『彼は早稲田で死んだ』メモ

読書メーターに書いて、文春にも送ったもの。こちらに転載するにあたって、大幅に書き足した、
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 辻信一(大岩)さんがここで何を表現しているのか、ずっと気になっていた。複数の人からの、そこでの辻さんの対応への不満も聞いていた。この対談、ぼくは辻さんが辻さんの現状のまま、真摯に受け答えをしてるように読めた。現状でせいいっぱいの真摯さで受け答えしているのだろうが、同時に、早稲田で自分がしてしまったことにちゃんと向き合えていないとも感じた。それと向き合うことから逃げている感じは否めない。彼なりのせいいっぱいの真摯さだろうが、それしかできないのが彼の現状なのだと感じた。いつか、自分でちゃんと書いてほしい。

 辻信一(大岩)さんによる『スロー』の提唱や、強さに頼らないあり方の記述にはとても説得力があるだけに、それを前提として、自らの過去にちゃんと向き合うことが出来れば、暴力に関するとてもすぐれた考察が描けるはずなのに、そこに向き合えていないのは残念だと思う。

 今年、2022年の11月8日、早稲田で川口さんが虐殺されてから50年を迎える。辻さんがそれを契機に、この話に向き合い、何かを発信することを期待している。

 また、この本に描かれた「武装」「暴力」に関する考察を、国家の武装や暴力にまで敷衍して考えることもできるのではないかと思った。学生時代、トロツキストグループに参加して、内ゲバに反対しつつも、革命的暴力を肯定していた自分がいる。そのことをいまだにちゃんと総括できていないということに自覚的でありたいと思う。

 そんな過去をなかったことにして、軍隊を否定する9条国家を標榜してはいけないように思う。

 国家と暴力は、これまでの歴史の中で、ほぼ例外なく結びつき、軍隊・暴力行使とほとんどの政治権力の腐敗は同伴していたように思える。

 この本に描かれた(ある意味)小さな大学闘争のなかにある非暴力を貫くことの困難さを国家まで敷衍することの果てしない困難さを感じないわけではないが、それでも、おかしいものはおかしいと主張し続けたい。

 誰かがSDGsに核兵器のことや武器売買のことが描かれていないのがおかしい、それが重要なのにと言っていたが、その通りだと思う。そして、それはいまの国連では一致できない部分でもある。サステイナブルというとき、大きくそれを妨害しているのが膨大な予算を使い、武器を持ってにらみ合う世界の現状なのではないか。その武器商売で潤っている人間が多数いる現状こそが変えられなければならないのではないか。

 また、どう考えても、飢えて死ぬ人や、直せるはずの病気なのに医療がなくて死ぬ人が多数いる社会で、そちらにお金を使わずに、武器屋軍隊に膨大なおかねが使われているのことが「おかしい」と少なくない人が思っているはず。

 早稲田大学における一人の学生が革マル派に殺された話から、そんなことまで連想させる、いい本だとぼくは思った。

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