『ACT‐Kの挑戦 実践編』メモ

読書メーターでの感想

10月3日、高木俊介さんの講演会に行くことになり、図書館で10月2日の夕方借りて、3日朝読み始めた。読み終えたのは16日。ACT-Kは京都で発生した奇跡じゃないかと62ページまで読んだ段階で感じた。この本の冒頭で、高木さんは『精神科医療に精神科医はいらない、もしかしたら。』って書いてしまっている。まあ、医師としての責任放棄と言われれば、その通りかも。しかし、ぼくはそれが悪いとは思えない。多くの人が人と人との関係が原因で精神を病む。その回復にいちばん大切なのは人と人との関係だと思う。3つめのコメントへ続く

こんな風に書いたものの、3つめのコメントを後で書こうと思っているうちに、何を書きたかったのか忘れた。

精神障がい者地域包括ケアのすすめ―ACT‐Kの挑戦 実践編
(メンタルヘルス・ライブラリー)

目次

序章 精神障がい者の地域包括ケアにむけて

1章 ACTとACT‐Kチームの概要

2章 「あたりまえに生きたい」を支えるしくみ―ACT生活支援総論にかえて

3章 とにもかくにもチームつくり

4章 待力勝負の生活支援―その人らしい生活を支えるために

5章 待っていたフリーダム―安心してはばたくために

6章 日常生活の山場を乗りこえる―急性期によりそう支援

7章 出会いこそすべて―未治療の方や医療中断されている方との出会いから学ぶこと

8章 家族支援の失われてきた視点―家族がケアしない権利を保障する

9章 管理職もまた楽しからずや―ACTを支える管理職論

10章 再び社会に戻る―信頼関係を築けたからこそ

11章 そうは言ってもお金の話!?―サービスが先、お金はあとからついてくる

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784826505802 から

高木俊介さんは序章「精神障害者の包括的ケアにむけて」でこんな風に書く。

・・・病院を中心とする医療の時代そのものが終わりつつあるのである。その後にくるのは、キュア(治療医学)よりもケア(生活支援)を中心として、生活の現場にある地域の中で患者=障がい者の生活の質を支えるための包括的ケアである。 精神医療のそのような転換を余儀なくされるであろう。そのような見通しのなかで、ACTが注目されている。 10-11

その転換は、いつ、どのように出現するのだろう。確かにそんな風に言う人は他にもいるが、病院中心の医療はまだまだ盤石に見える。高木さんからは違う景色が見えているのか?

ACTは本来、精神障がい者の脱施設化という社会政策のもとで行われるものでなくてはならない。ACT自体は危機介入も含めた個別的・集中的な援助を主眼としたものである。それゆえ、障がい者住居の確保、就労のための受け皿、社会参加のための種々のインクルージョンの仕組み等、全体的な地域保健体制のビジョンがACTの背景になくてはならない。日本でACTを行う場合の問題点は、乏しい地域精神保険体制 との整合性がないという(こと)15-16p

ここのもとの文章はちょっとヘン。

こんな表が掲載されている。

表3 地域精神保健に携わるスタッフの適性

1、しっかりと自分を保ち、困難に揺るがないこと

2、偏見から自由で受容的であり、批判的ではないこと

3、忍耐強く、押し付けがましくないこと

4、現実的で問題解決中心指向であること

5、柔軟であること

6、共感性豊かなこと

7、楽観的で支持的であること

8、穏やかで意志が強いこと

9、ユーモアがあること

10、謙虚であること

11、物事を社会的文脈の中で考えられること

17p

*参考文献「コミュニティメンタルヘルス―― 楽しい地域精神保健活動の理論と実際』より

こんなスーパーマンいないだろ。

ACTと提携する就労移行「そらいろ」でもIPSをめざす。18p

また、ACTが「地域で精神障がい者の生活全般を管理するための強力な道具になりうる」ことは明確に指摘され、「同時に現在、ACTを推進しようとしている人たちの中では、そのような危機意識が薄い」とも指摘されている。(20p)

そして、高木さんが強調するのは以下

「なかでもACTという組織にとっても弊害となるのは、医師を頂点とする医療・福祉業界のヒエラルヒー構造」(20p)

講演でも強調されていたのが、医師とコメディカルスタッフが対等であること。本では以下のように書かれている。「対人援助を行う労働者が忠誠を誓うべきは、そのような組織でもなく、ましてや本来は対等であるべき医師ではなく、利用者その人だけなのである」(21p)と。

「忠誠を誓う」という表現はどうかと思うが、当事者に向き合うことが、いちばんちゃんとやらなければならない話だというのは間違いないだろう。

1章 ACTとACT‐Kチームの概要

この章にACTの説明が記載されているが、もしかしたらACTの説明はこの章よりも厚労省のサイトのACTガイド

https://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/cyousajigyou/jiritsushien_project/seika/research_09/dl/result/07-02b.pdf

がまずはわかりやすいかも。

3●ACTの目的 (23p)

上記のACTガイドではACTサービスの目的について、「利用者の方が希望する生活を送れるよう、応援していくこと」とあっさり書かれているが、本ではACTの目的として4つあげられている。

1、重い精神障がいのある人が、住み慣れた地域で安心して質の高い生活を送ることができるように支援すること

2、 重い精神障がいのある人の退院促進を支援すること

3、重い精神障がいのある人や、その家族が安心して質の高い生活を送れるように支援すること

4、 1~3が実現できるような地域づくりを行うこと

4●ACTの特徴 (23p~)

表2 ACTプログラムの特徴
というのが24ページに記載されている。。

WEBにないかと検索すると、ACT-Jのホームページが出てきて順番や微妙な表現は違うが、ほぼ同じ内容が記載されている。
https://actips.jp/about-act/b

2.ACTの特徴

①多職種によるチームアプローチ (本では2)

看護師、ソーシャルワーカー、リハビリテーションの専門家、作業療法士、精神科医などの多職種の専門家によってチームを構成します。

②スタッフ:利用者の比率 (本では3)
10名程度のチームスタッフに対して、100人程度の利用者を上限とします。すなわちスタッフ1人に対して10から12人の利用者の比率を保ちます。

③ケアの共有  (本では4)
特定の利用者に対して中心的な役割を果たすケアマネジャーが指定されますが、チームの全員が全ての利用者について十分な知識をもち、ケアを分担して支援します。

④「生活の場」での支援 (本では6)
利用者が生活している場面での相談・支援が原則で、積極的に訪問が行われます。

⑤直接サービスを提供 (本では5)
必要な保健・医療・福祉のサービスの大部分を、チームが責任をもって直接提供することで、サービスの統合性を図ります。

⑥1日24時間/週7日体制 (本では8)
1日24時間・週7日対応で、危機介入にも対応します。

⑦無期限のサービス (本では7)
原則的にサービスの提供に期限はありませんが、利用者が回復しニーズがなくなった場合などには、他のサービスに引き継ぐこともあります。

⑧柔軟なサービス
必要なときに、必要な場所で、必要なサービスを提供します。

⑧だけが、本の記述と異なり、本では「1」として以下

1、従来の精神保健・医療・福祉サービスの下では地域生活を続けることが困難であった思い精神障害の人を対象とする。

いろんなひとに幅広くACTのようなサービスがあればいいと思うのだけど、継続が困難な人じゃなきゃだめなのかなぁと思った。


5●重要な理念 (25p)

そして、この章で重要な理念としてあげられているが

・リカバリー

・ストレングス視点

・パートナーシップ
 ここで記載されているのは利用者とスタッフのパートナーシップ

・精神疾患・障害複合(Mentally ill-Disability-Complex:MID-complex)
 この概念については以下のような説明がある。

(この)概念では、精神障がいを「疾患」部分と「障がい」部分に分けてとらえるのではなく、その人自身そしてその人と環境との相互作用を含むものとしてとらえる。この概念を導入することで、障がいの軽減のためには疾病の管理が必要であり、疾病を治療するためには障がいに対する援助が効果的であるとする考えの基盤ができる。27p

わからなくはないけど、疾病の管理とか言われるのは嫌だなぁ、たぶん。

そして、【医療と福祉の専門職が同じ組織でチームを組み、専門知識と生活者としての 各々の異なった視点を持ち寄る「複合的支援」が必要である】とされている。この「生活者としての」という部分がけっこう大切なのだと思う。

この説明の前にこんなことが書かれている。

・・・。これらの理念を実践に導入することによって、ACTが濃密なケアであるだけに陥りやすい利用者を不必要に依存されてしまうことや、のモデルからなるケースマネージメントに移行した場合の利用者の再発や意欲減退を防ぎ、利用者とスタッフの関係が「管理する―管理される」といった一方的な関係に陥ることを防ぐことができる。 さらにはスタッフやチームが、方向性を見失ったと感じる時、悩み困った時に立ち戻る基盤ともなる。 25p


ちなみに前出の厚労省のサイトのACTガイドで「ACTが大切にしていること」としてあげているのが

・リカバリー
・ストレングス
・地域を中心とすること

3つめが違うんだけど、こっちのほうが大切じゃないかと思う。

たぶん、この本では、それが当たり前の前提だから書いてないのかも。実際、ACT-Kでやってることは「地域を中心に」してる。

7●チームであることのメリット(28p)

メリットを書く前に大事なことが書かれている。

「これらACTの支援を自らの力に変え、奇跡のような変化を導くのはいつも利用者自身である」

で、チームであることのメリットとして

・スタッフが抱え込んでしまわないこと

・スタッフの燃え尽きを防ぐこと

など、書かれている。

書かれてはいないが、複数の人が複数の考え方や視点で、その人の支援について見て、できれば、その人を入れて話し合って方向を決めることが大事だと思う。


11●Individual Treatment Team(ITT) (30p)

ACTは一人のスタッフが10人までの利用者について主担当となる。

そして、他の2~3人と組んでITTという「個別援助チーム」と組んで日常の支援を行う。

しかし、利用者に対するケアはチーム全体で対応し、

支援計画やサービス提供や目標達成についての責任もチーム全体で共有する。

~~

(ITT) これ泣いてる人が汗を書いてるようにも見える。

ちなみに I(TT) これは泣いてる人が手を振り上げてるところ

~~


12●チームミーティングについて (31p)

チームミーティングは、全体チームでもITTでも頻繁に行われ

「とにかくよくしゃべるのがACTチーム」とのこと。


4章 待力勝負の生活支援―その人らしい生活を支えるために

  • おわりに (から抜粋)

 非常に拒否の強い方との日々の関りの中で、利用者自身が一歩踏み出せる根底に芽生えたもの・(略)・それは利用者が持てた『安定した安心感・信頼感』ではないだろうか。

 例えば、汚れたところを見てしまうと・・・(略)・・・。・・・汚れた所で暮らすのは、衛生面、健康面から見てもいいことではない。しかし、それを理解した上で利用者から「綺麗にするのを手伝って」というニーズが出るまで待つことが大切であり、「あえて何もしない」ということが支援の一つに繋がるのである。ただ待つのではなく本人の持つ力を信じ「こうしてみてはどうだろう」「こうしたら楽になるかもしれない」という提案をそれとなく伝え続けることが大切だと考える。・・・(略)・・・

 また、利用者が気になっている病状を中心に関わりを持とうとすると、拒否に繋がり支援はできなくなる。支援を続けるためには、本人に病気・病状を意識させ過ぎず、今こだわっていることにしっかりと付き合いながら、関係性を構築することを最優先するのが大切である。 ・・・(略)・・・

 生活の揺れに付き合い続けていくと日常生活で起こりうる様々な出来事に対する本人の反応を予測できるようになるといいスタッフ側の気づきもあり、「本人を含むチーム」が出来あがっていたのだと思う。

 地域で生活していく中では、いつでも起こりうる揺れ。この揺れに付き合うことそのものが生活支援などだと、セイコさんが私たちに教えてくれたように思う。83-84p

これって、知的障害者の自立生活にも言えるのかも。



6章 日常生活の山場を乗りこえる―急性期によりそう支援

「危機を乗り越えるときに必要なこと」として、この章には以下のように書かれている。

 病状ばかりに着目し対処しようとするのではなく、常に「この人にとっての『安心』とはなんぞや !」と原点に立ち返りながら支援方法を模索する。危機のきっかけが日常生活の些細な、けれどもその人にしかわからない重大さを持っているのならば、安定を取り戻すきっかけとなる「安心」もその人とその生活の中にあると思う。110p

確かに「安心」は入院や薬からよりも、生活の中にありそう。危機的な状況で必要なのは「安心」なのだろう。薬が必要なときもあるかもだけど。

また、それはパニックを起こしてしまった自閉症の人にも言える。

さらに言えば、危機的状況ではないときには、「安心」を超える負荷が必要なこともあるのかもしれない。

そして、この章の結語

6●最後に  の前半部分

 ACTにおける「危機介入」は、本人と家族が地域で暮らすことを支える支援の一部分である。本人を日常生活から一時的に切り離して悪化した病状を治療することは目的としていない。危機介入の時も本人の生活は続いているから、 その生活の中でその人自身が回復していく。私たちはそのような流れを助ける社会資源の一つであれたらと思う。118p

で、この後のコラムの最後には以下のように書かれている。

 危機介入は「安易に入院に頼らない」、そしてその後のの地域での「あたりまえの暮らし」を目指した支援でなければならない。「安易に入院に頼らない」とは何か、「あたりまえの暮らし」を支えるとは何か、危機介入においてもそのことを問い続けることを求められている。120p

そう、精神障害者の危機的状況にはあたりまえに入院という方法が選ばれることが多いのではないか。それを選ばずに、危機介入するということの意味は大きいはず。


7章 出会いこそすべて―未治療の方や医療中断されている方との出会いから学ぶこと

125p~は

未治療者の支援の大原則

――入院治療を前提とした支援開始ではなく暮らしの支援から開始する

という話がシュンイチさんの例で記述されている。

①相手を追い詰めない出会い方をする

・追い詰めたり、怯えさせたりは決してしないよう配慮
・問題行動や風変わりであることを指摘しない
・生活スタイルは崩さない
・短時間訪問
・「帰れ」のサインに従う。様子を見て判断。
・週4回訪問して、そのうち1回ぐらい数分滞在できた
・会えないときは手紙。存在を残す

②シュンイチさんの持つ世界、興味関心事に焦点をあてる

・そして、共感を返すことに徹した

③自己開示して訪問者に興味を持ってもらう

・徐々に「まあ会ってもいいけど……あなたは誰」という段階に
・おしつけがましくなく、そっとその人の空気をその場に置いていく

④感謝を伝える

・時間を割いて会ってくれたことへの感謝

125-126p

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なかなか我慢強い態度が必要なのだと思った。

この章の結語近くでは精神医療の在り方の転換が書かれている。

 これまでの精神医療の中で、治療者の立場から本人を「患者」として位置づけ、病状管理・投薬管理・治療ありきの考えに終止符を打ちたい。133p

ちょっとヘンな文章だが言いたいことはわかる。この少し後には以下のように続く。

病識があるかどうか、障がいを受容しているかどうかに焦点があてられ、それができていなければ退院は難しい、就労は難しいと判断される。しかし果たしてそうだろうか。私たちが出会ってきた人たちから思うことは、その人が一人の人間として受け入れられ、自分の生活を守って、周囲とも折り合いがついてきたならば、その過程において自分の生きづらさを自ら受け入れて生きていけるようになる。133p

まあ、そうだと思うのだが、少しひっかかるのは「周囲とも折り合いがついてきたならば」という部分。ここは「その人が一人の人間として受け入れられ、自分の生活を守」ることができるようになることで、そうなるのであって、「ついてきたならば」というよりも、その前提がかなうことで、折り合いがつけられるようになる、という話だと思う。だから、ぼくだったらここは「その人が一人の人間として受け入れられ、自分の生活を守っていけるようになったら、周囲とも折り合いがつくようになる。その過程において自分の生きづらさを自ら受け入れて生きていけるようになる」と書くかなぁ。

 そして、結語に大事なことが書いてあると思った。

 ここまできて、大きな偏見は、治療者や専門職にこそあるのだと痛感する。変わるべきは障がいを持つ人ではなく、「病気を持つ人の治療優先」の考えで、生活を奪ってきた精神医療に携わる従事者のほうである。134p

ここは携わるすべての人が考え、自らの在り方を変えていかなければならないところだろう。

ただ、気になるのは、「障がいを持つ人」という表現。どうして、こんな表現を使ってしまうのだろう。「がい」がひらがななのがダメだと思うし、「持つ」っていう表現も・・・。

この章の巻末コラムに

精神保健福祉システムの開始に「診断」と「医師の指示」が必要だとすることの問題が記載されている。確かにその通りだと思う。困っている人がいるのに、その困っている状況はわかっているのに、「診断」と「医師の指示」がなければ福祉が動くことができないって、間違っている。

8章 家族支援の失われてきた視点―家族がケアしない権利を保障する

9章 管理職もまた楽しからずや―ACTを支える管理職論

162ページに「管理者が無能だとスタッフが成長する」と書かれている。確かにそういうことはあると思う。

しかし、管理者に自らが無能であることの自覚がないと悲惨。また、無能な管理者が無能であることを自覚せず、イエスマンばかりを周りに集めたりすると、もっと悲惨。

10章 再び社会に戻る―信頼関係を築けたからこそ

11章 そうは言ってもお金の話!?―サービスが先、お金はあとからついてくる

ACTの理念にのっとれば、お金になる支援だけではダメだと書かれている。とはいうもののとして、宅急便のヤマトの故小倉昌男さんの言葉であるこの表題が引用される。

「サービスが先、お金はあとからついてくる」

ACT-Kが運営できているということは、なんとかなっているのだろう。

ここにクリニックと訪問看護ステーションに分けて記載してある、報酬などの内訳の表は参考になるが、高木さんがいうようにコメディカルが中心で組み立てたときに、クリニックの分がどうなるかが不明。高木さんはコメディカル中心のACTが必要だが、そのネックとなるのは精神科医との関係とのこと。このあたりの費用の問題も含めて、という話になるのかもしれない。

そして、この章の最後のほうの比喩が秀逸

・・・、現行の診療報酬の体系は、医師を頂点とした資本家階級が支配し、病院という場所にあたかも生産手段が独占されているかのようにみせかける仕組みになっている。そのために、看護師も精神保健福祉士も作業療法士も、医師を頂点とした病院体制に忠誠を使ってしまっている。

対人援助職が忠誠を誓うべきは・・・被援助者なのである。190p

資本家階級としての医師に従うコメディカルという体制をどう壊すかが問われていると言えるだろう。


あとがき

 この本を読んでいると、まるでミラクル全集のような気がするのかもしれませんが、伝えたいのはそこではありません。こうすればうまくいく、いかない」ではなくて、伝えたかったことは人と会うと「元気になる」lことです。何かをすればそうなるのではなくて、顔の見えるお付き合いを大事にしていると不思議とそうなってきた、ということをその場にいる人の言葉で伝えてきたかったのです。195-196P

そういうことなんだろうなぁと思った。

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