【知的障害児を通常学級へ これは親の行き過ぎた「教育虐待」】という文章が支持を受けていることと日本社会の排他性(2021年3月追記)
知的障害児を通常学級へ これも親の行き過ぎた「教育虐待」ではないのか https://otonanswer.jp/post/77411/
これの何が許せないかといえば、インクルーシブな社会をめざして、がんばって通常学級に子どもを通わせている親への非難や批判を誘発させるだろうと想像できること。表面に出なくても、ボディーブローのダメージは大きそう。
通常級でまったく配慮が受けられないことが多い今の日本社会で支援級や支援校を選びたくなる気持ちは理解できないわけではないので、それを選ぶ親を非難することはできない。しかし、いまの学校をなんとかしなくてはいけないという思いで、非難にさらされながらも、なんとか通常級に子どもを通わせている親に「教育虐待」という悪罵を、誰が投げつけることができるのかと強く感じる。
あまりにも発想が裏返っていると思ったのです。
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障害者だからということで【いじめられたり、自信をなくしたりして相当、傷ついている】のだから、支援校へ行くべきだと彼女は主張するのですが、そんな普通学級こそが変わらないといけないはず。そこは、そのまま許容して、障害者と名指された子どもは近所から遠い支援校にバスで通わなければいけないのですか?
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障害者と呼ばれる子どもが普通級でちゃんと合理的配慮を受けながら教育を受ける権利を国連障害者権利条約は求めているはずです。そして、そのためのインクルーシブ教育の仕組みも世界中ですでにさまざまに実践されているし、その手法こそがもっと深められなければならないと思うのです。
aki*****
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この記事の通りだと思います。
保育園で働いていますが小学校への入学時にはすでに予測されるであろう困難がわかっているので保護者に支援級への促しをしますが聞き入れて貰えずやはりクラスでいじめや自己肯定感がズタズタになってから親がやっと気づき支援級へ…
それでは遅いのです。
子供が子供らしく毎日を過ごせるようにする為に考えてあげて欲しいです。
その子の未来のために…
是非この記事が多くの方に読んでいだけることを望みます。
|削除 現・在・の・通・常・学・級・へ子どもを生かせることが「教育虐待」にあたるような事例は確かにあるのです。それはそこに行かせる親の問題ではなくて、そのように虐待に当たるような対応しかできない『通常学級』の問題なのではないでしょうか。日本も批准し、守る義務がある国連権利条約は通常学級ですべての子どもが合理的配慮を受けながら教育を受ける権利を行使できるようにしなければならないと規定しています。
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繰り返します。いまの通常学級に障害があるとされる子どもを通わせることが虐待に当たるような事例があるとすれば、変わらなければならないのは親ではなく、学校のほうであり、世界各地の実践はさまざまな障害のある子どもが同じ教室で学ぶことが可能であることを実践で示しています。
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その子が12年在籍して、何のスキルもつけられないとしたら、それは通常学級に在籍したことが問題なのではなく「合理的配慮」の不在の問題です。
また、こんなコメント欄の流れもあった。ここでも排除を求める声が多かったが、とりあえず、ひとつの印象に残ったやりとりを転載。
| 切り取った例になりますが、近くのお母さんが重度障害を持つ娘を普通学級に入れようと奮闘しています。
どのくらい重度かと言いますと、寝たきり、胃ろう、人工肛門、意思疎通反応なし、一点を見つめたまま動かず当然会話不可の状態です。
教育委員会は特別支援学校を勧めたみたいですが、これを断固拒否し、公立小学校にエレベーターと専属の看護師の設置を市に求めてるようです。
差別を無くしたい、という想いをローカルラジオに出演して語ってもいます。
朝から夕方まで教室に同級生の母親がいるというなんとも気まずい環境。
こういう人って自分自分自分、我が子、我が子、我が子で他の生徒の事はどうでもいいのでしょうね。
これに対して、同意し、障害者の排除を呼びかけるようなコメントがたくさんあるなかで、以下のようなまともコメントも
idc*****さん
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なかなか難しいですね。
ただ言えるのは大人になったら別にできないってことです。障害者枠なりで、健常の方と一緒に生活していく機会が増えます。
大人になってから急に一緒にはもっと厳しいと思います。
ただ、私も就労が厳しい重度障害者の方を普通学級へというのは違うかなと思います。
でも学区内の学校内の特別支援学級を特別支援学校と同等レベルにするのが正解だと思うし、また健常と言われる子にも様々な問題を大小なりかかえているなかで、もっと教員1人あたりの子供の数を減らすべきだし、介助、看護、警備、清掃とそれぞれ役割分担するべきて、その為の人件費を国や自治体がつけるべきだと思います。
教員の過労、イジメ、虐待など担任が背負いすぎですよ。役割分担でまず、大人側が余裕持たないとずっと教育関係のあらゆる問題は解決しないと思います。
実際過疎地の小規模校から都市部の大規模校の教員を見てきて感じたことです。
ぼくは学校の中で、あらかじめ分けることにも反対だが(たくさんの人といっしょにいられない人への配慮は別)、これに対して、こんなコメントもあった。
cap*****さん
tu-taさん| cap***** さんが書かれている「度知的障害児の同級生のお世話係をさせられた身としては、とてもじゃないけど受け入れ難いおかげで私の小学生活は暗黒でした」という話、ほんとにたいへんだったと思います。
そのことを誰かに相談できたかどうかわからないのですが、結果として、過重な負担をずっと負わされていたわけですね。
もしかしたら、cap*****さんがやさしすぎて、その子の世話をしないで、他の子と遊びたいと言えなかったのかもしれないなぁと思いました。
ただ、これは、その子がクラスにいるからではなくて、cap*****さんに対する配慮の不在が問題なのでは?
もし、cap*****さんに対する配慮があれば、cap*****さんもその子がいることを受け入れ、クラスにいろんな子どもがいることの多様性の大切さを学ぶことができたのかもしれないのに、それを奪った教育があるのではないかと感じたのでした。
ヤフーニュースのコメント欄があまりにもひどかったので上記を書いたが、
https://otonanswer.jp/post/77411/
のコメント欄は真摯なものが多かった。
否、ヤフーのコメント欄も真摯なのだ。だから余計に問題なのだと思う。
また、著者の立石さんにはインクルーシブ教育を求める親も含めて
「教育虐待」という悪罵を投げつけるのは、差別を助長するので
そこには留意するように、一言、書き加えてほしいと伝えたのだが、何の反応もない。
特別支援教育が素晴らしいという考えは、同意はしないが、考え方としてあるかもしれないと思う。
しかし、インクルーシブ教育を求めるものにも「教育虐待」と悪罵を投げつけ、差別を助長するような主張はやめてもらいたいと思う。
知的障害児を通常学級へ これも親の行き過ぎた「教育虐待」ではないのか
配信
「教育虐待」という言葉があります。「あなたのため」という大義名分のもと、親が子どもに課す、行き過ぎた教育のことを指します。この教育虐待について、知的障害のある自閉症児の息子がいる私は「障害のある子の『学校選び』のときにも言えるのでは」と感じることがあります。
いじめや自信喪失の恐れも
自分の子どもが重くはない知的障害児の場合、親御さんの中には「取りあえず、通常学級に入れて、いよいよ、ついていけなくなったら、支援学級に移動させよう」と考える人もいます。しかし、子ども自身は「いよいよ、難しくなった時点」までにいじめられたり、自信をなくしたりして相当、傷ついていることもあります。
教室から脱走したり、暴れたりすれば、「ここにはいたくない」という子ども本人のSOSを大人がキャッチできるので、そこで、通級や特別支援教室の利用、支援学級への転籍も検討されます。
一方、おとなしい子はじっと椅子に座っているので、教師にとってはある意味扱いやすいです。ただ、中には通常学級内でポツンと座っていて、“お客さま状態”で放置される子もいます。そのため、周囲の人が特に注意して、アンテナを立てていなくてはなりません。
また、着替えがうまくできないと、「自分から助けを求めなくても、いつの間にか、クラスの子が手伝ってくれる」こともあるでしょう。その結果、ヘルプを出す経験を積むことができず、周りの人にやってもらうことが当たり前になってしまい、自立につながらないケースもあると聞きます。
例えば、重い知的障害があるのに、小学校・中学校の9年間を通常学級で過ごしたHくんのケース。彼は親の意向が優先され、通常学級にいることはできましたが、高校を受験する学力はなかったので、特別支援学校高等部に入学することになりました。
Hくん以外のクラスメートは中学から支援学級にいて、Hくんより障害が軽い子たちでした。着替えなどの身辺自立だけでなく、1人での登校や読み書きもある程度できていました。さらに「分からないから助けてください」とSOSを出す教育も受けていました。
ところが、通常学級に9年間いたHくんは、特別支援教育を受けていればできるようになったであろう着替えや一人登校なども身に付いていないまま、特別支援学校高等部に入学してきました。何より、分からない授業をじっと座って受け続けていたHくんの苦痛はどれほどのものだったでしょう。
一方、重度の知的障害があるため、小学校入学時、排せつの自立ができずにおむつをつけていたSくん。行政からは特別支援学校をすすめられましたが、親の意向で特別支援学級に入学しました。ところが、支援学級は知的障害の程度が軽い発達障害の子で占められていて、その授業内容は算数や国語。Sくんにとってはチンプンカンプンでした。
支援学級には、問題行動があったり、勉強を個別に見てもらったりしなくてはならない発達障害児も多くいました。しかし、支援員はSくんに付きっきりで「授業中のおむつ交換」「机の上のプリント類を食べてしまうので吐かせる」などの世話をしていました。その結果、保護者から、「私たちの子どものための支援員でもあるのに」とクレームが出たのです。
支援学級では、おむつ交換はしてくれますがトイレトレーニングまではしてくれませんでした。「もし、Sくんが特別支援学校に入学していたら、小学校卒業時にはおむつはとれていただろう」と保護者の間ではささやかれていました。 通常学級では「教科書の内容を理解できる」という前提で、国語や算数などの授業が行われます。1クラスの人数は35~40人。(教員定数に上乗せして配置される)加配の先生がいても、基本的に担任が1人で、この大人数の子どもを担当します。ついていけない子がいたら、周囲や先生が「周りに遅れないように」とヘルプしてあげるなどの対応をし、みんなが同じペースでカリキュラムをこなします。 これに対して、特別支援学級では、質問のタイミングや着替え、生活のルールなど基本の“き”の部分から生活をつくっていきます。通常学級では、丁寧な支援をしたくても人数の関係もあって難しい場合もあります。インクルーシブ教育の考えは素晴らしいですが、これが拡大解釈され、教育現場の全てを交ぜこぜにするのは果たして、本人のためになるのでしょうか。
特別支援教育も検討を
学校選びは保護者の意向が優先されます。その結果、「通常学級に知的遅れのない子と知的障害の子がいる」「支援学級に排せつの自立ができていない重度の子がいる」「支援学校に知的障害の程度が軽い発達障害の子がいる」という状況が生まれることもあります。その結果、指導が困難になり、担任は保護者から、「うちの子に合った指導をしてほしい」と要求され、疲弊してしまう、そんな現実もあります。
中には「知的遅れのある子を通常学級に行かせよう」という親の会もあります。そうした考えの人には、私の考えは到底受け入れられないでしょう。双子を育てている親に「大変でしょう」と言っても、その親は双子しか育てていないので、自分が大変かどうか正確な回答ができません。もしかしたら、一人っ子でも同じように大変さを感じるかもしれません。
これと同じで、息子に特別支援教育しか受けさせていない私は、障害のある子が通常学級で学ぶ良さを経験していません。ですから、偉そうに言う資格はないのかもしれません。ただ、特別支援教育という素晴らしい制度があるのになぜ、これを受けさせないのか、不思議に感じてしまいます。「特別支援学級に入学させたくても、知的遅れがないので入れてもらえない」「療育手帳がないため、特別支援学校に入学できない」子たちもいるのに…と思うのです。
私は現在、知的障害者の移動支援、ガイドヘルパーの仕事をしていますが、特別支援学校高等部を卒業した青年が誇らしげに「僕はスペシャルスクールを卒業したんだ」と笑顔で語っていたのが印象的でした。皆さんはどう思いますか?
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