障害者支援を「チーム」として担うのか? 支援を介し「コミュニティ」を形成しようとしているのか?

岩橋さんのフェイスブックでの投稿
障害者支援に携わる人たちについて、
支援を「チーム」として担っているのか?
支援を介し「コミュニティー」を形成しようとしているのか?

「チーム」と「コミュニティー」
前者には、「決まり事」に基づく「評価」があり、
後者には、「雰囲気」に基づく「折り合い」がある等に思う。

すなわち、
前者は「マニュアル」をによって互いの役を回し、
後者は「レシピ」によってお互いを出し合い築かれていく感。

昔なら、私が求めているのは後者と明確に言えたのだけど、今は、後者もどこか「常識」という名の「決まり事」に基づき、様々な評価にさらされつつ形成されているように思う。
https://www.facebook.com/iwatyans/posts/4031550470248089

障害者支援に携わる人たちについて、
支援を「チーム」として担っているのか?
支援を介し「コミュニティー」を形成しようとしているのか?

この問いが障害者にかかわる さまざまな人に問われているのかもしれないと思いました。
もちろん、ぼく自身が問われていると思ったのです。

「チーム」と「コミュニティ」の違いと重なる部分、もう少し考え続けたいと思っています。

コメント欄に書いたのは以下

チームには目的があり、
コミュニティには目的がないことも あることもある。

それが大きな違いなのではないでしょうか?

コミュニティが目的を持った時、チームになるのかもしれません。

自分でもわかりにくかったので、補足

例えば、就労移行支援
そこでは労働法を適用されるような職場に就労するという目的があり、チームとしてそのことの実現のために動く、という半紙ではあるのですが、

ちょっと視点を変えて

まず、その人が受け入れられるコミュニティのなかで、自らの存在するということを肯定できるようになること、
それをベースにさらにエンパワーされること。
(この場合のエンパワーは他者に力をつけてもらうということではなく、自らが本来持っている力に気づくということ)
それはその人が肯定されるコミュニティのなかで実現できることだと思う。

そして、就労はマッチングと環境調整。
既存の職場秩序にあわせて、その人をトレーニングするというよりも、その人にあった職場を見つけ、会わない部分があれば、職場の環境を調整していくこと。それは職場を新しいコミュニティに形成していくということができるかもしれない。



チームかコミュニティかという話はたこの木連続講座の実行委員会ででてきた話だけど、
どんな脈絡ででてきた話だったかかなり忘れているので、
誰かに教えてもらって、後日、補足する予定。

そして、上記の就労移行の例は、たこの木連続講座実行委員会で出てきた話を大きく逸脱し、ぼくなりに妄想を広げた話となってしまっている。

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