『何が知的障害者と親を離れがたくするのか』なぁ?(ほんの紹介35回目)
『何が知的障害者と親を離れがたくするのか』なぁ?
(ほんの紹介35回目)
『障害社会学という視座』という本の7章「障害社会学と障害学」について去年7月に書きました。これがわかりにくかったという指摘があり、ブログに掲載するにあたって、書き足したのですが https://tu-ta.seesaa.net/article/202010article_4.html いま、読み返すと、ますますわかりにくくなっています(涙。 ともあれ、今回はこんな面倒な話を離れて、この本の4章の『何が知的障害者と親を離れがたくするのか』(染谷莉奈子著)について書きます。この課題設定はすごくストレートで面白く、ここからさまざまなことが見えてきました。この課題設定に感謝したくなります。
何が知的障害者である子どもと親を離れがたくしていると思いますか?ここで、読むのを止めて少し考えてみてください。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
この本の「まえがき」で編著者の榊原賢二郎さんはこの文章について以下のように紹介しています。
本章は、依然として非常に多くの知的障害者が親元で暮らしている状況を、単に規範で説明するのではなく、より具体的で詳細に検証した点で有意義だと言えます。たとえば、知的障害児・者の意を汲んだり信頼を得たりするのに、長時間の関わりが必要であり、他人にすぐに関わることができないなどの事情が、脱家族を難しくしていることが指摘されています。
ここでなぜ「規範」という言葉が使われているか、すごくおおざっぱに書くと先行研究の多くは親としての「規範」が離れがたくしているという話だったのこと。先行研究のことはよくわからないですが、確かに「規範」だけでは語りつくせないさまざまな要因があり、規範以外にも知的障害者である子どもをなかなか手放さないことに関して共通する要素はあります。
この章には具体的なインタビューの一部が紹介され、そこで語られている例の多くは障害がある子どもが慣れていない人と交われない話です。これはある意味、「支援とは関わり続けること」というたこの木の主張を裏付けるような話です。
この文章で欠落していると思ったのが、経済的要因。子どもの年金収入を世帯全体の生活費の一助にしている家は少なくないです。他にも、様々に共通する要因はあり、それらを考察することの大切さはあると思うものの、離れがたい要因は人それぞれだというしかないような気もします。
この章に書かれていない要因としては
・家から出して、地域での暮らしを始めるにあたってのハードルの高さ。
・子どもが大好きで離れたくない。
・好きというのに似ているが、こんなに面白い子どもとの暮らしを手放したくない。
それらがこの章に書いてあるいくつかの要因(もっと単純な言葉で書けそうな気もする)と重なって、離れがたさを形成しています。そして、この章に記載されている例は、あまりにも表出された言葉だけにとらわれて、言葉の裏側に何があるかを見切れていないような気もするのです。確かに、離れがたさはあります。しかし、それは知的障害のある子どもとの離れがたさだけじゃなくて、いつまでも同居している家族全般に言えることです。そのあたりの分析ももの足りないと感じました。
繰り返しになりますが、「離れがたさ」という着眼点は面白く、そこから見えてくるものはたくさんあったのです。そして、この離れがたさを形成しているのは親子関係だけではないという視点も大切だと思います。
この記事へのコメント