池住義憲さん「平和と人権をまもる人間として立ちつづける」の感想はほとんど書いていない 追記2021/6/1
PARC自由学校2021『時代・社会を問い続ける者たち』
5/28(金)池住義憲さん
「平和と人権をまもる人間として立ちつづける」
に参加して、アンケートを送ったところ。
読み返して、昨夜、話されたことに関して、何も感想を書いてないことに気づく。やっぱり自分中心。
~~以下、アンケートに書いたものを少し修正~~
なんか、新鮮な高校生の質問とかあって、ちょっとうれしくなりました。
で、池住さんの翻訳した『いのち・開発・NGO』についてメモを残していたなぁというのを講演が終わった後、思い出しました。
2008年04月26日
「いのち・開発・NGO」古い読書メモ
ブログに掲載したのは2008年ですが、
もとの文章のタイムスタンプは
Date: Thu, 11 Mar 2004 00:10:34 +0900
となっています。
このブログにこの本から若い人向けのメッセージがあったので、
参加者のみなさんに、とりわけ若い参加者の方に紹介していただければ幸いです。
この本の日本向けの前書きの結語部分(この本の日本語訳をぼくなりの適当な口語へ変換してます)
日本のみんなへ、君たちは大っきなチャレンジに向かい合ってるんだと思うよ。合州国は世界の指導者として、振る舞ってるね。彼らが進めているのは、とても不公正な偏った開発。いま、日本はそこについていってしまっているけど、そうじゃない方向もあると思うんだ。それは一部の人の物質的な豊かさのためじゃなくて、すべての人がみんな健康でいられて、公正で人間的で、参加型の社会。若いってことは、明日のパイオニア、明日の世界を作る人だっていうこと。(それは世界がどっちの方向に向かうとしても間違いのない話だね)。もし、今日、みんながこの世界を、新鮮な眼で一歩距離を置いてもう一度客観的に見て、地球と人類が直面している危機の原因を分析しようとすることができたら、そして未来に向けて一緒に手をつなげば、たぶん、みんながこれからつくるかもしれないこどもたちと、さらにそのこどもたちは、いまとは違う社会で暮らすことができるはず。そこは、いま住んでるこの社会より調和がとれていて、持続可能で、精神的にも豊かな社会。
世界中のすべてのこどもが十分に食べられないうちに、世界が平和を知ることは絶対ないんだよね。
==ブログからの転載ここまで==
あと、この本には子どもが飢えて死ぬというのがどういうことか具体的にわかる記述もあります。
2013年10月11日
ラクの物語(英文URLを追記)
子どもが飢えて死ぬ話を抽象的な話としてでなく、具体的な話として知ること、とても大切なことだと思います。
それから、チャットに書いた希望の話。
SHOさんが希望の話をするので、つい、紹介したくなってしまいました。
~~
2006年07月31日
希望について(花崎さんのブックレットに関連して)
~~
札幌自由学校の講座をもとにしたパンフで花崎皋平さんが
「気休めに過ぎない希望など語らず、現実をごまかさないで見つめるべき」と書かれたことへのやりとりを紹介しています。よく読んでもらえばわかるのですが、『希望を持ってはいけない』という話ではないのです。絶望的な状況はそれとして、現実をちゃんとうけとめて、そのうえで、一筋の光を追い求めるべきだということだと思っています。
~~~
長く社会運動にかかわってきた人間が(ぼくはずっといいかげんにしか関わってないですが)次の世代の人へ伝えるべきことじゃないかと思うのでした。
講座参加者のみなさんにシェアしてもらえたら幸いです。
~~アンケートの回答ここまで~~
若い人から「社会を変えるために、どう学ぶことが出来るか、どう行動することができるか」というような問いが、チャットに投げられた。
何がいいのかなぁと考えた。
・いっしょに考える仲間を探すこと
・そんな仲間と小さな学ぶ機会を作ること
(カフェみたいな感じでゆっくり話せたらいいと思う)
・そこでは意見が違っても、存在を否定されないこと
・それぞれがそれぞれを歓待すること
・必要なのは銀行型じゃかうて、対話型の学び
・対話に必要なことはオープンダイアローグからも学べる
・そして、学びに終わらせないで、動いてみること、出来ることを探すこと
・『社会はこうやって変える!』などに書かれているコミュニティオーガナイジングも参考になるかも
・でも、上記の本の手法は、とてもリニア(直線的)な感じもあるので、もっとプロセスを楽しむこと
~~以下、2021/6/1追記~~
これを書き終わってから、以下の記述に出会った。
日常的に身体を動かしていれば、人間の身体はその動きを覚えるものだ。 脳の働きも、使っている言葉や習慣、思考のパターンに合わせて発達する。 だから、ある方向に向けて心と身体を動かし、仲間も引き込んで同じ活動 を教えていくことで、わたしたちは望む自分になっていくことができるし、 それを次の世代へと渡していくことができる。思考、行動、交流の癖を大 なり小なり変えていけば、システミックなパラダイムシフトにつながっていく(『なぜ、脱成長なのか 分断・格差・気候変動を乗り越える』Kindle の位置No.1072).
この直前に都市型農業や協同組合への参加について記述されていて、そこで体を動かすことが「望む世の中を築く作業に自分 も加わろうという気持ちになってくる」と書かれている。
考えるだけじゃなくて、社会運動などに参加して、体を動かしながら考えることが大切なのだと思う。社会運動に参加するとはデモや集会を組織することも大切だが、身近な人との勉強会とか、そういう地域での小さな取り組みなどもあると思う。
~~追記、ここまで~~
ホームページの講座案内
~~
5/28(金) 「平和と人権をまもる人間として立ちつづける」
ちょっとした講座の感想
「身を奮い立たせてくれたオランダNGOの一言」、「そうか」と思ったのにもう忘れてる。
パワポが残ってた。よかった。
「無力感/無感覚を克服すること」
Overcome the numbness!
とのこと
これはぼくの以下の思いともつながっている。
~~
5/28(金) 「平和と人権をまもる人間として立ちつづける」
●講師:池住義憲(元立教大学大学院 特任教授)
身を奮い立たせてくれたオランダNGOの一言、36年間のNGO活動、イラク訴訟とその後…。そして行き着いたのが、「ジャストピース」。こうしたことを、未来を創る人たちと共有したい。
●主著:『学び・未来・NGO―NGOに携わるとは何か』(共編著)新評論 2001/『いのち・開発・NGO』 (ディヴィッド・ワーナー/ディヴィッド・サンダース著、若井晋・池住義憲監訳)新評論 1998
●参考文献:三好亜矢子、若井晋、弧崎知己、池住義憲編『平和・人権・NGO―すべての人が安心して生きるために』新評論 2004/自衛隊イラク派兵差止訴訟の会編『自衛隊イラク派兵差止訴訟全記録―私は強いられたくない。加害者としての立場を』風媒社 2010
~~
身を奮い立たせてくれたオランダNGOの一言、36年間のNGO活動、イラク訴訟とその後…。そして行き着いたのが、「ジャストピース」。こうしたことを、未来を創る人たちと共有したい。
●主著:『学び・未来・NGO―NGOに携わるとは何か』(共編著)新評論 2001/『いのち・開発・NGO』 (ディヴィッド・ワーナー/ディヴィッド・サンダース著、若井晋・池住義憲監訳)新評論 1998
●参考文献:三好亜矢子、若井晋、弧崎知己、池住義憲編『平和・人権・NGO―すべての人が安心して生きるために』新評論 2004/自衛隊イラク派兵差止訴訟の会編『自衛隊イラク派兵差止訴訟全記録―私は強いられたくない。加害者としての立場を』風媒社 2010
~~
ちょっとした講座の感想
「身を奮い立たせてくれたオランダNGOの一言」、「そうか」と思ったのにもう忘れてる。
パワポが残ってた。よかった。
「無力感/無感覚を克服すること」
Overcome the numbness!
とのこと
これはぼくの以下の思いともつながっている。
(無力感が強かったりするんだけど)
~~~
『根本的に社会を変革する』とか、出来ないかもしれない。
『根本的に社会を変革する』とか、出来ないかもしれない。
でも、『出来ない』って、あきらめて生きるより、『いつか、次の世代や、その次の世代ではできるかもしれない』って信じて生きていくことの方が、出来ないって、あきらめて生きるより100倍楽しい。
~~~
~~~
そして、「ジャストピース」
今日の講座はご飯を作ったり、食べたり、連れと話したりしながら聞いていて、ほとんど理解できていなかったのだけど、
この言葉、パワポを見ると、ジャスティス(公正)と平和をあわせた言葉のようだ。
1,公正に基づいた平和
2,自分たちだけの平和は平和ではない
3,他者、他地域、他国、他民族を犠牲にして成り立っている平和は平和ではない
4,自分たち世代だけの平和・安定・安全・繁栄は、ジャストピースではない
前掲した「世界中のすべてのこどもが十分に食べられないうちに、世界が平和を知ることは絶対ないんだよね」という話とつながっているのだと思う。
ぼくはこの言葉、違う解釈をしていた。
ぼくが考えたのは「ただ、平和であること」
それはジョン・レノンのイマジン
わかりやすのは忌野清志郎の訳
ぼくはこの言葉、違う解釈をしていた。
ぼくが考えたのは「ただ、平和であること」
それはジョン・レノンのイマジン
わかりやすのは忌野清志郎の訳
天国は無い ただ空があるだけ
国境も無い ただ地球があるだけ
みんながそう思えば
簡単なことさ
社会主義も 資本主義も
偉い人も 貧しい人も
みんなが同じならば
簡単なことさ
誰かを憎んでも 派閥を作っても
頭の上には ただ空があるだけ
みんながそう思うさ
簡単なこと言う
夢かもしれない
でも その夢を見てるのは
きみ一人じゃない
夢かもしれない
でも一人じゃない
(ぼくらは薄着で笑っちゃう)
夢かもしれない(ああ笑っちゃう)
かもしれない
(僕らは薄着で笑っちゃう)
(ああ笑っちゃう)
(僕らは薄着で笑っちゃう)
https://ongakubun.com/posts/4238 から借用
そう、それから、池住さんの原点だという1975年の体験の話をもう少し聞いてみたかった。
1975年4月という時期、ヴェトナム戦争の帰趨はほぼ決まっていたはず。
しかし、まだぎりぎり米国大使館はサイゴンにあり、戦争が終わることが確定して、避難したいという人がそこに殺到する。
しかし、まだぎりぎり米国大使館はサイゴンにあり、戦争が終わることが確定して、避難したいという人がそこに殺到する。
4月29日直前のできごと。
米国大使館と沿岸に停泊した空母とのヘリでのピストン輸送が行われいる。
そこで、池住さんは逃げないという選択をしたという。
米国大使館と沿岸に停泊した空母とのヘリでのピストン輸送が行われいる。
そこで、池住さんは逃げないという選択をしたという。
そんな時期のYMCAとしての難民救済復興事業って、どんな事業だったのだろう。
誰からの依頼で、どんな難民の救済復興支援ができたのだろう?
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