保障されていない障害者の権利としてのあたりまえの暮し~とりわけ重い知的障害と呼ばれる人たちに関して~


保障されていない障害者の権利としてのあたりまえの暮し

~とりわけ重い知的障害と呼ばれる人たちに関して~

目次
まえがき

1,障害者権利条約と障害者の暮らし

2,困難な現実はあるが、その状況を変える必要がある

3,重度の知的障害者を抱える世帯の経済の問題

4,本人は何を望んでいるのだろう

5,ガイドヘルプから始めてみるのはどうだろう?

6,結語とあとがきや付け足し



まえがき

 重い知的障害があると呼ばれる人たちが、あたりまえに地域で暮らすことが、なかなかできない現実について、「知的障害者自立生活声明文プロジェクト」から発展した「知的障害のある人の自立生活について考える会」に参加する中で、そこで話したり、自分で考えたりしたことを文章にしてみた。というわけで、これから書くことの多くは、これまで話したことなどがベースになっている。というわけで、以下に書くことの発想やアイデア、考え方はぼくのオリジナルではない。とはいうものの、ぼくが書くというバイアスは当然あり、文章の責任は私にある。

1,障害者権利条約と障害者の暮らし

 障害者権利条約は日本政府も批准し、それを守ることが義務付けられている。法律の専門家に言わせれば、日本の法体系で、憲法に次いで、上位の法律であるとされている。(しかし、それは法律学の文字の上だけの話で、子どもの権利条約などを見ても実態は異なると思わざるを得ないとも思う)

ともかく、上位法であるとされる障害者権利条約。日本政府の公式の訳は以下(外務省のサイト)

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/index_shogaisha.html

そこにはっきりと書かれているのに、いまだに守られていないことがいくつかある。

その一つに

第十九条 自立した生活及び地域社会への包容

Article 19 Living independently and being included in the community

という項目がある。こんな内容だ。(強調部分は引用者)
~~~
第十九条 自立した生活及び地域社会への包容

 この条約の締約国は、全ての障害者が他の者と平等の選択の機会をもって地域社会で生活する平等の権利を有することを認めるものとし、障害者が、この権利を完全に享受し、並びに地域社会に完全に包容され、及び参加することを容易にするための効果的かつ適当な措置をとる。この措置には、次のことを確保することによるものを含む。

(a) 障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと。

(b) 地域社会における生活及び地域社会への包容を支援し、並びに地域社会からの孤立及び隔離を防止するために必要な在宅サービス、居住サービスその他の地域社会支援サービス(個別の支援を含む。)を障害者が利用する機会を有すること。

(c) 一般住民向けの地域社会サービス及び施設が、障害者にとって他の者との平等を基礎として利用可能であり、かつ、障害者のニーズに対応していること。

Article 19

Living independently and being included in the community

States Parties to the present Convention recognize the equal right of all persons with disabilities to live in the community, with choices equal to others, and shall take effective and appropriate measures to facilitate full enjoyment by persons with disabilities of this right and their full inclusion and participation in the community, including by ensuring that:

(a) Persons with disabilities have the opportunity to choose their place of residence and where and with whom they live on an equal basis with others and are not obliged to live in a particular living arrangement;

(b) Persons with disabilities have access to a range of in-home, residential and other community support services, including personal assistance necessary to support living and inclusion in the community, and to prevent isolation or segregation from the community;

(c) Community services and facilities for the general population are available on an equal basis to persons with disabilities and are responsive to their needs.

 難しい言葉で書かれているが、簡単に言えば、

障害者は、障害者ではない人と同じように、自分で住みたい場所を選べるし、

障害者が住むべき場所が施設とか病院しかないという状況を作ってはいけない。

他の人と同様に住みたい地域で暮らせるようにしなければならない

というようなことが書かれている。タイトルも意味を汲んで訳すと「自立して生活できるようにすることと、地域とつながって孤立せずに居ることができること」だと思う。それらを個人の努力で実現せよ、という話ではなく、そんな風にできるように環境を整えなければならない、という話だ。

 しかし、実際には、障害者(とりわけ重度と呼ばれる知的障害者や精神障害者)が、他の人と同じように、生まれ育った地域とか、ここに住みたいと思う地域で暮らすことが出来ない現状がある。親の家や入所施設や精神病院を出て、必要な支援を受けながら暮らすという、あたりまえの権利条約でも保障されている権利を行使するのは容易ではない。親と一緒に生活している重い知的障害と呼ばれる人の親が、その人を介助出来なくなったら、次に住む場所として勧められるのは施設か、グループホームという現実がある。また、そのような形で施設などに入ってしまったら、ほとんどの施設での地域移行の取り組みはおざなりなので、、次の施設に移らない限り、そこを死ぬまで出ていけない現実もある。

 本人は何を望んでいるかというのを言葉で表現できないし、また、一人暮らしが何かということを経験しなければ、それが何かを理解することは難しい。そして、その本人の声を聴き取る努力もあまり行われているようには思えない。


2,困難な現実はあるが、その状況を変える必要がある

 それまで家族からの支援を受けて、家族と一緒に住んでいた重度の知的障害と呼ばれる人たちが、家族と離れて普通に暮らすことを選ぼうとするとき、日本社会では、その暮らしをサポートする仕組みはとても不十分だ。グループホームは地域差はありつつも、それなりに増えているが、一人暮らしを支える仕組みがそれなりに成立している地域は数えるほどしかないし、その地域に生活していたとしても、それを支えてくれる人たちと出会えていない可能性もあるかもしれない。

 日本のほとんどの地域で、重度の知的障害と呼ばれる人たちの一人暮らしを始めようと考えたら、その人の暮らしを支える体制を整えるところから始めなければならない。一人暮らしを支えるヘルパーとヘルパーを派遣してくれる事業所、それらをコーディネートする体制を整えつつ、必要な居宅介護の障害福祉サービスの支給を行政から獲得し、お金の管理の方法を決める。こんな風に体制を整える作業を、誰かが一人で担うのはとても困難だ。

 いっしょにそれを考えてくれる人が必要になる。いっしょに考えてくれる人は、最初から必ず同じ地域に住んでいなければならない、ということはない。実際の生活のサポートは同じ(あるいは近隣の)地域に住んでいるケアする他者が必要になるが、まず、その体制を整えるための検討の段階では、遠い地域で一人暮らしを実現していたり、サポートしているグループとつながることから始めればいいのではないかと思う。遠い地域の人に相談したことがきっかけで、成功した事例も報告されているようだ。

 もちろん、準備にはそれなりに時間がかかるし、地域でいっしょに活動できる仲間がいれば、心強い。仲間は、実際に一人暮らしを始めたら、いずれは必要になると思う。例えば、日本各地にある自立生活センター(CIL)が、どこでも、重度の知的障害と呼ばれる人の一人暮らしについて相談できる役割を果たせるようになればいいと思う。 また、「知的障害のある人の自立生活について考える会」も、いまはまだ微力だけれども、もう少ししっかりとしたネットワークを形成して、そんな相談に乗れる体制をどこかに作ることができないか、検討できればいいと思う。


3,重度の知的障害者を抱える世帯の経済の問題

 あまり語られることのない重度の知的障害者を抱える世帯の経済の問題は小さくない。本人に入る障害者年金と手当がその世帯全体の暮らしを支える重要な一部になっているという例は確実にある。本人が一人暮らしを望んでいるのが明白な時、それを一人暮らしのために使わずに、世帯の暮らしのために使うのは、経済的虐待に当たる可能性も高いのだが、そんな風に障害者の暮らしを支えている世帯を非難しても何も始まらず、そうではなくて、その世帯をどう支えていくかという視点が必要だと、2022年3月23日に行われた公開されているトーク(いまも見ることができる。https://www.youtube.com/watch?v=GW168cNJhT8 )で「はちくりうす」の櫻原さんが語っていて、確かにその通りだと思った。

 以前、睦月会の理事長が講演会で話していた以下が印象的で忘れられない。おぼろげな記憶だが。

「『この子がいなくなったら、私たちはどうやって暮らしていけばいいんですか』と訴える母親に言葉に若い職員が感動していたが、『それは心情の話ではなくて、現実の暮らしの話だよ』と教えたやった」というような話だったと思う。経済的虐待にあたるかも、という話もあったかもしれない。

 その人が望む暮らしをどう実現するかという話を考えるときに、いままでその人を支えてきた世帯の暮らしをどう支えるかということも同時に考えていく必要がある。


4,本人は何を望んでいるのだろう

言葉でどうしたいかを表現するのが苦手な人は多い。いままで家族と一緒に暮らしていた家を出て、別なところで暮らしたいかどうか、などという話になると、なおさら難しいと思うし、誰だって気持ちが揺れるのは当たり前だ。その人の言葉に頼らずに、その人が何を望んでいるのかを聴き取る必要がある。そのためには体験してみることがとても重要になる。体験しているときの表情やしぐさから、その人が何を望んでいるのかを複数の人で考える必要があると思う。選択のためのきっちりした体験は、誰にとっても、いつだって、とても重要だ。

 複数の障害者から「ショートステイに行くのは嫌だ」という話を聞いたことがある。多くのショートステイは、本人の望むことよりも施設の運営の容易さを優先し、規則を盾に、楽しい場ではなくなっている。ショートステイはガイドヘルプなどの力を借りて、もう少し楽しい場所に変えることができないかと、いつも思う。本人にとって、家とは異なる暮らしが、規則に縛られたつまらない体験になってしまうのは残念だ。

 それらの暮らしを実際に体験したうえで、ぎりぎりまで家族とともに暮らすことを選ぶということもありかと思うが、その場合、その「ぎりぎりの条件」や「ぎりぎりの後」をちゃんと考えておく必要があるだろう。


5,ガイドヘルプから始めてみるのはどうだろう?

 これも3月23日に話し話されたことだが、「地域でのあたりまえの暮らし」に向かうために、ガイドヘルプから始めてみるというのは、有効な一つのありかたではないか。

 風雷社中などが仕掛けた「ガイドヘルパーから始めよう」 https://dokoikou.jimdofree.com/ というキャンペーンがある。この話は、直接的にはこれからガイヘルを始めてみませんが?という呼びかけなのだけど、それだけではない。(聞き直したら、櫻原さんがしっかり話してくれているのに、それを忘れて、わざわざそれを繰り返してる)

「ガイドヘルパーから始めよう」に含まれる さまざまな含意。

 このキャンペーンのそもそもの発想は障害者と触れ合うことのなかった人向けに、「ガイドヘルパーになるところから始めよう」という呼びかけて、ガイドヘルパーを増やしたいという発想から始まっていると思うのだが、それ以外の意味を箇条書きにしてみた。


a,当事者にとって

家族以外の人との関係を作って、社会の一員として、社会に出ていくことを始める、家族以外を媒介にしての社会とつながりをつくることを、そこから始めようということ。

b,家族にとって

知的障害者の家族が他者の介護を受け入れるときにも、そこから始めてみたら、どうですか? という話でもあること。家族だけが介助しなければならないという呪縛から解き放たれるために、そこから始めてみるということ。

c,社会・コミュニティにとって

知的障害の人が社会にいることを、ガイドヘルパーと一緒に外に出ることで、見えるようにすること。そして、表に出た彼らに対して、社会やコミュニティの側からも応答すること。始めはもの珍しく見ているだけかもしれないが、次に声をかけ、交わり、何かの行動を共にする。当事者とヘルパーが外に向けて発信し、社会がそれを受け止める。(当事者がやりたいことをやってることが発信になるのだと思う。)

 逆から言えば、そのためにも、ガイドヘルプは当事者と介助者、二人だけの閉じた関係で完結するのではなく、開かれた関係を作ることを意識しながら、ガイドヘルプすることが大切だということ。

 そんな風にガイドヘルプを使うことで、地域であたりまえに暮らし第一歩を築くことが出来ないかと考えた。しかし、ここにも、超えなければならない制度的なハードルがある。国で認められている、障害福祉サービスとしてのガイドヘルプ的なサービスはとても限定的で、現在、例えば、不十分だが、それなりに他の地域と比べればカジュアルに使える大田区でのガイドヘルプの仕組みは、大田区独自の取り組みになっていて、そこには国費が投入されない。それは、どういうことかと言えば、そんな風にガイドヘルプを使えない地域があるということだ。ガイドヘルプの仕組みを、もっと全国に広げていくための政策的な取り組みも必要になっているのではないかと思う。

 もう一つ、言い足りなかったのは、障害がなくても、家をなかなか出ていかない子どもが増えてるんじゃないかという状況と、その原因を考えることも必要じゃないかということ。


6,結語とあとがきや付け足し

 ここまで書いてきたように「重い知的障害があると呼ばれる人」(いくつかこの表現を使ってきたが、他にうまい言い方が見つからないのでこう言う)には地域で当たり前に暮らす権利がある。そして、それが保障されていない現実がある。しかし、その現実は動かしていくことが必要で、それは不可能ではない、というか、その現実を変えなければならないし、そのために何が有効か考え、行動したいと思う。

 ぼくがここに書いたこと以外にも、現実は多様で、やるべきことはたくさんあるだろう。社会を変えていこうとするとき、それを阻むハードルもここに書いた以外にもたくさんあるだろう。ここに書いたことを実現するためには、おそらくいま以上の税金の投入が必要となるし、税金をいま以上に投入させるためには社会的な同意もとっていく必要がある。そういう意味では、家族も含む当事者や支援者向けの呼びかけだけではなく、社会的な認知を求めていくようなプロジェクトも必要となってくる、そこは、まだまだ手つかずだけど。

 地域で当たり前に暮らす権利を保障するために、やらなければならないことは満載だが、やれることをやっていくしかない。

 付け足し

 障害者に限らず、一人で生きていく環境や社会資源がないので、親と離れて生きていくことが難しい人はいる。8050問題と言われたりしている。親と暮らす家を「出ていけない」という側面が強いと思うが、「出ていきたくない」という話でもある。障害があってもなくても、できるだけ長く親と一緒に生活し続けたいという気持ちを否定する必要はないと思う。親の経済力や親が子どもをケアすることが前提で生活が成立している場合、その経済力やケアする力が失われても困らない準備を、家族まかせにするのではなく、社会に開いた形でしていくことが求められているのではないかと思う。

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この文章は、いろんな人の意見を聞いたうえで、順次ブラッシュアップしていきたいと思っています。感想や意見をコメント欄に残してもらえたら幸いです。


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この記事へのコメント

2022年03月30日 09:14
地域社会にいても行政が決めたサービスしか使えない。自立生活も行政が決めた自立生活、グループホームから通所に通う、その中に入らないならサービスは出さない、自分でやってください、国に頼るの辞めたら?というのではなく、一緒に考えていきたい。包容される事が無く、居るだけなら、居られなくなる。「選択と自己決定」はどこにいったのだろう。
2022年03月30日 09:41
このままではいけないと思います。
「知的障害者自立生活声明文プロジェクト」の名前からも思うのですが
当事者達からの訴えや運動ができないようになっています。知的障害があると言われる人たちは、本当に踏んだり蹴ったりだとずっと思ってきました。誰かが手助けすれば、周りが仕掛けていると言われかねない。でも、障害者と言われない人だって、自分だけで意思決定している事ばかりではない。当事者や家族が選択できるような仕組みがあったらと思います。弁護団を立てて行政と交渉しなければ獲得できないのが、障害者権利条約の中の権利であるのはおかしいですね。東京都の相談支援の研修に出た人たちが口々に話すのは研修内容が素晴らしいと言う事です。なぜそれが現場には来ないのか?地方自治体は現場と一体になって厚労省や財務省と交渉するくらいになって欲しいのに。頭に来るので、止まりませんね(笑)

この記事へのコメント

2022年03月30日 09:14
地域社会にいても行政が決めたサービスしか使えない。自立生活も行政が決めた自立生活、グループホームから通所に通う、その中に入らないならサービスは出さない、自分でやってください、国に頼るの辞めたら?というのではなく、一緒に考えていきたい。包容される事が無く、居るだけなら、居られなくなる。「選択と自己決定」はどこにいったのだろう。
2022年03月30日 09:41
このままではいけないと思います。
「知的障害者自立生活声明文プロジェクト」の名前からも思うのですが
当事者達からの訴えや運動ができないようになっています。知的障害があると言われる人たちは、本当に踏んだり蹴ったりだとずっと思ってきました。誰かが手助けすれば、周りが仕掛けていると言われかねない。でも、障害者と言われない人だって、自分だけで意思決定している事ばかりではない。当事者や家族が選択できるような仕組みがあったらと思います。弁護団を立てて行政と交渉しなければ獲得できないのが、障害者権利条約の中の権利であるのはおかしいですね。東京都の相談支援の研修に出た人たちが口々に話すのは研修内容が素晴らしいと言う事です。なぜそれが現場には来ないのか?地方自治体は現場と一体になって厚労省や財務省と交渉するくらいになって欲しいのに。頭に来るので、止まりませんね(笑)

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