成年後見制度、その促進法は いろいろな言葉で飾ってはあるが、もとから変えなきゃダメだろう

8月のおおた社会福祉士会の定例会で知り合いで精神障害当事者会ポルケの山田悠平さんが成年後見制度について話すというので参加し、その後、いろいろ考えたことがあったので記録。

この企画のフェイスブックの案内は以下
https://www.facebook.com/otachikukai/posts/5987199958018828
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[おおた社会福祉士会8月定例会]
トークライブ
「私が考える『成年後見制度』の課題・問題・未来」
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 成年後見制度は、認知症の方、知的障害のある方、精神障害のある方など判断能力が不十分な人の財産管理や身上監護を、代理権や同意権・取消権が付与された成年後見人等が行う仕組みとして、2000年4月1日からスタートした制度です。

 8月・9月は連続で「成年後見制度」をテーマにした定例会を開催します。9月は「大田区成年後見制度利用促進基本計画にみる地域連携ネットワークのめざす姿」と題して、計画の内容と進捗状況、中核機関の役割など現状の取り組みを学びますので、8月は成年後見制度をより広範な視座で、「人権」「最善の利益」「意思決定支援」「障害の社会モデル」などをキーワードに、それぞれ立場や背景の異なる者同士によるトークライブを企画しました。

 山田悠平氏(精神障害当事者会ポルケ代表)には、障害当事者コミュニティでの議論の報告や、社会福祉士などソーシャルワーカーへの期待を含めてお話していただきます。岡田あい子氏には、実際に成年後見制度の枠組みの中で成年後見人等として活動する中で感じてきた思いなどをお話していただきます。

 後半には参加者同士でディスカッションする時間も予定しています。参加者の皆さまと一緒に、成年後見制度を通して見えてくる社会のあり方や、背景にある理念や思想について考えを深めたり、多様な考えに触れる機会にしたいと思います。ご関心ある方はどうぞご参加ください。
この日の企画について、終わった後、参加したある当事者から「そこでのやりとりはどうだったのか」という問題提起を受けた。いろいろ考えたのとのこと。そこで成年後見制度について、すごくたくさんの課題が提出されているにもかかわらず、その後9月の定例会の案内(*以下のフェイスブックのURL参照)が送られてきて、それが8月に議論された数多くのこの制度の問題点のことをまったくふまえていないと感じたので、その意見をおおた社会福祉士会に送ったところ、アフタートークが行われることになり、そこにも参加した。


参加する前に成年後見制度の課題を考えてみた。

成年後見制度は何が問題か?

[成年後見制度の問題]
・本人に意思がないというのが前提になっている仕組み。
・本人意思を汲み取る仕組みが義務ではなく任意のガイドライン。
・現状で本人意思を汲み取ろうとしない後見人が多数存在。
・表面化しない不正はないのか。
・本人がその後見人が嫌でも変えることが出来ない。
・後見人を選ぶプロセスに本人が関われない。
・必要な時だけ後見をつけるという仕組みの不在。例えば相続や本人資産の売却にあたって、成年後見以外にどんな仕組みで法的に効力があるか。
その人をとりまくコミュニティの意見を行く仕組みは義務化されていない。本人が日中活動している場所を見たこともない後見人。知的障害のある人とコミュニケーションをとる方法を知らない後見人。
・そのとき、必要がなくても月額2万円が引かれていく。
・不適切な後見を監督する費用は本人負担(これは本人が負担するべきものなのか?)。

→このような仕組みを根本的に変える方向が示されていない。
→本人意思を前提とする仕組みを法律化、義務化すべきではないか。

[疑問]
・違法ではないが、不適切な後見を行ったことが明らかになった後見人。受け持っている他の後見は他の後見人に変更する仕組みはあるのか
・成年後見制度でなければ解決できないことは何か。

このざっとりしたメモ「成年後見を見直す会」のMLに投稿して、
それでは「他の福祉制度」では本人の意思をちゃんと確認する仕組みが担保されているか、と問われて、確かにそれもないと気がついたということは書き残しておこう。



アフタートークの呼びかけは以下
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8月定例会アフタートーク
〜「他の者との平等」「私たちのことを私たち抜きで決めないで(Nothing About Us Without Us!)」という障害者権利条約の理念に対して、ソーシャルワーカーはどのように呼応していくのか〜
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定例会当日は、社会福祉士などソーシャルワーカーへの期待を含めたお話もいただきました。
しかしながら、ファシリテーター(生駒)の力不足で、障害者権利条約に沿った成年後見制度の抜本的な見直しについて、認知症高齢者を含む障害当事者とともに現状を変えていくエンパワーメントやソーシャルアクションといった視座で、ソーシャルワーカー同士が語り合う時間を十分につくることができませんでした。

定例会後、リアクションペーパーなどを通じて沢山のご意見いただきました。その中には、今後も8月定例会を踏まえた議論を積み重ねていくことが大切である旨のご指摘もいただきました。

皆さまからの沢山のリアクションを受け、8月定例会「トークライブ『私が考える"成年後見制度"の課題・問題・未来』」のアフタートークとして、当日参加者およびおおた社会福祉士会会員を対象に本イベントを企画することにしました。

アフタートークでは、障害者権利条約に沿った成年後見制度の抜本的な見直し、あるいは意思決定支援に関する別の枠組みの整備、その他関連する福祉的支援体制に関する議論などの話を中心にしながらも、より根本的な理念や思想について考え深めたり多様な考えに触れる機会にもしたいと思います。1つの答えや意見集約を目指すものではありません。当日感じた思いをお話いただいたり、参加者同士の意見交換の場にしたいと思いますので、ご関心ある方はお気軽にご参加ください。
そのイベントのことをかなり忘れてしまっているけど、後見をやっている人を含めて、後見制度への批判などを含めて、率直に意見を出し合えるいい話し合いの場になったと思う。

印象に残ったのが、「後見制度はギャンブル」という例え。

たまに当たりの後見人が当たって、それを利用してよかった、権利が守られた、という場合もあるが、トータルでは負けが込む。
負けると、権利が根こそぎ奪われるようなギャンブルには手を出さないほうがいいに決まっている。
しかし、いい後見人がつくと権利を守ることが出来るのだが、その後見人を本人が選ぶ機会がなく、基本的には本人抜きで決められる仕組み。

では、後見制度ではなく、本人が法的に守られる仕組みがないのかと検索したら、なんと灯台下暗しというような感じ、立岩さんの講演録が出てきた。そのタイトルは「成年後見に代わるもの」 https://www.ritsumei-arsvi.org/publication/center_report/publication-center29/publication-446/

具体的には以下(抜粋、強調部分は引用者)
「この人は決められない人だから、決められる人を別に一人立てましょう」ということは、ある意味非常にシンプルで分かりやすい簡単な仕組み」

そういう意味ではこれから私がお話しすることは、より面倒くさい、細かい、一つ一つへの対応を並べるという形になるかもしれませんが、私はこの人の代わりにこの人にするというある意味分かりやすい簡単なやり方よりも、いろいろな手だてを複合的に使うというやり方の方が、意思決定を支援されながら暮らす人にとって良い形であるということ・・・そのことの認識は大切・・

・・・池原さんのサイドからは、誰か一人だという形ではなくて、その人の周りにいる幾人もの人たちみんなが、そして、法律によってこう決めるというのではなくて、もっとソフトな形で話をしながら、その人を見守りながら決めていくというタイプの支援の仕方が提起され・・

ただ、それだけでもないだろうし、他にも考えるべきことが幾つもある

誰か代わりの一人というよりも、みんなが良いということは、随分たくさんの場合にそういうことはあるだろうけれども、一人よりもみんなの方が怖いということもあり得る

自分の周りの人たちが何人もいて、その人たちが「おまえ、こうした方がいいよ」と言ったら、「何かそれに従わざるを得ないのかな」というようになるかもしれません。ということを考えると、一人よりみんながということは、一般論としては多くの場合に言えるだろうけれども、それだけでうまくいくというわけでもない

本人の申請を待たず、例えば、所得保障の問題のテーマ、あるいは社会サービスといわれているものが政府によって自動的に支給されるという仕組みになっているのであれば、そういうことは必要なくなります。そうすると、そのレベルで言えば、誰かが代理する、では、誰が代理するのかという問題は生じなくなります。

もう一つは、私人と私人の間の契約の場面

例えば1日の上限が何百万円、何十万円であるなどというガードを幾つか持っています。そういうものをうまく使えば、知的障害であれ、精神障害であれ、すごくハイになって物がすごく買いたくなったけれど、今日はこれだけしか使えないというようなことは既に実現・・・

明らかにその人にとって要らないもの、強い意味での詐欺とは言えないかもしれませんが、例えば車が3台も要らないような人に3台売るという出来事に関して、売り手側の責任を問うことは、今の法律においても、それをさらに工夫して、消費者保護の観点から、潜在的・顕在的な消費者を保護するという仕組みをさらに改善することによって、かなり改善はできる

悪い契約をした相手を罰する、あるいはそういう行為を禁ずる、制約することのコストの方が、そういうことをしてしまうかもしれない利用者側を保護するために、弁護士や専門家にお金を払うコストよりも、社会的に安く済むという可能性も非常にあります。

例えば、この人の持っているお金、この人が管理できるお金の範囲と、家族が持っている、あるいはそれに責任と同時に義務を負う財産やお金の範囲を分けることがきちんとできれば、本人が使い過ぎたことによって、本人は多少の迷惑を被るかもしれませんが、家族が危害を被ることはないといった財産管理のシステムは、後見という代わりの人を立てるというシステムではなくても可能なはずです。とすれば、この範囲のお金は本人のお金であるので、それに関しては多少の無駄遣いがあっても仕方がなかろうと、家族側もそのことに対して気を使うことが少なくなります。本人は、自分が使い過ぎるということで家族側が心配して、自分の代わりに誰かを立ててしまい、自分は日頃のお金もきちんと使うことができなくなるということがなくなる、あるいは少なくとも、少なくすることができる・・

本人が危ないことをするから本人を制約するということではなくて、危ないことをさせてしまう、危ないことをするという側を制約するというやり方

安楽死、尊厳死という問題・・・常にこの人は言っているからこの人が言っていることが正しく、ベストであり、ファーストであるということは言い切れない場合がある・・・。そういうことも含めて、われわれは本人の意思を尊重する、あるいは本人の意思を支援するということと、本人を支援するということの同じ部分とそこからは少しずれる部分の両方を考え続け、そして、それを制度の中に組み込んでいく
立岩さんがここで自ら書いているように、一人の人が後見人として代理に行うという仕組みよりも、複雑で面倒なことではあるけれども、これらのことは必要なことだと思う。これらを組み合わせれば、かなりのことは出来そうだが、すべていけるかどうかは不明。

例えば本人が相続した土地や建物を売却したい、売却が必要な状況がる、というときに、やはり明確に法的権限のある支援の形が必要になると思う。しかし、それが必要な時って、一生に何度もあるわけではない。そのときだけ必要な法的支援だ。現状では、そのときだけの後見人制度というのは存在しないという課題もある。
また、この立岩さんの講演録が掲載されている
生存学研究センター報告書 [29]
(「法的能力(障害者権利条約第12条)と成年後見制度」をテーマとして開催された「障害学国際セミナー2016」の記録)
https://www.ritsumei-arsvi.org/publication/center_report/publication-center29/
には興味深い論文が数多く掲載されている。(ちゃんと読んでないですが)

また、以下の東洋経済の記事の事例は後見制度の問題の一側面として、わかりやすい。
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まるで犯罪者扱い「成年後見人」で地獄見た家族
認知症の夫を支える妻のあまりに過酷な現実
https://toyokeizai.net/articles/-/319164
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ここに描かれている現実が、成年後見制度のだめな部分をん如実に表しているし、このようになるリスクがあるという意味で、成年後見制度はできるだけ手を出さないほうが無難なギャンブルだと言えるだろう。

また、

立教大学学術リポジトリ(立教Roots)に掲載されている、一連の飯村 史恵さんの論文も興味深そうだ。全部は読めていないが。
この最後の論文の要約だけ以下に引用。

成年後見制度から意思決定支援へ-自律か保護かの対立を超えて
From the Adult Guardianship System to Supported Decision-Making:Beyond the Conflict between Autonomy and Protection
飯村 史恵 IIMURA Fumie

要約 
国連障害者権利条約第12条により、本人の代行決定制度である成年後見制度から意思決定支援への転換に、世界的な注目が集まっている。これらを受けて、日本の成年後見制度には問題があると指摘されているが、批判的検討や抜本的見直しは行われていない。本研究は、選任されるまで本人とほぼ面識のない専門職後見人や市民後見人に期待が集まる問題点と制度理念のギャップについて検討し、将来のビジョンを提示することを研究目的としている。
研究の結果、後見人を担う専門職能団体は概ね、成年後見人としての関わりを「意思決定支援」をベースにする方向性を打ち出しているが、本人と関わる機会はさほど多くないため、本人の意向を把握することが困難である状況が浮き彫りになった。また、成年後見制度には大きな期待が寄せられてきたが、これらの期待に対して、実務を担う人材養成には乖離が少なくないことがわかった。本人の権利を真に擁護するためには、本人と支援者との関係性を重視し、自律と保護を対立概念ではなく、連続的に捉える必要があることが示唆された。
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さらに、これらのを考える過程で偶然ラジオで聞いた國分功一郎さんの講演が、「意思」という概念を疑問視していて、それはそれでとても面白かったのだが、それについては別にちゃんと書きたいと思う。

参考に
カルチャーラジオ 日曜カルチャー
「人間を考える~共に生きる~」(1)
【出演】哲学者 東京大学准教授…國分功一郎

https://www4.nhk.or.jp/P1940/x/2021-09-05/06/75165/3657040/
面白かったです.もうしばらく聞けるはず。

そうそう促進法の中身にちゃんと言及してなかった。その内容は否定的なことだけじゃないと思うが、この穴だらけの成年後見制度を前提としていたら、ダメだと思う。

間違いなく、成年後見に関する地域ネットワークは必要だと思うが、それは成年後見制度でひどいめにあった人たちを助けるためのネットワークであるべきだし、そこでは、成年後見の是非を考えるネットワークであって欲しい。

成年後見制度と促進法について、書かなければいけないことは、まだたくさんあるだろうが、疲れたので、このあたりでアップロードします。
これ、書き始めは9月11日だったと記録されてました。

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