20210130【全国で取り組まれている「重度知的障害のある人の自立生活に向けての取り組み」】 について

ぼくも参加している
知的障害者の自立生活についての声明文プロジェクト」
https://jirituseikatu.jimdofree.com/
が主催して、先週土曜日、1月30日に

【全国で取り組まれている「重度知的障害のある人の自立生活に向けての取り組み」】

というオンラインイベントを開催しました。前半の部分はいまでも見ることができるので、ぜひ、見てください。聞くだけでも概要はわかります。

YouTube のURL

http://www.youtube.com/watch?v=FISphCiy7fo...

某N氏から再三、感想をブログにと、言われて書いてみた。

そのイベントの概要は以下の通り
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【全国で取り組まれている「重度知的障害のある人の自立生活に向けての取り組み」】

日時:2021年1月30日 14:30~15:40

形式:YouTube ログ公開。

YouTube のURL

http://www.youtube.com/watch?v=FISphCiy7fo...

テーマ:【全国で取り組まれている「重度知的障害のある人の自立生活に向けての取り組み」】

話題提供:

・阿部浩之さん 
 社会福祉法人横浜共生会(神奈川県横浜)

・安藤卓雄さん
 知的障害当事者家族・北九州市道草応援団(福岡県北九州市)

・ササキユーイチさん 
 クリエイティブサポートレッツ(静岡県浜松市)

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プログラム

趣旨説明と声明文紹介

 中村和利さん
 (自立生活声明文メンバー、NPO法人風雷社中)
  
14:30〜14:40

話題提供1 阿部浩之さん 
 社会福祉法人横浜共生会(神奈川県横浜)
  14:40〜14:55 

話題提供2 安藤卓雄さん
 知的障害当事者家族・北九州市道草応援団(福岡県北九州市)
  
14:55〜15:20 

話題提供3 ササキユーイチさん 
 クリエイティブサポートレッツ(静岡県浜松市)
  
15:20〜15:35

まとめ 田中恵美子さん(東京家政大学)
  
15:35〜15:40 

レジュメ on-line座談会

【全国で取り組まれている「重度知的障害のある人の自立生活に向けての取り組み」】

話題提供1

社会福祉法人 横浜共生会 阿部 浩之

(内容) 社会福祉法人横浜共生会の取り組み
~障がいのある人の自立生活を考えるプロジェクト~
横浜共生会について 社会福祉法人が取り組む意義

◎具体的な取組

・声明文プロジェクトへの参加 法人内各事業所での取り組み
・横浜らいず職員寮(205号室)の活用
・地域活動ホームガッツ・びーと西 地域支援室(209)の活用
・法人内各エリア(港北、南、西)からプロジェクトメンバーを募って、月1回、情報共有と具体的な取組実施
・今後の展望


話題提供2

はみ出す家族 自立生活を目指す

 北九州市 安藤 卓雄

概要

   地方都市で暮らす重度知的障害・自閉症の青年とその両親。幼児期の障害告知から療育、特別支援教育、障害福祉事業所へと"王道"を歩もうとするも、支援の枠組みをことこどく打ち破り、はみ出して行く彼。気が付けば孤立する家族。 ふとしたきっかけで声明文プロジェクトと出会い、自立生活に向けて歩み出すも順風満帆とはいかず...。そんな一家族の日々を、今回は父親が語ります。
   制限時間をはみ出さないよう頑張ります。

プロフィール

主人公は19歳男性。
年を聞かれるとニヤリと笑い「3歳」「13歳」などと答えて周りを煙に巻く。 自宅が大好き。 NHK eテレ キッズ番組のDVDコレクター。 伝説のバンド「ボ・ガンボス」をこよなく愛し、ニューオリンズサウンドに乗って踊りまくり、自室の畳に穴をあけるファンキーさ。

語り手 安藤 卓雄(父親) 福岡県北九州市出身。
   凡庸な地方公務員。 職場ではコピー機をよく壊す。 お茶をよくこぼす。 息子の安住の地を求め彷徨う中で、自立生活声明文プロジェクトと出会い今日に至る。テレワーク好き。夢は「たけぶん」でワーケーション。


話題提供3

「たけし文化センター連尺町・シェアハウス&・ゲストハウスの生活実践より」

認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ  ササキユーイチ

話題提供概要
   認定NPO法人クリエイティブサポートレッツの運営する「たけし文化センター連尺町」のシェアハウスでは、2019年から重度知的障害のある青年たちがヘルパーのケアを利用した自立生活の実践や体験を行っています。レッツでは、この実践を軸にしながら、重度知的障害のある人とともに多様な暮らし方を開発していく実験的なプロジェクト「たけしと生活研究会」を展開してきました。日々の生活実践とその試行錯誤、そこから生まれたわいわいごちゃごちゃした対話や議論の一部をお話します。

   プロフィール ー 認定NPO法人クリエイティブサポートレッツは、障害や国籍、性差、年齢などあらゆる「ちがい」を乗り越えて、全ての人々が互いに理解し、分かち合い、共生できる寛容性のある社会づくりを行っています。障害福祉サービス事業所アルス・ノヴァ、文化創造発信拠点・たけし文化センター連尺町、私設公民館・のヴぁ公民館を拠点にして、福祉事業と同時に様々な文化事業を展開しています。

 ホームページ|http://cslets.net/

たけしと生活研究会・公式note|https://note.com/takekatsu2019/

【関連サイト】ハートネットTV「たけし、自立生活はじめました。~重い知的障害のある人の新しい暮らし~」|https://www.nhk.or.jp/heart-net/progr... ササキユーイチ

   演劇界隈で働いていた時に遊びに来たレッツで「つまんない芝居を見るより、よっぽど面白いことが起こってる」と衝撃を受け障害福祉の現場に惹かれ、2015年からレッツのスタッフになる。2020年秋にレッツで始動したヘルパー事業所「アルス・ノヴァULTRA」の惑える管理責任者。

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レジュメは下記URLからからDLできます。

https://docs.google.com/document/d/1f5ToIpQrX5Pc4KZ_7Uz_CF9I-apCemLVWFsKlg7Q7DI/



~~以下、個人的な感想~~
最初の横浜共生会の取り組みについて

地道だけど素敵な取り組み。

「共生」という言葉が手垢にまみれている中で、こんな風に地道だけど、「共生」という言葉を名称に使って、着実にまじめに「共生」を追い求めている社会福祉法人があるということの意味は小さくないはず。

全国を探せば、他にもあるとは思うけれども、こんな取り組みができる入所施設を抱える社会福祉法人の話を聞いたことはないし、ぼくが働いている社会福祉法人は入所は抱えていないけれども、こんな風に新しい取り組みへのチャレンジをやればできるはずだが、こんなことをやろうという意思がトップにあるようには思えない。スタッフがモチベーションを膨らませてチャレンジするためにも、すごく素敵な取り組みだと思う。
まだ、この動画を見ていない人は、ぜひ、阿部さんの話を聞いてみてください。


次の安藤さんの話

安藤さんは自分の弱さも開示しながら、(だから、後半の非公開パートで突っ込まれたりもするのだけど(笑))、自分と母親と当事者の息子の自立を重ねる話をしている。自立が必要なのは自閉症でいろいろ困難を抱えている息子だけじゃなくて、家族のそれぞれのメンバーであり、そのための自らの仕事の仕方も問いながら、自分らしい暮らしの形を求める話はとても興味深い。


最後の浜松のクリエイティブサポートレッツの話

 レッツの活動はとても広範で、そこでどんなことをしてきたのかを知ると、ササキさんの話はさらに面白くなると思うので、この話を聞いて、興味を抱いた人は、ぜひ、上記のリンクを開いて「たけしと生活研究会」2019年度の事業報告書なども読んで欲しい。ま、ここでのササキさんの話だけでも充分に興味深いとは思うのだけど。

 先日開催され、ZOOMで公開されていた「たけしと生活研究会」検証シンポジウムを聞かせてもらった。そこでは自分たちがうまくいかなかったことも率直に語りながら、さまざまな分野の全国のキーパーソンに話を聞きに行った報告もあり、それもあわせて、自分たちの活動を検証していた。それはとても面白かったし、その姿勢に素直に共感できた。そのうち、報告書になるんじゃないかな? ともあれ、シェアハウスで重度訪問介護を使うことをステップにするという取り組みがこれからどうなっていくのか、とても楽しみでもある。

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これらの発表の後、プロジェクトのメンバーを中心にZOOMでグループに分かれて感想をシェアしたのだけど、そこで、映画「道草」ででてくる支援には自閉症者に対する専門性がないのでは?と指摘する人がいたという話があって、そこから、専門性っていったいなんだろう、当事者といっしょに過ごす時間の濃密さと専門性、どっちが大切なのか、みたいな話になったんじゃないかと思う(記憶は容易に作り替えられる)。で、いま、思い返してみて、専門家は映画「道草」にでてくるように当事者と関係を作れているか、と思うのだった。「構造化とは何か」とか、勉強してない人の方がちゃんと関係を作れたりしてないかって思ったりもするのだった。


そうそう、専門性と言えば、『支援のてまえで』にこんな話があった。読書メモにこんな風に残している。

先日、ブログで言及した専門性と支援の一般化に関連するところをとり出してみる。

参照:風雷社中の挑戦と支援の一般化(ガイドヘルパー講習のためのクラウドファンディングの開始に)

https://tu-ta.seesaa.net/article/202006article_4.html

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特別付録 講演録「重度の知的障がいのある人の一人暮らしを支える」  岩橋誠治(編集・ヒビノクラシ舎)

4 「専門性」と「支援のレシピ」

ここにはこんな風に書いてある。

「自閉症」とか「発達障害」という言葉が日本に紹介されたのは1988年ということらしいのです。たこの木クラブはその1年前の1987年にはじまっていますから、「そんな言葉なんて知らないけれど地域で一緒に暮らしてきた」という自負が私たちにはありました。また、自閉症や発達障害という言葉に代表される当時の専門性は、「人を分けること」に特化していたので、私たちは「そんな専門性なら必要ない」「専門性より関係性だ」と息巻きながら、ずっと彼らとやり取りを続けてきました。「専門性に頼ることなく自分たちでなんとかする」ということで、。やっていけた時代でもあったのです。ですが、発達障害の専門性もこも30年間でだいぶ様変わりしました。「社会的相互作用」とか「対人的相互反応」などの話の中で、「いかに関係を作っていくか」ということが焦点となり、「人を分けるj」よりも「一緒がいい」と主張する専門家も増えてきています。実は、私たちも半ば意固地になって専門性を排してきたために、「自分たちが気づかないところで当事者との関係が大きくズレてきてしまっていた」ということを思い知らされる、ある重大な事態に直面することにもなりました。それから、「専門家が言っていることって何だ」「専門性って何だ」と勉強するようにもなったのです。・・・335-336p

 ここに書かれている「ある重大な事態」というのはフィットする支援の件だろうか。別の件かもしれない。いずれにせよ、専門的な知識があれば、「自分たちが気づかないところで当事者との関係が大きくズレてきてしまっていた」ということが防げるのだろうか? そのズレた原因は専門性の欠如とは違うところにある場合が圧倒的に多いのではないかと思うのだが、どうなのだろう?

ともあれ、この文章に続けて岩橋さんは、専門知識をマニュアルではなく、「支援のレシピ」として活用していくことを提唱している。マニュアルはそれを基準に正しいか間違っているかを計るものだが、レシピはもっと自由に自分なりに足したり引いたりして、結果をフィードバックするものだ、ということ。その輪の中に専門家の人も入ってくれたら嬉しい、と岩橋さんは言う。

【半ば意固地になって専門性を排してきた】のには理由があったはずだ。子どもの時からこの「専門性」が分ける理由にされてきた。「この子には専門的な教育が必要なのです」「そのための専門的な場所が必要なのです」「専門的な施設に入所するのがこの子の幸せにつながるのです」

そんな風に、この「専門性」でたくさん痛い目にあってきたはずなのに、岩橋さんは意外に寛大だと思う。「専門性」という言葉を錦の御旗にして、無理矢理地域から引きはがされたりしてきた歴史がある。最近はインクルージョン的なことの必要を説く場合もあるが、専門性が分離を正当化するような言説はもう過去のものになったといえるだろうか?

以下は三井さんとのフェイスブックでのやりとり。

Sayo Mitsui 「寛大」というより、「専門性」も利用する側にまわってやる、こちらの視点で利用し尽してやるという、大変「傲慢な」姿勢だと、私なぞは受け止めております😀

鶴田 雅英 確かに(笑)

ただ、いまだに怪しい専門性が跋扈しているなかで、使える専門性と捨てるべき専門性を区別して、どれについて、それが言えるのかという視点も必要かも。

~~読書メモ https://tu-ta.seesaa.net/article/202010article_3.html からの引用、ここまで~~


次に考えたのは、さまざまな暮らし方についての話。

 家庭や家族が大事だというイデオロギーに縛られるのは嫌だけど、そこを離れて、家庭や家族が大好きだという話はある。だから、何が何でも一人暮らしがいいという話ではない。しかし、そこで問われるのは持続可能性でもある。親からの介助で生きてきた場合、多くの場合、先に死ぬのは親なので、その暮らし方は持続可能性が乏しい。どんなに家族が好きでも持続可能な暮らし方への準備は必要になる。

 重度と呼ばれる知的障害者の「自立生活を求める」というのは、いまはほぼ選択肢に加えられることがない。そんな暮らし方を提案することでもある。親が介助を出来なくなって提案されるのがグループホーム(GH)か施設入所、というのが一般的なのではないか。

 それじゃよくないよね、という問題意識からぼくはこのプロジェクトに参加した。入所施設とかGHとかの制度が先にあるのではなくて、「こんな暮らしがしたい」というのが先にあるはずという話だ。GHとか、入所施設とかではない、その暮らし方がシェアハウスでの暮らしだったり、親が家を出ることだったりする場合もあるだろう。私たちの声明文は「どんな暮らし方がしたくて、それがどうすれば可能になるのか」とか「どこまで実現可能なのか」ということを、ときに言葉で気持ちを表現できない人といっしょに考えたり、実際に体験して、試行錯誤したりすることが大切なんだということを言っているだけ、という風に言えるかもしれない。少なくとも、ぼくはそんな風に考えている。

 で、ちょっと考えたのは「自立生活」という欧米由来の表現について。イメージで語ることしか、できないんだけど、欧米中心の近代の個人主義がその考え方のベースにあるような気もする。そこに人権概念も根付いたのだから、それはそれで否定できない部分は多い。

 そう、さっきも書いたように、ここは注意が必要なところで、こんな風に書くと、だから「日本では家族が大事なんだ」というイデオロギーに利用されかねないし、現実にそんな風に利用している人もいるだろう。その危険をあえて、犯してしまって書くのだが、アジアの東の端っこの地域での暮らし方と西欧近代の個人主義の齟齬みたいなものはあるんじゃないかと思ったりもする。そのことが、重度といわれる知的障害者の自立生活運動を考えるうえでも何か示唆を与えてくれるんじゃないかと思ったりしたのだった。「自立生活」という言葉が喚起する、一人ひとりの暮らしというイメージを超えて、支援者との共同のコミュニティでの暮らし。その共同性の中身が問われているようにも思える。


それを考えるきっかけを与えてくれた話はすでにブログに記録を残した。

東アジア的家族と自立生活運動について

https://tu-ta.seesaa.net/article/202102article_1.html


というわけで、いろんな気づきを残してくれたイベントだったなぁ。

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