「脳コワさん」支援ガイド メモ
「脳コワさん」支援ガイド
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=107342
鈴木大介著
本文は2色刷りで黄色いマーカーがあらかじめ塗られています。
もしかしたら、これも高次脳機能障害者への配慮かも。(これがノイズになる人もいるかなぁ?)
この読書メモでも基本的に本文通りにマーカーを引いてますが、間違ってるところもあるかも。
ともあれ、こんなに徹底した当事者目線のっていうか、当事者自身が書いていて、かつわかりやすい支援ガイドは今までなかったとぼくは思う。少なくともぼくは知らない。
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『「脳コワさん」支援ガイド』
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=107342
以下、上記のサイトから
「脳がコワれた」僕らから、
すべての援助者へ
本書をリハ職や心理職をはじめ、
看護職・介護職・ケースワーカー・ソーシャルワーカー・
学校教員・行政窓口等々、
脳にダメージを負って「困っている人」に接する
すべての対人援助職のプロフェッショナルたち、
そして当事者と家族のみなさんに贈ります。
著者より
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目 次
プロローグ
1 脳コワさんってなんだろう
2 脳コワさん支援の難しさ
第1章 病名は違えど困りごとは同じ
1 「脳コワさん」なんて、まとめちゃっていいの?
2 相手の話が聞き取れないのはなぜか
3 自分の意思を伝えられないのはなぜか
4 言葉のキャッチボールができないのはなぜか
5 原因は何であれ対処法は同じ
第2章 「楽」になるまでの8つのステージ
1 僕のプロセスを振り返ってみる
2 早期復帰を支えた5つのアドバンテージ
3 病前の日常が最良のリハビリ課題だ
4 「二次障害としてのうつ」という最悪シナリオ
第3章 「4つの壁」に援助職ができること
1 聞き取りの壁「苦しい」の声を受け止めてもらえない
2 受容の壁「何が不自由か」が分からない
3 言語化の壁「言葉にする」の途方もない困難
4 自己開示の壁社会に出ると「助けて」が言えなくなる
第4章 脳コワさんの生きる世界
1 破局反応(パニック)
2 情報処理速度の低下
3 感情をコントロールできない
4 ひとつのことに固執する
5 易疲労
6 非現実感
7 脳コワ症状をどう考えたらよいか
第5章 全援助職に望む支援姿勢
1 社会的困窮リスクを理解する
2 当事者を破局に追い込まない
3 援助職のみなさんへ
4 キャリア形成後の就労支援
5 キャリア形成前の就労支援
6 高齢者への支援
7 あらゆる「あなた」が援助者に
あとがき
Column
「死んだほうが楽かも」と「死にたい」は違う
唐揚げの肉を信じること
「支援の引き継ぎ」という大峡谷
どうすれば心理的破局から抜け出せるか?
不定愁訴の正体
自転車から降りられない!
Graphic Recording
ワーキングメモリとは?
感情の脱抑制とは?
8つのステージ
4つの壁
小さな失敗でソフトランディング
言葉にできない
情報処理から破局まで
固執に見える理由
認知資源とは?
聞きとれない
この本、面白くて、高次脳機能障害の人といっしょに何かすることがあれば、すぐにも役に立ちそう。
一人の当事者からの視点なのに、ちゃんと普遍性もある。
個々の特殊性と普遍性の絶妙なバランスがここにあると思った。
脳コワさんとは
「病名や受傷経緯などは異なっていても、脳に何らかのトラブルを抱えた当事者」と定義 5p
ただ、この呼称で傷ついたという主張をする人の声が著者に寄せられているとのこと。
著者はそのことをnoteに書いています。
https://note.com/dyskens/n/n3f8a7b32368e
すっかり忘れてたのだけど、読み返したら、ここにもコメント書いてました(汗)
著者自らが抱えた脳の困難、そして「同じような人に会ったことがある」という既視感。
両足を骨折しているのに、本人も周囲をもそれに気づかず、激痛のなか歩き続け、折れた骨が皮膚を貫いでも気づかず、絆創膏を貼るだけ。
自分で歩けないのは根性や努力が足りないからだと思い、周囲も「たいしたケガじゃないのに、なんでもがいてるの? いいかげん歩いてくれないと困るんだけどな」という感じ 10-11p
脳コワさんが適切なケアにたどりつくのを邪魔する4つの壁
1、聞き取りの壁
援助職側が聞き取ることの困難2、受容の壁
当事者が自らの不自由がどんな障害から起きているのか認識・理解することの難しさ3、言語化の壁
当事者がその不自由や苦しさを言語化し、援助職に訴えることの難しさ4、自己開示の壁
(ここでは主語は明示されていないがおそらく当事者・援助職の双方が)
家庭や職場など、医療以外の日常生活で接する人々へ、関係性を保ちつつ配慮をお願いすることの難しさ 12p
脳コワさんの苦しさは当事者だけ、援助者だけのバラバラの努力では決して解消されない。
脳コワさんにとって、医師よりも援助職の人々ほうが「はるかに重要な存在」。
この本は脳コワさん当事者から援助職の「歩み寄りの一歩目」にしたい。14p
(当事者が)相手の話が聞き取れないのは
1、思考速度の低下
相手の言葉の意味を考えているうちに話が進んでしまう2、ワーキングメモリが低い
聞いているうちに聞いた内容を忘れてしまう3、注意障害
聞き流してもいい話の枝葉や わからなかった言葉の意味に注意が集中し、そのあいだに話が進む4、周囲の無視してもいいノイズ的な情報に注意が飛び、話に集中できない
騒音、光、においなど5、気がつくと相手が何を話したのかわからなくなりパニックになる。
日本語なのはわかっても「意味」が頭に入ってこない
ワーキングメモリが低いとは、
「水に筆をつけて、白い半紙に字を書いている」ような状態、とのこと。21p
脱抑制の当事者感情
人の心を〈風船〉に、感情を〈ポンプ〉で注入する空気だと考える。
雑踏で肩がぶつかったなど、通常であれば、少量の空気が入って、イラっとしておわるような話でも、風船が破裂寸前まで膨れ上がるほどの、経験したことのないような感情が心に生まれてしまう。
そして著者は自分の風船には常に8割の(意味不明の)空気が入っていたので、些細なことで毎度。破裂寸前に、とのこと。
これを読んで、ぼくが当事者の知り合いの話を聞いたことと総合すると、破裂寸前じゃなくて、破裂させちゃってる人は少なくない、と思って聞いたら、「やっぱり破裂させたらまずいと思うので、タバコのポイ捨てなどしてる、その人に対して破裂させてもいい人を探してた時期もあるとか。
そして、これほど必死に耐えているのに、「幼児化」なんて言われた日には・・・。32p
会話での対処法
・ゆっくり話す。
・話題をシンプルに、枝葉に振らずに短く話す。
・話が終わるまで遮らずに聞く。
・唐突な質問などの変化球を使わない。
・一緒にメモを取って確認しながら話す。
・言葉にしづらいことを問いつめず、待つ。 37p
ついつい、やっちゃいけないことをやってしまいがちなので、要注意!!
「死んだほうが楽」と「死にたい」への対処法の違い。
「死んだほうが楽」という人に必要なのは「鎮痛」傾向の支援
「死にたい」という人には、強い自己否定や自責感情に至るような失敗をさせないようにすること。
・すでにやってしまった失敗の記憶をどう扱うか
・失われた人間関係をどう取り戻すのか
相談に乗って上げること 51p
と書かれているが、「失われた人間関係」を取り戻すのは難しいのではないか。
相談に乗るのであれば、戻したいという気持ちは聞きつつも、そうではない方向も含めていっしょに考えるしかないのでは?
55pでは、「回復実感」について以下のように書かれている。(要約)
入院時当初の説明が「脳梗塞の後遺症は”半年で症状が固定し。それ以降の回復曲線はほぼ横ばい」というものだったが、回復を実感するのは1年以上経てからがほとんどであり、半年というのは、自分の障害や不自由がどこにあるか探り出す道なかばの時期で、回復どころではない。
脳卒中や脳外傷で、再発悪化のリスクコントロールが必要な時期を急性期というのであれば、「高次脳機能障害の急性期」は半年から1年というのが当事者としての実感。
脳卒中や脳外傷で急性期というのは単に病院の種別に対応しているのではないかと思うのだが、どうなのだろう。
第2章3節(64p~)のタイトルは
「病前の日常が最良のリハビリ課題だ」というもの
超簡単に書いてしまえば、病前の日常を意識したスモールステップを準備すること、と言えるかも。
そう、ここに書いてあるように支援職側は「それが病前にできたことかどうか、どの程度できていたのかを本人に語ってもらう」ことが必要なのだと思う。それを知らずに「上手に話せてます」とか言ってしまいそうなので、そのあたりのことをしっかり意識する必要があるのだろうと思った。
「玉砕させずに日常に復帰する」ことが何よりのリハビリ 69-70p
4節(72p~)は「二次障害としてのうつ」の話。
ちなみに「二次障害としてのうつ」は高次脳に限らず、各種発達障害やうつ以外のメンタルの不調、さらには、身体、知的、いろんな障害に併発しそうな気がする。著者は、「うつ病の多くは何らかの障害の二次障害である」というのは自分の持論に過ぎないが、あながちハズレてもいないはず(74p)と書いている。
そして、長く苦しむ当事者の状況を以下のように整理している。
・自身の障害についての理解がなく、環境調整の知識もない。
・援助職からも障害のスクリーニングがしてもらえず、環境調整の指導もない。
・家族や職場も、障害とその配慮についての知識がない。
・なんの環境調整も配慮もないなかで、家庭や職場に戻り、失敗を重ねてしまっている。72p
そして、二次障害としてのうつの最大の原因は「苦しいと言わせてもらえないこと」だと著者は主張する。
そして、SOSを寄せてきた読者の共通点という形で描かれているのは、おそらくうつの発病の条件とも重なるのではないか。
・自分の不自由について気づいていない。気づいても受け入れられない。
・自分の苦しさを説明できず、苦しいと言っても理解されない
・周囲の理解や協力が得られず失敗経験を重ねる
・その結果、自信と周囲の信頼を失い孤立
・「なんでも病気のせいにするな」と責められ、苦しいという言葉を封じ込められる。
・苦しいのは自分のせいだと思ってしまう。
・そして社会復帰が見えない不安のなかで生き続けることになる。
73p
で、うつは心の風邪ではなくて、「心の複雑骨折・開放骨折(しかも難治性)」74p
第4章(77p~)は最初に紹介した4つの壁の打開策
1、聞き取りの壁
2、受容の壁
3、言語化の壁
4、自己開示の壁
1、聞き取りの壁
「あふれる感情のまま涙し、それを抑制することも、新たな脳神経細胞のネットワークをつくるための立派なリハビリ行為」「それは人の脳が持つ感動的な自己再生機能」
これらの言葉が退院後の絶望的不自由のなかにあった著者を支え続けてくれた(84p)とのこと。
著者が苦しいと言えた援助者の共通点
1、「全肯定のスタンス」
当事者が「苦しい」「何かおかしい」と言ったことに対する「全面的で無条件の肯定」
2、「待ちのスタンス」
遮らずに聞く。問いつめない。こちらの言葉を自分の言葉で言い換えず、こちらの言葉がでてくるまで待つ、というゆっくりと静かで穏やかなコミュニケーションスタイル。
3、「当事者の尊重」
病前のことをきちんと聞こうとし、「表層の僕ではなく、病後の僕の中に残っている根幹のパーソナリティに対して語りかけてくれたこと。1と2は基本、3は少々上級。
4、「ちょっぴり当事者性を感じられる人」
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1について、現在の感情を肯定するのはそうだと思う。どんな感情を持っていたとしても、それは否定できない。 しかし、責任のない人への攻撃性など認知が歪んでいる場合、そこは肯定できないなぁ。
2がなかなかできないので、意識しなくちゃと思う。でも、言い換えが必要な時もあるとも思う。
3は確かに上級スキル。そもそも「根幹のパーソナリティ」を見極めるのが難しい。
4については、ちょっぴりじゃないからなぁ。
鈴木さんが自分の苦しさを否定されたように感じたことば
「いやーお元気そうでよかった、本当に」
「身体の麻痺が軽くて、本当にラッキーでしたね」
「その程度でよかった」
「大丈夫、同じようなミスは私もすることがありますよ」
「そのぐらいの失敗なら、みんなしたことがありますよ」
「年をとったらみんな同じようになるって」
「いつかは、いい思い出になりますよ」
どれも、けっこう言いそうだ。
2、受容の壁
「当事者に対して『障害』ということばをあえて使う必要はまったくない。当事者にとって必要な受容は、障害者になったことではなく、自らのなかにどんな不自由や苦手なことができてしまったかを知ること」
そして、著者はそれを安全な場で具体的に知ることが大切だと書く。91p
苦手なことができたとしても、その苦手なことが生きていく上で影響がなかったりしたら、知る必要さえないかもしれない。
鈴木さんが作業療法室でやって欲しかったのは、病前の状態の丁寧な聞き取り。日常で何をしていて、どんな仕事だったのか、何が得意で何が不得手だったのか。そのうえで「疑似的な再挑戦」を作業療法室でやらせてもらいたかった、とのこと。そこにはキッチンもあり、パソコンがあり、畳の部屋があり、・・・。しかし、それが活用されているようには思えなかった(93p)、とのこと。
例えば、
・料理が得意だった人には料理を
・書き物が仕事だった人には執筆を
・事務職だった人にはエクセルを
・営業だった人には資料作成とプレゼンを
これらをやることで、病前の自分との違いを自覚できるし、そして、その病前出来たことをどのように出来るように環境を調整するかという課題も明確にしていくことが問われている。「出来ないことに気付く」というのは、つらいプロセスでもあるので、そこに支援者がどう気持ちを寄せるのかという配慮も必要になるだろう。そして、それを埋めるすべをいっしょに考えて、近づけることが可能だという希望を捨てないことも大事だと思う。ロールモデルが存在することも意味があるかもしれない。
また、「△あえて安全性を下げる試みも」とある。
・リハ室を出て、病院のラウンジとか談話室など情報の多い空間で同じことを行う
・ふたつの料理を同時並行で作る
・制限時間を加えてみる
・未経験の料理への挑戦や創作性の高いものに挑戦
など。
これ、スモールステップを重ねるという話でもあると思ったら、書かれていた。(98p)
しかし、現状行われているのは、安全なリハ室を出たら、すぐ本番。これには「命の危険もある」と著者はいう。
ただ、ちょっと危険だと思ったのが、非定型達の子どもを、普通級という過負荷から特別支援という安全な場に移すという例。普通級がその子どもにとって、「過負荷」であってはいけない、という原則を忘れてはいけないと思う。確かに原則だけ言っていても何も解決せず、そういう緊急避難が必要になることがある場合は否定しないが、まず、普通級をどんな子どもも、安心して過ごせる合理的配慮のある場所にするという前提がまずある。
最後に最初の話が繰り返される。ここ大事なトコだ。
「自分にとって何が不自由で何が苦手になっているのか」知ること
必要なのは病名や障害名の告知ではない。
100-101pにある唐揚げの中身の肉の例。
表面は焦げても中の肉はうまいままっていう話なのだが、焦げすぎると中の肉もダメになったりする。
でも、同じ部分があることを信じて欲しというのが著者からの願い。
3、言語化の壁
著者は「考えたことが言葉に出ない」症状を「体育館に散らばった辞書」という例えで表現する。通常は脳にインデックス付きで収納されている辞書が機能せず、言葉が見つからず、探して探してようやく見つかった言葉を口いするので、ものすごくリアクションが遅くなること、そして、探している間に相手が新しい言葉をかぶせてきたら、せっかくチェックした頁がブッ飛んで全部やり直しという感じになる、と書く。
ここで支援者に求められるのは
・本人の言葉が出てくるまで待つ。
・風を起こさない(本人の脳内の捜索を妨げない)。
・いくつもの言葉を組み合わせなければ応えられないような問いかけをしない
・当事者の感情を破綻させない
とのこと。
そして、援助職としてできることは、「他の当事者の言葉を取り込む」ことだという。
具体的には、
・当事者会を紹介する
・既存の当事者会がカバーできなければ、新しい当事者会の立ち上げをサポートする
・近い症状の人の手記を勧める。今まで聞いた当事者の言葉を伝える。
など
4、自己開示の壁
111pのコラムでは、個人情報保護の名目で本人の情報が引き継がれない問題が描かれる。
援助者の側の「次の人に伝えますね」という一言ですむ話だと思うのだが、どうなのだろう?
そして、自分で出来ないことを自己開示して、頼ることの大切さが書かれるが、同時に、頼るための説明の困難も描かれ、
援助者には期待したいこと、として以下
1、苦しいと言わなくてもわかる 117p~
言えないことの理解。苦しむパターンの把握
2、適切な援助の希求の方法を教える 118p~
障害名で説明するのではなく、具体的な出来ないことで説明する方法や、出来ないことを助けてもらうことで回避する方法を具体的に伝える方法
3、具体化を手助けする 119p~
ここ「2」とも相当に重なるのだが
「やれない」の言葉を細分化して、具体的に何がやれないのかを掘り下げると、手助けするほうもやりやすい。
「例えば料理が出来ない」というとき、料理の何ができないのかを具体化していく、その手助けをする。
4、関係者を援助者に育てる 120p
家族で、職場で、そして友人を。
5、依存を肯定する 120p~
依存のプラスの側面、それによって得られるものを当事者やその周辺者に伝え、パラダイムシフトを起こしてあげる
そんなスキルが求められる。
ここで最初に出てきた「全肯定」の話が出てくるが、全肯定が求められるのは、「当事者の苦しみ」であって、当事者のすべてではないということだと思う。
130-131pにかけて、「怒りの爆発」の話が書かれている。「心理的破局」と表現される。
爆発寸前で必死に耐えているときに
「大丈夫!? どうしたの? 聞こえてる? 返事して! 苦しいならどこが苦しいか言ってくれないと分からないよ ほら、しっかりして!!」
こんな言い方がダメだと書かれている。ぼくはこれに近いこと言ってそう。
感情の爆発はじつは「助けて」のサインだとある。
ここでの「助ける」という行為、なかなか難しそう。
次の頁(132p)のコラムにヒントがある。
まず、なにもしないで、目を閉じ、耳をふさぎ、ゆっくりと横になったり、すわったりすること。
ただし、注意に障害がある場合、一度注意が集中してしまった思考から、注意を引きはがすことが難しいことは多々あり、誰かに対する怒りの感情などが消えないときは、あえて「能動的処理が必要ない、別の強い情報」を提供し、そこに集中を引っ張っていってもらうという方法もあるとか。
ちなみにこの文章、この本では「能動的処理が必要な」で改行になっていたので、最初、読み間違えて、なんでだろうと思っていた。
また、137pの【鼻の下に「洗い落とせないウンチ」】という比喩は強烈。
支援者に言われたことが過去に体験した苛立ちや怒りや哀しさというようなマイナスの感情をいつまでも引きずり、気分を切り替えるのがとても困難な人がいるのだが、そのマイナスの感情をそんな風に表現する。「確かに。だとしたら、そのマイナスの感情がなくなることはないだろう」と思った。
『不定愁訴の正体』というコラム(140p)
著者の推定だが不定愁訴の正体について、以下のように書く。
「脳の情報処理が不安定でその処理力も落ちている者が、破局スレスレで必死にその処理の安定をとっている状態」
その具体的なありようについて、その直前に書かれている。
ちょっとした刺激であっても自転車がコケて地獄のような破局に陥るかもしれぬという状況で、不安や苛立ちをずっと感じ続けている。起床から就寝まで、たえず根拠のない不安や焦りの感情が脳内にうずまき、それを払拭できず、なんとか心と脳の情報処理のバランスをとろうとしている。
心も体もつねに緊張状態です。横隔膜が不安定で、溜息をついてもついても息が楽にならず、全身の筋力が萎えていくように頼りなく感じます。声も不安定で震えがち、言うならばそれは常時崖っぷちでスレスレを歩いているような感じ……。
次に秀逸だと思ったのが、「セーブ機能のないワープロ」という例え(143p)。作業の途中で話しかけたり、中断させてはいけない、とのこと。これもやってしまいがちなので、反省。
何か月も前にここまで書いて、忘れてた。数か月後に再開。
4章5の「易疲労」の話も身近にいる高次脳機能障害の人からよく聞く話だ。そして、本人が高次脳機能障害でこれが起こると気づいていない場合も多い。
4章7 障害受容と環境調整のタイムラグという話。
できないことに気づくことを障害受容と言ってしまっていいのか気になるところだが、要するに出来ないことに気付くのに時間がかかり、それを別の方法で補えるようになるまでさらに時間がかかるという話だ。
そこで出てくるのが、163頁のスケジュール管理に関するメモの話。これも興味深い。(以下、概略)
1、テキストと付箋アプリでの従来の方法で失敗
2、共有できる便利なカレンダーアプリもだめ
3、どうしてだめなのか気づく。作業記憶障害で、書き写したり、アプリを立ち上げている間に忘れる
4、手書きの手帳を持ち歩いたが失敗
5、4の失敗は元のメモを書き写すときに起きているという自己理解
6、手の甲に書いて、それをカレンダーに転記という方法が最良と確定
7、皮膚に文字を賭けないボールペンしか持っていなくてパニックになる事態勃発
8、皮膚に書きやすく簡単に消えないサインペンを選ぶ
9、玄関の壁に「サインペンを忘れないように」と書いたメモを貼り、つねに出しやすい位置に常備
こんな風にまとめてある。
痛い経験が身につくには時間がかかる
中途重度障害の当事者には「過去には、やめていた」そういう経験があるため、まず一度は病前通りにやろうとして「玉砕」(大失敗)し、さらに似たような失敗を繰り返して、ようやく「自分はもうやれないのだ」という感覚にたどり着く。その後に、かつてはなかった習慣を身につけねばならないわけです。163p
そして、中途障害当事者に接する援助職に以下を求める
1、当事者自身が「どのくらい自分がやれないのか」を正しく認識するまで支える
2、その正しい認識に至るまでには調整を重ねる必要があることを当事者にしっかり伝える
このふたつが支援方針の大きな柱であってほしい。 164p
164-165pには「共通する症状、お困りごと」の言語化・比喩表現として、鼻の下のウンチやメモリのないワープロなどの例がまとめられている。
第5章 全援助職に望む支援姿勢
2 当事者を破局に追い込まない
ここに書かれているのは「まずは傾聴と共感」。これはどこのテキストにも書かれているような話ではあり、「書き出してみれば大したことではありません」と著者も書く以下には当事者の言葉の重みを感じた
・ゆっくりと分かりやすく話す(必要に応じて文字に書いたり図示したり)。
・当事者の言葉が出るまで待つ
・当事者の言葉を遮らない。出てこない言葉を自分の言葉で補わない。
・苦しい、不自由だという訴えをそのまま首肯する。
・何度も問い返す、過度に説明を求める、問いつめるといった「当事者を追いつめるコミュニケーションを避ける。174p
次の175頁で鈴木さんが書いているのは、脳コワさんの痛みを想像すること、それも、その傷から血がだらだら流れ出て、激痛に耐えているような外傷に置き換えて、想像することだと書く。書くほど簡単な話ではないが、出来ないことでもないかもしれないと思う。
さらに具体的なケアとして、自閉症の人に対して、情報を整理したり、傾聴したり、コミュニケーションの方法を工夫するというケアの手法が脳コワさんにもあてはまるという。
186-187pの見開きの絵もわかりやすい。
だらだら話されても、理解できない当事者に
1、ゆっくり話してもらう
2、しっかりと区切りをつける
3、となりに座ってもらう
4、紙に書いて話す
この4つを対策として提示している。
1とか2は、普通に心がけたほうがいいようにも思った。
「僕はパン屋さんになりたいわけじゃないんです。漢字ドリルをやらなくても、病前の仕事はできると思うのです」
これは30年近いキャリアのある「士業」の当事者の血のにじむような叫び。190p
そんな風に本人のキャリアを無視して、尊厳を傷つける「訓練」が多いと思う。
「失敗」を重ねてもやれないわけではない、援助職の人は「小さな失敗のトライアル」を当事者に体験させてほしいし、そこで本人が折れたりしないようにケアすると同時に、では、どんな条件で失敗するか、どうすればそれが防げるかという環境調整の応用を指導してほしいとのこと。これって、作業療法の人に聞いてほしい話だと思った。
あと、大事だと思ったのが以
正直なところ、当事者にとっては、回復を目指すことよりも「もう戻らない」と諦観してしまった方が楽しいという面も多分にあります。しかし援助をする側は諦観せず、かといって当事者ををせかすわけでもなく、冷静に当事者に機能回復が訪れていないか、もうやめないと思っていたことが再びできるようになっていないかを見守り続けて欲しいと思います。
その回復が訪れたら、そこでさらに負荷を増やす(とはいえ増やしすぎない)指導をするのも、援助職に求められる理想でしょう。191-192p
このバランスがなかなか難しいところだが、当事者との関係の中で、試行錯誤していくしかないのだと思う。
興味深いのは意外にも、急性期病棟にいるときに解放感を味わい(「楽」になり)、日常や仕事に復帰できそうだ(復帰せざるを得ない)となるに従って、その解放感が引っ込んで、日常の不自由に七転八倒する毎日になり、それから4年半を経て、著者は再び「楽」な状態にある、と書く。
それは一定、機能を再獲得し、自分が苦手なことをカバーする工夫ができるようになったからだが、いちばん楽に感じているのは「もう回復しなくてもいいや」と思えるようになっているからだという。そして、それは人から言われてダメ、っていうか支援者は言ってはいけないことで、自分で獲得しなければそのように感じない感覚なのだろう。このように書かれている。
脳コワさん当事者に対して「諦めちゃった方が楽ですよ」の言葉は、対象や時期によっては絶対の禁句です。けれど、当事者が自己理解を深めた結果、最終的に自分の現状の能力を正確に把握し、場合によっては諦観し、「今の自分で納得する」ように導くのも、また援助職の大切な役割だと思います。208p
こういう援助職(支援者)になれたらいいねぇ。
そして、著者の鈴木さんは、上記に以下のように続ける。
こうしたプロセスを経て自分の限界を把握できた僕には、病前の自分には戻りたくない、今の自分のほうがよい、という気持ちも強くあります。
その理由について「それは人を頼ることを覚えたこと」と書く。
最後に著者が、あらゆる援助職、援助者のみなさんにお願いしたいと強調するのが以下
脳コワさん当事者が何よりも「苦しくなくなること」こそを最優先してくださいということです。
その「苦しい」が可視化されない、本人が言語にできないことがある。それを想像するイマジネーションを持って、「苦しい」が無視・軽視されない世界を作って欲しい、この本が当事者も援助者も両方が楽になる道筋を見出すきっかけになることを「願ってやみません」として閉じられる。
ただね、鈴木大介さんはこのメモにも書いたように、あえてハードルを上げるとか、安全性を下げるとか、負荷をかけてみるということも書いていて、そのあたりのさじ加減が支援者に問われている部分なのか、とも思う。それは、全体でくくれるものではなく、一人ひとりに違う対応が必要なはず。~~~
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追加情報
動画「高次脳機能障害の当事者は何に困っているのか?」
荒井さんから教えてもらいました。面白いですが、最初の16分は空白です。
鈴木大介さんと上田敏さんの対談、いろいろ興味深かったです。
動画「高次脳機能障害の当事者は何に困っているのか?」
https://www.youtube.com/watch?v=zFU8VPeieYs
https://tu-ta.seesaa.net/article/202104article_3.html
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