「ケア/ジェンダー/民主主義」(岡野八代)メモ

雑誌「世界」2022年1月号 
特集 ケアーー人を支え、社会を変える

この特集が気になって、図書館で借りた。      

何より気になったのが、特集の基調論文とも呼べそうな以下

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〈総論〉

ケア/ジェンダー/民主主義

岡野八代(同志社大学)

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この論文の最初の方に引用されているのが『ケア宣言』(大月書店 2021年7月)の冒頭部分

 この世界は、ケアを顧みないこと(ケアレスネス)「無関心、無配慮、不注意、ぞんざいさ」が君臨する世界です。コロナウイルスの大感染(パンデミック)は、合衆国、イギリス、そしてブラジルといった国々を含む多くの国で、このケアのなさが継続していることを明るみに出しただけといってよいかもしれません。これらの国々では、まさにリアルな、差し迫ったパンデミックが襲ってくるかなり以前からの警告を軽視し、むしろ遠くの、あるいは実際には存在していない脅威に対する大規模な軍備に膨大なお金を無駄に費やし、結果、すでに豊かな人たちにお金を流し込んだのです。(雑誌「世界」93pから)(本では1p)

軍事に費やされているお金とパンデミックに費やされたお金の比較、興味深い。ここまでの批判は妥当だと思うし、やり続けることが必要でもあるだろう。

しかし、それだけで十分だとは思えない。誰が政権を担っていたとしても、どう対応していいか、戸惑ったはずだし、社会の亀裂は不可避だったかもしれないと思う。

どの時期、何が可能で、どのような対応が必要だったのか検証することは、今後にとっても必要なことだと思う。

そして、ケアには外部が必要で、それは開かれていなければならないというのがこの論文の核を構成している。

 ケア関係はつ・ね・に・、ケアの受け手にだ・け・で・な・く・与え手の生計と福祉のための資源を供給する外部を必要とする。その意味で、そもそもケア関係は開かれた関係性であり、閉じてしまえば存続そのものが危ぶまれる。ところが、こうした本来「開放的」な関係性を、拡張的な家族規範であり、ケア責任を家族へと閉じ込めようとする、ケアの私化への強い制度的・社会的圧力である。99-100P

外部がなければケアが維持できない、というのはわかる。外部が必要という意味で開かれた関係であり、閉じてしまえば続かないというのもそうだと思う。

ただ、ケアであろうとなかろと、人間が生きていくうえで、閉じた関係性とか、あり得るのかとも思う。

まあ、ここでこれを強調しなければならないのは、あたかも閉じて存続しうるような行いや言説が横行しているから、という意味では理解できないわけでもない。


そこでカギになるのが民主主義だという。

ケアを中心とする民主主義の構想へ

 市場での交換価値がその人の価値であるかのごとく、わたしたちを人的資本として扱う新自由主義の価値観が至るところに浸透している今、家庭内でも労働市場でも安く見積もられるケアは、コロナ禍の経験を経てもなお、ますますその価値が認められず、その社会貢献——フェミニスト経済学者たちは、子どもを社会人とすることで「いくら」の価値を生んでいるかを計算している ―—やハードな労働にみあった報酬を得られないままなのだろうか。本稿でみたように、そもそもケアはケアの受け手の人格に密接にかかわる実践に他ならず、それを商品のやりとりに替えることは、人間性の冒資と感じるひともいるであろう。ケアはそれゆえ、価格がなく(プライスレス)、それゆえ貴重(プライズレス)とされてきた/されているのかもしれない。

 しかし、ここまで強調してきたように、直感的なイメージとは異なり、ケアが「開放的」な関係であらざるを得ないという事実を直視することで、わたしたちは、ケアの受け手と与え手の人格に関わる関係性をより良好に築いていくための、よりよい「開放的」なケア関係を構想できないだろうか。かつて、上野千鶴子が、日本におけるマルクス主義フェミニズム論の代表作『家父長制と資本制』において明晰に分節化したように、家族(=女性)は、あたかも自然が市場にその資源を奪されるかのようにそこで育んだ/養った労働力(=夫や子)を奪取され、市場が産業廃棄物を自然に押し付けるように、市場で役に立たないとみなされる者を家族は一手に引き受けさせられてきた。

 冒頭引用した『ケア宣言』は、一方で資本主義の下で自然破壊が深刻化し地球の存続が危ぶまれるのと同じように、家族もまた存続の危機にあることを警告している。繰り返すが、ケア関係は、決してそれ自体で完結せず、第三者の支え——これもまたケアと言い換えてもいいかもしれない——がなければ、ケアする者もケアされる者も存続できない。103-104p

「市場での交換価値がその人の価値であるかのごとく、わたしたちを人的資本として扱う新自由主義の価値観」とあり、読み流していたのだが、ふと思う。これ、新自由主義の価値観というよりも、近代以降の資本主義のメインストリームの価値観じゃないか。ケアが「家庭内でも労働市場でも安く見積もられ」てきたのは、いまに始まった話ではないはず。ただ、それが先鋭化し、ケアの大切さが言われるようになって、可視化されてきたという話ではないかと思う。

岡野さんは、上記の文章の後、「ケア関係はこの社会では拒まれ続けている」ということについて書いたうえで、以下につなげる。 

 わたしたちはいま、この社会でケアしているのは誰かを問うことで、つぎのような数々のケアをめぐるパラドクスと、そこから生じているケア不足—―ケアへの無関心、ときに蔑みをも含んだ無配慮——という問題を真摯に見つめる時にあるのではないだろうか。

・わたしたちすべての人間は、例外なく誰かのケアを受けてきた、にもかかわらず、ケアを一部の者に押し付けてきた。

・ケアは人間社会の根幹であるとさえいえる、個人の人格に関わる不可欠な実践である、にもかかわらず、その価値が社会的に評価されない。

・ケア関係は自足的たりえず開かれた関係性である、にもにもかかわらず、自足的であり得ないケア関係を支えるのは、社会の中でもっとも貧弱な集団の一つである家族とされている。

 こうしたパラドクスを解く鍵は、あるいは解きうるのは、民主的な社会だとして、ケアする民主主義を構想しようとするジョアン・トロントは、そもそも「ケアするのは誰か?」という問いのなかにさえ、このパラドクスの根深さを読み取っている。104p

【こうしたパラドクスを解く鍵は、あるいは解きうるのは、民主的な社会】であるとして、【ケアする民主主義を構想】するというのだが、それは一体何か、ということが問われなければならないだろう。

この論文で想像できるのは、それが古代ギリシャ・アテネ型の奴隷や女性を排除したうえで成立する民主主義ではないということくらいだ。その答えはジョアン・トロントの著作に求める必要があるのだろう。

これに続けて、この『ケアするのは誰か?』というタイトルの訳語のことを、岡野八代さんは自分で、反語としての〈自分の知ったことではない〉、〈関係ないね〉、〈そんな些末なことを聞くな〉といった含意が表現できてない誤訳だと書く。(104p)

確かに"Who cares?"って、深い。"Take care"を「気を付けてね」って訳すなら、これは「誰も気にしてなんかないじゃん」って感じか?

ケアするのは誰か?新しい民主主義のかたちへ』(ジョアン・C.トロント 2020年)

そして、岡野さんはこの世界の記事の結語に近いところで、以下のように書く。

 ケアは自分とは関係がないと思える人がいるならば、それはその人が自立した存在であるからではない。誰かがケアを担ってくれているおかげで、そうした存在でありうることを支えてもらっているからだ。民主主義がもし、〈あらゆる者に関わることは、それに関わるすべてのひとが、その決定に等しく関わる〉ことであるとするならば、ケアを政治の中枢へと移動させ、なによりも「開放的な」ケア関係を、社会全体で支えるしくみを考えなければならない。ケア実践が示す、多様な個人とその個人がおかれた様々な文脈への注目と配慮は、政治にとって今むしろ必要な実践ではないだろうか。つぎのように厳しく民主主義の歴史を問い直すトロントの言葉は、現在の日本の民主主義の姿をもとらえて離さない。

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歴史的にみれば、民主主義は、一部の人びとを政治的生活に立ち入らせないことで、ケア提供の義務をそのひとたちに割り当てることを選んできました。高度に参加的な民主主義として賞賛されがちな、古代ギリシャ・アテネの民主主義は、平等だとみなされる人びとだけに政治的役割を限定してきました。すなわち、市民に生まれた男性に、です。女性、奴隷、子ども、そして外国人居住者たちは、市民から排除されていました。(「ケアの倫理から―民主主義を再起動するために」(ジョアン・C.トロント))『ケアするのは誰か?新しい民主主義のかたちへ』収録)
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ここで岡野さんは「ケア実践が示す、多様な個人とその個人がおかれた様々な文脈への注目と配慮は、政治にとって今むしろ必要な実践ではないだろうか」と書く。

それはとても大切で必要な実践だと思う。

しかし、「今むしろ」というより、本当はそれはずっと必要とされていたのではないか?
そして、これは、ケア関係は民主主義を必要としていて、本来、開かれているはずのケア関係が民主主義を深化させるという意味で、ここで描かれている「多様な個人とその個人がおかれた様々な文脈への注目と配慮」を必然とするケア関係が社会を変化させる契機になりえるという話だと思った。


ちなみにこのバックナンバー、手に入りにくくなっているみたいで、アマゾンの古本では2000円以上の価格がついている。(2022年2月5日)

以下、資料

https://www.iwanami.co.jp/book/b597416.html

から

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【特集】ケアーー人を支え、社会を変える


 いたわる。気にかける。かかわる。ねぎらう。おもいやる。

 手当てする。気づかう。話しかける。たすける。世話をやく。

 そうした私たちの営みを、ここでは一言で、「ケア」と呼ぶことにする。


 ケアを必要としない人間など、存在しない。

 にもかかわらず、私たちの政治はケアを重視せず、ケアを必要とする場合はなるべく民間の営利サービスか、女性が主に担う無償労働に委ねようとしてきた。新自由主義と家父長制、自己責任論が、それを加速させてきた。


 だが、パンデミックを経て、ケアの必要性と重要性が可視化されつつある。

 誰もが個として尊重されるケアに満ちた社会、それは実現をめざす価値のある社会の姿ではないだろうか?


目次

┃特集1┃ケアーー人を支え、社会を変える

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〈総論〉

ケア/ジェンダー/民主主義

岡野八代(同志社大学)


〈子どもたちの目線から〉

ケアから社会を組み立てる

村上靖彦(大阪大学)


〈戦略特区の欺瞞〉

グローバルなケアの《分断》――移住女性の犠牲と先進国共働き家庭

定松文(恵泉女学園大学)


〈パンデミックとケア〉

保育問題を無視してきた政治家たち

エミリー・ぺック(ジャーナリスト)、訳=加藤しをり


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┃特集2┃気候危機と民主主義――COP26からの出発

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〈失敗か、前進か〉

世界は1.5℃目標をめざす

高村ゆかり(東京大学)


〈報告〉

COP26はどこまで到達したか?

小西雅子(WWFジャパン)


〈気候市民会議〉

気候民主主義へ――地域発・若者発の転換

三上直之(北海道大学)


〈逸脱の検証〉

原発は気候変動対策に使えるか?

松久保肇(原子力資料情報室)


〈変革へ〉

複合危機とエネルギーの未来

飯田哲也(環境エネルギー政策研究所)


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◆注目記事

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〈恐るべき現実〉

スマホ位置情報の「一網打尽」捜査――「ジオフェンス令状」の正体

指宿信(成城大学)


〈社会の課題〉

脆くない社会へ――優生思想との訣別と障害者の権利

藤井克徳(日本障害者協議会)


〈座談会〉

危急のメディアーー何が問題か、どう変えるか

田島泰彦(元上智大学教授)、工藤信一(信濃毎日新聞)、浮田哲(羽衣国際大学)


〈脳力のレッスン・特別篇〉

「新しい資本主義」への視界を拓く――日本経済・産業再生への筋道(下の2)

寺島実郎


《選挙結果分析》

 〇野党共闘をアップデートせよ………中野晃一(上智大学)

 〇野党共闘は不発だったのか………菅原琢(政治学者)


〈朝鮮半島と新政権〉

日本外交の危機か、われわれの危機か

和田春樹(東京大学名誉教授)


〈事件の総括〉

共振する日米の歴史修正主義――ラムザイヤー論文という事件(上)

米山リサ(トロント大学)×板垣竜太(同志社大学)


〈現地はいま〉

人と自然、人と人との和解へ――アフガニスタン政変と中村哲医師の願い

村上優(ペシャワール会会長)


〈続く脅迫〉

ネグロスからの手紙――虐殺と弾圧の島で(特別篇・中) 二人、小部屋に身を潜め

クラリッサ・シングソン(人権アクティビスト)、訳・構成=木村英昭・勅使川原香世子


〈「隣人」の記憶と向き合う〉

世界最大の分散型記念碑――グンター・デムニッヒと仲間たちの「つまずきの石」(前編)

中村真人(フリーライター)


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◇世界の潮

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◇スーダンのクーデターー市民の力を見誤った軍部

栗田禎子


◇AUKUSオーストラリア外交と社会の大転換か

杉田弘也


◇極超音速ミサイルの衝撃――宇宙核戦争に勝者はいるか

藤岡惇


◇山梨大学元教員諭旨解雇訴訟――ガバナンス改革と「学問の自由」の危機

石原俊


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◇SEKAIReviewofBooks

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◇【短評】映画『ユダヤ人の私』は語る――記憶のデモクラシー

水野博子(明治大学)


◇【連載】本とチェック 第4回 人生の師、金石範先生

金承福(「クオン」代表)


◇新刊紹介


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  • 連載

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----〈短期集中連載〉----------


  • 「赤木ファイル」を読む(上)――良心の叫びと「悪」の構造

金平茂紀(ジャーナリスト)


  • パンドラ文書を解読する(下)

奥山俊宏(朝日新聞)、畑宗太郎(朝日新聞)


----〈新連載〉----------


  • デジタル・デモクラシーーービッグ・テックとの闘い【第1回】

〈わたしの顔〉を取り戻せ!

内田聖子(PARC)


----〈好評連載〉----------


  • いま、この惑星で起きていること【第25回】

人工衛星が見た地球の劣化

森さやか(気象予報士)


  • 亡所考【第13回】

草刈りからみえる忘却

北條勝貴(上智大学)


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  • メディア批評【第169回】

神保太郎(ジャーナリスト)


  • 片山善博の「日本を診る」【146】

厚労省職員が国会議員の挨拶文を作成していたことの意味を問う

片山善博(早稲田大学)


  • 但馬日記【第32回】

文化が流す汗が、軽んじられてはいないか

平田オリザ(劇作家)


  • 沖縄(シマ)という窓

――有銘政夫のこと………親川志奈子(沖縄大学非常勤講師)

――「オール沖縄」退潮――戦略見直しが急務に………松元剛(琉球新報)


  • 原発月報(21・10~11)

福島原発事故記録チーム


  • ドキュメント激動の南北朝鮮(293)(21・10~11)

編集部


  • 民話採光

阿部海太(絵描き・絵本描き)


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○読者投句・岩波俳句

選・文=池田澄子(俳人)


○アムネスティ通信


○読者談話室


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○表紙写真

ドライフラワーで作られた服を着る女性。世界的な園芸の祭典「チェルシーフラワーショー」にて。

英ロンドン。2021年9月20日。ロイター=共同

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