ミュージシャン・小山田圭吾が小中高と通った和光学園が21日、取材に答えた。
小山田は、25年以上前に行った障がい者への〝いじめ自慢〟が原因で、東京五輪開会式の音楽担当を19日に辞任。そこで本紙は、和光学園法人事務局に質問状を送った。質問の内容は「今回の騒動をどのように受け止めているか」、「小山田が在学中に学校側はいじめを把握していたのか」、「小山田のいじめ告白記事を把握したのはいつか」など。卒業生のプライバシーに関わるため、本来はノーコメントとのことだが「本件につきましては、ご本人が問題となっております雑誌の中で、本学園との関わりに言及され、活字化されていることでありますので、回答できる範囲でお答えさせていただきます」と書面で回答を寄せた。
1番知りたいのは、学校側が小山田少年のいじめを把握していたどうか。だが「30年以上も前の事実であり、既に当時の教職員も在籍しておらず、当時の事実関係を正確にご説明することは困難な状況」と説明した。
同校は約45年前から、各クラスにハンディキャップを持った子供を受け入れる「共同教育」という制度をもうけているという。
「健常児、障がい児が共に人間として理解し合い、人が人をお互いに尊重するという認識の定着をはかっています。健常児であろうと、障がい児であろうと苦手な部分は互いに助け合い、理解しながら学習と生活を共にしていきます。子ども同士、時にはぶつかることやトラブルも起こりますが、そのような時こそ皆で考え合い、さらに深くお互い理解していく実践を行おうと努めています」
共同教育を実施しているとなると、今回の騒動は痛恨だろう。回答文書は「(小山田のいじめ告白記事で)記載されているような事実が生じないよう、本学園として対応をしております」と、締めくくられていた。
小山田圭吾氏の問題についてのリンクなど 追記:篠原睦治氏の言説、田中多賀子さんの考察、佐藤聡氏インタビューなどについて
(2022年5月、佐藤聡氏インタビューにある和光大学に関する部分を追記)
小山田氏問題。どこまで「いじめ」の内容を報じているか。国内と海外メディア、二つの断絶とは。
https://twitter.com/corneliusjapan/status/1415968059580293121
以下はぼくが知った時系列で
ぼくが最初に書いた感想は以下
https://www.facebook.com/masahide.tsuruta/posts/4192154707531681
小山田圭吾の問題
彼自身が語った子ども時代の行為に肯定できる要素はない。大人になってからのインタビューにも真摯な反省はない。とても大切なのは、これから自分がやった行為にどう向き合うかだと思う。これは終わりではないはず。「悪かった。反省します」から「なぜ自分はそうしたか」を考えて欲しい。
そして、和光学園は、この問題にどう対応してきたのか、これまでの対応はどうだったのか、自らの調査と共に、第三者による調査をして、結果を公表すべきだと思う。
いつもそうだけど、言葉による反省を求めるよりも、「なぜ、そうしてしまったのか」を正直に深く考えて欲しいと思う。それは一人では出来ないかもしれない。誰かの助けが必要なら、借りて欲しいし、自分もそうありたいと思う。
小山田圭吾氏の障害者いじめ問題から考える教育現場の現状と課題
https://news.yahoo.co.jp/byline/noguchiakina/20210719-00248737これ、大切な視点だと思いました。
支援校・支援級に分けられている今の現状は変えなければなりません。しかし、ただ同じ場を与えるだけではなく、そこにリーズナブル・アコモデーション(合理的な環境調整)がなければならないという話だと思います。
https://www.facebook.com/masahide.tsuruta/posts/4212849522128866
知り合いに教えられてを読んだ。ちゃんと検証しないとダメだなぁと思った。もとのものを読まないとどちらが本当かわからない。太田出版は興味本位で使われないハードルをつけて、検証用に希望者にDLできるようにすべきではないか?
いじめ紀行を再読して考えたこと 01-イントロダクション
ちなみに、原文は以下のリンクから読めます。
北尾修一氏のブログを再読して考えたこと
https://koritsumuen.hatenablog.com/entry/2021/07/25/142114小山田圭吾“陰湿いじめの舞台“となった和光学園の「共同教育」とは…担当者に聞いた
https://news.yahoo.co.jp/articles/57a136ce32b643ede71bff73dd14907ad41f9613小山田圭吾〝壮絶イジメ〟の舞台となった学校が釈明「正確な説明困難」
和光学園も「ともに学ぶ」ということの大切さから、共同教育の実践を行ってきたのだろう。
https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E7%AF%A0%E5%8E%9F%E7%9D%A6%E6%B2%BB
がこのテーマで何か発言していないか聞いてみた。
誰かインタビューしてくれないだろうか?
「いじめ」と「傷害事件」の境目の話について、篠原さんがどのように考えているか聞いてみたい。。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=4087612858027263&id=100003357675897
これは篠原睦治さんが主張した「せめぎあう共生」を当事者が表現したものと言えるかもしれない。では、生徒の立場ではどうだったのだろう、、と今さらながら考えを巡らせています。
私の博士論文(『日本の小児人工内耳受容史』)でインタビューに協力してくれた小児期人工内耳装用当事者4人の内、3人が、たまたまと言っていいのか、和光出身者だったのですが、そのうち2人は和光の話題について肯定的に語ってくれましたが、1人は否定的ニュアンスを含んだ答え方をし ていました。
このことからも、障害のある立場から和光の共同教育を心地よいものとして受けとめている場合も、受けとめられなかった場合もあることが分かります。不定的に受けとめた1人というのは私の息子であり、和光の共同教育への違和感が拭えなかったせいで子にもまった訳です。
和光の共同教育について、障害のある立場から見てどんな点が合わない場合があるのか、改めて考えたいと思います。息子が和光に通うのを渋り始めた時に、私に言ったことばがあります。
「和光の奴らは、幼稚部・小学部時代から、障害者に優しく親切に仲良く、、といわれてきた。オレは優しく親切にされるばかりで、いつも『有難う」と感謝しお礼を言うべき立場で皆と対等になれない。ここに居たら対等な関係の友達が作れずダメになってしまう。」そう訴える息子に「気持ちはわかるけど、イジメられたり意地悪されるよりはいいでしょ。」と返しました。
すると、彼は「いじめられたら、やり返すから、その方が対等になれる。親密になれず距離をおいた係わりで親切そうにされるてるのは対等な関係ではないので嫌だ」と答えたのです。
担任の先生は次男の孤立を防ぐ為の工夫(昼休みや放課後、コミュニケーションする時間や場所の確保する等)や、関心を持つ複数の生徒に要約筆記の手順を身に付けてもらい、ローテーションを組んだ上での情報保障整備の授業を提供するために試行錯誤して下さいました。
このような過程も経つつも、息子にとって和光学園という場は、一定の距離を置いてお客さん扱いされる居心地の悪い所でしかなく、居づらくなって高校1年で退学してしまいました。
同じような配慮を受けて心地よく学生生活を送る生徒も多くいますが、そうでない場合もあることを、自分の子どもの経験を通して知ったのでした。
空き時間から生まれた研究対象 ――拙著『人と成ること――恵那地方の統合教育・地域生活運動』について
https://www.ritsumei-arsvi.org/essay/essay-3636/
佐藤聡氏インタビュー
おそらく印象評価を超えていないと思うし、今は違うかもしれないのですが、興味深かったので引用。
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佐藤:僕は六日町、今は南魚沼市ですね。
立岩:87年?[00:08:03]
佐藤:87年。僕が知っていたのは日本福祉大学と、
立岩:そういうノリの所だよね。
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