「時間薬」という言い方がある。ぼくが最初に聞いたのはタカハシクリニックの上原さんから。
「時間薬」については以下のサイトでも触れられている。
https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2014/0928/682186.htm
ここには「嫌い」として紹介されているが、
確かに時間の経過が回復につながることはあると思う。
しかし、時間の経過の中で病気が進行することも当然ある。
有効に「時間薬」の薬効が表れるような時間の過ごし方があるのだと思う。どんな風に過ごしたら、それは有効になるのだろう。
この話を上原さんにメールで聞いたところ、すぐに、すごく丁寧な返答をいただいた。
ぼくだけが持っているのはもったいない話だと思ったので、上原さんの許可をもらって、回答を紹介する。
~~以下、上原さんの説明~~
**さん
ご無沙汰しております。
「時間薬」についてのご質問ですが、まずその前提としてその人に会った「薬」が大事ということがあります。
どういう事かというと、その人それぞれで状況やニーズが異なりますので、時間が必要なら「時間」、生活保護などの社会保障が必要ならそれ、住む場所や、食事が必要ならそれぞれを支援するという意味です。
そこから症状や問題とされる行動などでは、自然治癒の部分があります。完全な治癒でなくとも軽減されることも含みます。そこを促しながら、その人の変化を待つという姿勢も含みます。
我々の場合、多くの支援者は、いわゆる「良い人」が多いので性急に良い変化を求めがちです。一部のクライエントや家族はこれを読み取って過剰適応気味にこちらが喜びそうな変化を示すこともあります。(これがイネイブリングの過程です。本来の回復を邪魔しているという意味での「邪魔(イネイブル)」です。これの固着が治療者側の「共依存」的コントロールになります。)
そこからの再燃や再発も含めて、時間をかけながら関係を構築し続けることが「時間薬」の構造です。
これらも踏まえてご質問に答えると、そのクライエントや家族にとって必要とされることは大体単独ではないので「症状」とされる出来事のこちら側のリフレクティブとして「時間薬」や我々を含む誰かという「人薬」、その出会いの場である「場所薬」などが並行して「処方」されると考えます。
また、仰っているところの「症状の悪化」という概念も脱構築される必要もあるかもしれません。
これは私よりTU-TAさんの方が詳しいことと思われますが、あえて「釈迦に説法」を試みますと、精神医学的診断の中では何を症状とするかは権力関係の構造を前提としているので、これを脱構築する流れからすると、病名や症状名に基づく判断を離れてクライエントや家族と対話し続けることが不可欠でしょうね。
「症状の悪化」ととらえるか、「年取った」とか「昔みたいにはいかないね」とか、「辛さや痛みは消えないね」などの語りが出てくることも多いかと思料します。
これをリフレクティングしながら、関わるのがナラティブセラピーからのオープンダイアログかと考えます。
その過程を年単位で継続するのもある意味で「時間薬」かも知れませんね。
またよろしくお願いします。
~~上原さんからの説明ここまで~~
深夜に質問したら、翌朝には返信してくれた上原さんに感謝。
上原立人
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