SDGs――危機の時代の羅針盤 (岩波新書)メモ

読書メーターに書いたメモに補足


SDGsのことをほとんど知らずに「SDGsはアヘンだ」という斎藤幸平さんの話を受け入れてきた。この本を読んでもやはりその妥当性は失われていないと思う。そして、同時にそれは「綱引きの場所だ」と古沢広祐さんの話を聞いて感じていたことを確信させる本でもあった。参照 https://.at.webry.info/202103/article_3.html

とはいえ、一番の驚きは稲場雅紀さんが外務省のSDGsの交渉官だった外交官と共著していること。これをどう考えたらいいのだろう。「ありそう」という声も。

2022/02/17


124-125pには「デトロイト トーマツグループ」の「デトロイトジャパン」に籍を置いたという山田太雲さんのことが紹介されている。「企業におけるSDGsの主流化に取り組んでいる」とのこと。企業がお金を出して、コンサルを受けて、トランスフォームにつながるようなSDGsの取り組みを行う姿は、とても想像しにくい。

04/01 07:25


125~126頁がひとつのポイントだと思う。中長期的に企業が利益を上げ続けることが出来るような「経済合理性」と「トランスフォーム」(改良ではない徹底的な変革)の整合性が成立しうるのか。確かに投資家や企業が社会の重要なファクターであることは間違いないが、投資家が利益を上げることと「誰一人。取り残されない社会」を形成することは両立しうるのだろうか?

04/03 06:16


また、126頁からはNPO・ACEのガーナにおけるカカオ生産の取り組みやJICAとの共同での「途上国におけるサステイナブルカカオプラットフォーム」の紹介が掲載されている。この取り組みでカカオ農園で働く農民からの搾取がなくなり、誰もが安心して生活できるようになればいいと思う。実際はどうなのか、第三者の調査結果を見てみたい。

04/03 07:52


次に紹介されるのが、コンゴ民主共和国における「紛争鉱物取引」をめぐる課題。ここで紹介されるのはNPO・RITA-Congoの活動と代表の華井和代さん。彼女は採掘地の状況を発信しているとのこと。この紹介の後、133頁に書かれた、この節の結語部分がとても気になる。以下に引用する。

04/03 08:15

 企業人に内在する「内発性」や、さらには利益を追求する企業の「意欲」を引き出すこと で、企業セクターのポジティブな変革を引き出し、変えていく取り組みが、様々な課題で行われている。一方、SDGsの究極の課題は、冒頭に見たように、将来世代のニーズや可能性を 損ねることなく、現在世代のニーズを満たすように、現代の経済・社会を再編成する、という ことである。これに向けては、現代の生産・流通・消費を作り出す主流セクターである企業の 内的な変化の促進と共に、産業全体を巻き込んだ、新たなシステムへの大きな「移行」を構想 し、実践に移すことが必須となる。そのヒントとなるのが、生産・流通・消費に関わる「労 働」と「所有」の仕組みをどのように変えていくか、ということである。

04/03 08:16


SDGsを本来の意味で実現しようとするとき、短期的な利益との相反関係になることは容易に予想できる。そこで、企業は中長期の視点に立って、短期的な利益を犠牲にできるか、また、犠牲にして企業が存続しうるかどうかが問われることになる。このあたりにぎりぎりのバランスを取りながら、トランスフォームに向かうことが出来るかどうかが、大きな課題となる。

04/03 08:20


4章の「2労働と社会を変える」という節の初めに稲場さんは労働組合を俎上に挙げる。、これはとても大切な視点だと思う。しかし、連合のことを記述するときに、連合を否定しない書き方に細心の注意を払っているように読めた。 実際の連合の労働組合活動が「誰一人取り残さない」というところから、かなり遠いところにあることは、容易に指摘できるはずだが、そこは明確には指摘せず、理念的にめざしていることだけをとりあげている。日本の大企業中心の労働組合が、派遣労働などの非正規雇用の促進を許容してきたこと、多くの人を取り残すことを前提に成立してきたこと。そして、それがいま、見捨てられつつあることなどを、ちゃんと批判すべきだとぼくは思う。

04/03 08:38


次に紹介するのが、全統一労働組合の鳥井さん。鳥井さんがやってきたことは、実践として、本来、連合が日本のナショナルセンターとしてやるべきことであるにもかからず、ネグレクトしてきたことだ。事情を知っている人が注意深く読めば、それらを連合がやってこなかったことが問題なのだと、いうことなのだが、そんな風に読むことが出来るように、この本は書かれてない。

04/03 08:44


書き忘れたが、先ほど引用した【新たなシステムへの大きな「移行」を構想 し、実践に移すことが必須となる。そのヒントとなるのが、生産・流通・消費に関わる「労働」と「所有」の仕組みをどのように変えていくか、ということ】というのは、そのとおりだと思う。ただ、稲場さんが紹介している事例が、そこに肉薄できているとは思えない。

04/03 08:53


141~149頁にかけて、ワーカーズコープとSDGsについて記載されている。

「協同組合:所有のオルタナティブ」

という小見出しから始まる。以下の冒頭の文章が微妙で印象的だ。

「日本の協同組合が、SDGs達成に果たせる役割については、さらに問題含みである。ただ、希望もある」。

どんな問題が含まれていると書かれているのだろうと読み進んでも問題点の記述はなかなか出てこない。この協同組合に関する記述の最後にやっと少しだけ出てくる。

本来、私的所有をベースにした現代の経済・社会の仕組みを乗り越える「オルタナティブ」として存在してきたはずの協同組合は、公共の衰退と、事業と所有の切り離しの潮流の中で、ともすれが私企業の海の中に埋没し、存在価値を示せないでいる。ワーカーズコープはこうした中で、「協同労働の協同組合」としてその個性を磨いている

04/04 06:21


日本において、圧倒的に規模が大きい協同組合は「生協」「農協」だと思うが、そのことはここでは何も書かれていない。それあrでは、組合員はほぼ「お客さん」扱いだという現実もあるだろう。ワーカーズのもとにある職場で働く人たちの意識について、ぼくは知らないが、この社会で育った人間が、自らが職場の主体だという意識を持つのためには継続した意識的で効果的な取り組みが必要となるのだろう。そして、それが現状でどの程度存在し、どの程度成功しているのかもぼくは知らない。

04/04 06:29


このワーカーズを紹介する文章の中で、稲場さんが、その「秘密を知るために」「訪問した」のが「松戸地域福祉事業所 デイサービスあじさい」。その高齢者向けのデイサービスに応募してきた「以前。重度のうつを患ったことのある男性」がいて、その人の働き方に感銘して、障害者雇用の募集を始めたが、障害者がヘルパー資格を取る仕組みがない。千葉県にかけあって、委託訓練の訓練枠を設置し、柔軟性をもって働けるように障害者総合支援法の制度での就労も可能にした。というようなことが書かれている。業務を地域に開き、ワーカーズと連携する「社会連帯機構」の活動として、「あじさいサロン」で地域の人もそこで過ごせるようにして、子ども食堂を設置。松戸市との連携を進め、生活困窮者自立支援法に基づく「学習支援」の打診があり、学童保育とキッズルームと生活困窮者の就労準備支援事業を開始し、高齢者向けから全世代型の支援へとサービスを拡大。

こうした成長は、障害者やニート、引きこもりだった人たち、生活困窮者だった人たちを働く仲間として受け入れ、組合員になってもらって一緒に働く、というところから生まれてきた。そして、「「協同労働」という考え方をもとに取り組めば、いろんな人が。人生の中でもつことになったいろんな「でこぼこ」をうまく組み合わせることができるんです

という発言が紹介されている。

複数の制度を使って、あるところではサービスの利用者であり、あるところでは労働者であるような組み合わせ、「ここでこそ自分らしく働けるという人に働いてもらう、この発想によって、あじさいは、地域の様々な人が集まる交差点となった」と書かれている。143-144

ここはかなり言い得ている部分だと思う。

04/04 07:00



147頁にはワーカーズコープの古村理事長の発言が紹介されている。

「働く場所の保障は、公的に保障されるべきです。一方で、そこで行う仕事は何のため、誰のための仕事なのか、ということを、組合員自身が考え、主体的に関わる。周りの人たちと協力し、認め合い話し合うことで初めてよい仕事ができます。そこに、組合員自身が主人公、という在り方が生まれるのです」。

ここで書かれていること、そうあって欲しいと思うのだが、きれいごとすぎる感じも否めない。例えば、ワーカーズの職場で、自らが職場の主体であるということをどれだけ実感できるような仕組みになっているだろう?

 ワーカーズにはそのあたりの実践例を示してもらえたらと思う。現代の教育の中で育てられた若者たちが、自らを主体として立ち上げる困難を感じる。ここにチャレンジすること、それをどのように具体的に展開するか、かなり大切なことなのではないかと思う。

04/06 11:59


「取り残さない、取り残されない」という関係ではなく、すべての人が主人公になる社会が必要という古村理事長の主張(149p)はその通りだと思ったが、なかなか厳しい話でもあるかもしれない。

04/06 12:34


2019年の国連によるSDGサミットの事務局長報告、1,良い傾向はある。2,でも間に合うレベルではない。3,2015年からのSDGをとりまく国際環境の悪化。多国間協力のコミットメントへの圧力。153‐154p

04/07 07:29


175頁からSDGsに関わる資金についての記載。SDGsというか、貧困や気候変動を防ぐための資金を誰がどのように負担するかというのは非常に大切な課題であり、まだ、未解決なことが多い。

04/15 07:24


公的な資金は不足というか、軍事や民間企業の利益拡大のために優先的に使われ、人のいのちを守る方向の資金はいつも不足。 では、民間資金をどのように調達できるか。ここで紹介されているESG投資とか、グリーンボンドは有効なのか? ここにも記載されているが、リターンが期待的ないところの投資が普及するとは思えない。 トランスフォームというか、社会の価値観の根底的な変更がない限り、お金はそのように集まらないのではないか?  

04/16 02:00


210頁にはベトナムで、HIV陽性者やHIVに感染リスクの高いセックスワーカーやLGBTなど社会の「辺縁」位置付けられる人のコミュニティ支援を行っている医師の話がある。彼の「彼ら自身に多くの能力が備わっていることがわかった」という。それは確かにそうなのだが、なんだか上から目線じゃないか、とも思う。

04/16 03:34


結語部分 

 SDGsには、危機を突破し、それを「持続可能な社会」に向けた変革につなげていくだけの力がある。その力の源泉は、その包摂性と参加型民主主義によって、いままでつながったことのない人々をつなげていくところ、つながった人々の力を新しいエンジンにして行けるところにこそある。COVID―19の急性的危機のさなかでこそ、SDGsが持つ、この力にこそ信を置きたい。 (213頁)

04/16 04:03


この結語の楽観的な展望の根拠はどこにあるのだろう。いま、支配的なのは既存の価値観を変えようとしない「なんちゃってSDGs」ではないか。企業主導のSDGsに参加型民主主義を見出すことは出来ない。いつか、稲場さんにはそのあたりの話を聞いてみたい。

04/16 04:09

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