギリス障害学の登場は、障害社会学の展開過程の一部であったと考える」のも自由だろう。しかし、(少なくとも)イギリス障害学は教条に陥っていると最大限の侮辱を与えるのであれば、その根拠を少しくらい示してもいいのではないか。なぜ、そのように言い切れるのか、ぼくは英国障害学をフォローしていないのでわからないが、その認識は例示しないでいいほど客観的に誰にでも理解できるような形で教条的なのだろうか?
そのあたりのことは英国障害学シーンをフォローしてる人に聞いてみたい。
7節「障害学と社会モデルへの社会学的反省」では障害社会学に反省が可能だという例は書かれているが、障害学に反省が不可能だという話は書かれていない。ここで障害学を否定するならば、書かれるべきは後者なのではないか。
194pからは米国障害学の話になる。こんな風に書かれている
しかし、医療/社会二項対立は、アメリカ障害学にも見出される。先に引用したSDSの定義を見る限り、それはアメリカ障害学を他の研究領域から弁別するための最重要の特徴でもある。もしも障害社会学が、医療/社会関係を反省の対象とするならば、障害社会学は、イギリス障害学のみならず、アメリカ障害学からも区別されることになる。194p
158pに引用されているSDSの障害および障害学の定義(こんなに離れているのにページ数が書いてないので探した)によれば、そこにも医療/社会の二項対立が見られると著者は書く。そこにはこんな風に書いてある。
障害とは、専門家やその他のサービス提供者による医療行為やリハビリテーションによってしか除去できない、個人の欠損や欠陥であるという味方への挑戦。むしろ障害学の過程は、障害を規定する社会的・政治的・文化的・経済的諸要因を検討する様々なモデルや理論を探求し、また差異に対する個人的・集合的な対応を決める手助けをしなければならない。同時に障害学は、生物科学で測定・説明できないものを含む疾患・病気・損傷に付与されたスティグマを取り除くよう努めなければならない。最後に医学的研究や医療行為が有用でありうることは認めるものの、障害学は医療の実践と障害のスティグマ化の関係を問わなければならない。158p
って、これのどこに「医療/社会の二項対立が見られる」のだろうと最初にぼくは思った。医療は有用だが「障害学は医療の実践と障害のスティグマ化の関係を問わなければならない」という主張か? 著者は医療がスティグマを生み出すようなことはすでになくなったと主張したいのだろうか? なくなったにもかかわらず、こんな書き方をするのは二項対立的だ、と。このSDSの定義は医療モデルでの障害把握の中にコンフリクトがあるということだ。そこを見ていかなければならない、というそれだけの話ではないかと思った。これが二項対立的だと否定される。それでいいのか、と最初に感じたのだが、自分の解釈の間違いに気が付いた。
ここには確かに二項対立的な要素は残っている。しかし、それだけではない、という主張でもある。そして、思った。
「**は二項対立的だからダメだ」という言い方があるのだが、この言い方もまた二項対立的なんじゃないかということ。二項対立的な要素が消えないことは多い。しかし、二項対立だけでもない、二項対立だけを強調するのはダメだが、二項対立がないかのように主張するのもダメだと思う。(それは弁証法じゃないかとフェイスブックで友人に指摘してもらった)
医療が有用である理由の大きな部分は、医療が医療によって個人の『インペアメント』を軽減したり、直したりする部分だろう。歴史の中で、そこだけがクローズアップされ、社会の仕組みが障害をもたらしてきたことは問題にされてこなかった。それが障害者運動や障害の社会モデルという主張が生まれる中で明示されるようになってきた。その有効性はいまも失われていない。障害者手帳の仕組みなどはいまだに、医療モデルそのものだ。社会とのコンフリクトの中で困っていることではなく、機能的な欠陥・欠損などが判定の基準となる。
著者の主張は二項対立的だからダメだという主張にも読めたのだが、二項対立的な要素はいまだに色濃く残っている現状を等閑視しているように感じる。もちろん、それぞれにおいて、二項対立があるだけでなく、協調や参加が必要な部分もあるだろう。それをバランスよく、トータルに見ていけばいい話なのに、二項対立を忌避する姿勢は、ここだけでなく、ぼくより若い人たちの間に広がっているようにも感じるのだった。
とはいうものの、この著者の本は充分プロヴォーキングで、障害学と障害社会学の二項対立をあおるような本ではある。ぼくもあおってるけど(笑)。
あと、気になったのは「価値」と「価値との距離感」。この本では「価値」や「価値との距離感」の話は出てこない。しかし、この著者の主張の背景に、ありもしない「価値中立」を求めているような影が見えるのだった。(思い過ごしの可能性もある)
障害学が成立してきた背景には、明確に、障害者の人権の尊重や障害者への差別・排除の除去という価値観がある。
その価値を見失ったところに、障害学の意味はないのではないかと考えている。しかし、障害社会学はそこからも自由だというような主張ではないかと感じるのだった。そんな風に考えるアカデミシャンが存在するということはあるだろう。しかし、ぼくはそれでは満足できない。
また、これらの価値とどう向き合うかということも、障害学のテーマでもあると思うのだった。
そして、最終的に以下のように書かれる。
「以上で障害社会学という専門領域が、いかなる特徴を持ちうるのかについて考察してきた。・・・」確かに、そこは記述されているかもしれない。しかし、なぜ、障害学ではダメなのかという部分についての説得力のある議論はなかったように感じたのだった。(読めてないだけかもしれないけど)
「あとがき」で著者は学生時代は学際的環境にあって、既存の学問領域(法学・経済学・社会学など)の境界を横切るような研究・教育環境だったという。そして最終的に社会学を選んだこと、さらに、学部入学当初に障害学に興味を持ち、研究を進めるなかで、社会モデルが通用しないと思い至り、障害学の内部で社会モデルを問い直すことへの限界を感じて「障害社会学」を構想したという。聞きたいのは、この限界を感じたという部分で、なぜ、障害学の中で社会モデルの問い直しができないと思い至ったのかということなのだ。繰り返しになるが、これに関して、十分に展開されているようには思えなかった。
ただ、『障害学への招待』から20年、という紹介には「そうか」と思ったのだった。
著者は「『障害学への招待』から20年・・・障害学に代わる新たな知の領域を、こうした時期に提示できることに感慨を覚えます」と書く。
しかし、思い直した。
それはあるのではないか。例えば、障害者の権利を不当に制限したり、認めないことを正当化し、それを結論とする議論、障害者差別を肯定する議論、こういう議論の領域があるとして、それは障害学ではありえないとぼくは思う。障害学はそういう意味で価値志向の学問ではないかと。しかし、それは障害学ではなくても障害社会学ではあり得るかもしれない、とは感じるのだった。
ちなみに、著者も書いているように障害学は学際的な学問だ。だから、社会学だけでなく、経済学も政治学も、哲学も倫理学も歴史学もあらゆる領域を横断する学際的な思想の営みでもある。この本ではそのことは言及されない。障害社会学と学際性の話も聞いてみたいと思ったのだった。
ともあれ、「障害学は終わっている」という主張はとても刺激的で読書の興奮を味あわせていただいた。
繰り返しになるが、ぼくはこういうプロヴォーキング(喧嘩を売ってるよう)な文章、大好き。
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