修復的なJUSTICEについて(ほんの紹介31回目)2021年1月5日追記

たこの木通信2020年9月に掲載した原稿。本の値段やURLなど、ちょっと補足。


修復的なJUSTICEについて

(ほんの紹介31回目)

restorative justice、多くは「修復的司法」、この本では「修復的正義」と訳されています。この概念をリトルブックという日本で言えばブックレットのような体裁で短く紹介した本の日本語訳が今回紹介する『責任と癒し~修復的正義の実践ガイドという本。残念なことに絶版で今日現在(2020年9月)、アマゾンの古本では一番安いのでも7418円もします(12月30日現在で4629円です)。図書館で借りるのがお勧めかも。ぼくがこの連載で最初のほうに紹介したエンパワメント概念を日本に広めた森田ゆりさんが翻訳しています。(たこの木通信に書いた「ほんの紹介 2回目 https://tu-ta.seesaa.net/article/201509article_1.html )

もし、英語が読めるようなら、ユニセフのサイトで全文を読むことができます。
https://www.unicef.org/tdad/littlebookrjpakaf.pdf
ユニセフが日本語でも紹介してくれたらいいですね。

そのrestorative justice(RJ)とは何かという話です。出版社(築地書館)のサイトでは以下のように紹介されています。

児童虐待、いじめ、けんか、犯罪が起きたとき、傷ついた被害者と地域コミュニティーはそこからどのように立ち直ればいいのだろうか。地域社会を含めた加害者と被害者との対話を通じて、社会が受けた関係性のダメージからの再生への道を探る。福祉、医療、学校教育を実践の場として、世界各地で取り組まれている修復的正義の原則を、実践に則してコンパクトに紹介。

修復的司法という訳語が日本では使われることが多いようですが、森田さんは訳者あとがきで

「restorative justiceは、司法ではない。むしろそれは草の根レベルでの地域コミュニティーが公正な問題解決をもたらすためのプログラムである

と書いています。それはまず「児童虐待、いじめ、けんか、犯罪」で傷つけられた人が真実を知り、加害者や関係者と対話するなかで回復し、そのことによってjustice(公正さ)を取り戻していくプロセスの話です。この本では以下のように紹介されています。

不正義に対しての、非暴力的な平和手段による解決への取り組み・・。


この方法は、私たちがいかに互いにつながりあった存在であるかを思い出させてくれる・・


しかし、簡単に実践できる料理ブックのレシピではない。


それは、ひとつの状況から別の状況へとそのままコピーして使うことのできるものではない。むしろそれは、正義について、人間の尊厳について、価値や文化について深い対話を始めるための一束の考え方

 誤解されていることが多いので「修復的正義とは~ではない」という解説が書かれていて、それは「許しと和解」でも「調停」でも「再犯率を下げることを目的としたもの」でもなく、「被害者が加害者を許す、または和解を求めるかどうかに対していかなるプレッシャーもかかってはならない」とされています。

また、それは懲罰の限界と懲罰の否定的な副産物の認識を提示しています。加害者が受ける懲罰から被害者や被害者側の人は報復感情を満足させ得るかもしれませんが、懲罰は本当の責任の取り方にならない、本当に責任を取るとは、自分のしたことに直面することに他ならない。つまり加害者が自分のしたことの否定的な影響を理解し、可能な限り事を正すためのステップを踏むことである。このような責任の取り方は被害者にとっても、社会にとっても、よいと論じられています。着目しなければならないのは罰ではなくニーズなのです。ニーズ、つまり回復のために必要なことです。

このブックレットではコミュニティ(地域社会や関係者)などがこれを必要としていること、また、コミュニティがどのようにRJにかかわるか、その原則は何かなども記載されてます。

tu-ta(大田福祉工場/PP研/丸木美術館)

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この原稿のもとになっている詳しい読書メモは
https://tu-ta.seesaa.net/article/202005article_1.html

こちらのコメント欄でWEB版の由来などを教えてもらいました。

2021年1月5日未明追記

読み返して、ここでも大事なことを書き落としていると気づく。

着目しなければならないのは罰ではなくニーズ』というとき、それは何のための誰にとってのニーズなのか。

ある行為によって、直接的に被害を受けるのは被害者であり、その被害者の尊厳や元気の回復の必要性は言うまでもない。

ときにコミュニティーも傷ついているかもしれない。コミュニティがその傷を回復することも必要なはずだし、被害を受けた本人やコミュニティが回復するためにできることはあり、そのプロセスも含めての「修復的正義」なのだろう。

では加害の側はどうなのか、あるいはその加害を生んだ社会やコミュニティはどうなのか、そのあたりまで視野に入れた回復のプロセスを「修復的正義」と呼ぶのではないか?しかし、まず、優先されるべきは被害者の回復である。

それらの回復のためのとニーズに着目しなければならないということなのだろう。

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