『施設コンフリクト』メモ (5月、6月追記)

読み終えたのは正月だったのに、読書メモを書き終えたのは5月7日。
5月末、文末に追記。6月、この感想を感じるきっかけになったイベントとシンポジウムの動画のURLを追記

以下、HPの紹介から

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施設コンフリクト
施設建設時の対立事例を丁寧に分析し、解決への道筋を示す
幻冬舎ルネッサンス新書
https://www.gentosha-book.com/products/9784344917729/

以下、この出版社(自費出版の会社らしい)から。


内容紹介

障害者施設や保育所などの建設時、地域住民の反対で計画中止となるニュースはたびたび報道されており、身近に感じている人も多いのではないだろうか? 「コンフリクト」とは、違う方向性の目標を追求する二者以上の間に生じる対立、葛藤、摩擦、紛争などの概念のことで、施設建設時のコンフリクトを「施設コンフリクト」と定義する。対立を好まず、物事を穏便に進めたがる日本人は、コンフリクトが苦手だ。だが著者は、対立の先にこそ、時間をかけて醸成された揺るぎない信頼が生れると説いている。コンフリクトを封印するのではなく、効果的な合意形成へ導くことが大切なのだ。本書は全国の施設コンフリクト事例を丁寧に分析し、合意形成までのポイントや具体的なマネジメント手法を提案しながら施設コンフリクトの解決への道筋を示す。

■著者紹介
野村恭代(のむらやすよ)
大阪大学大学院人間科学研究科修了(人間科学博士)。関西福祉科学大学講師等を経て、現在、大阪市立大学大学院生活科学研究科准教授。おもな研究テーマは、施設コンフリクトの合意形成、居住福祉。日本居住福祉学会事務局長。おもな著書『精神障害者施設におけるコンフリクト・マネジメントの手法と実践-地域住民との合意形成に向けて-』(単著、明石書店、2013年)、『キーワードと22の事例で学ぶソーシャルワーカーの仕事』(共編著、晃洋書房、2013年)、『包摂都市のレジリエンス』(共著、水曜社、2017年)。


以下、読書メモ


読後、読書メーター書いたのが以下

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精神障害者GHなどの施設建設、反対者の理解を得るためにより必要なのは、障害者理解ではないという話。 リスクコミュニケーションの手法というのが推奨されるのだが、これ、オープンダイアローグとも通じるものがあるのではないかと思った。まず、聞く姿勢。信頼関係を醸成する姿勢。いきなり解決策を提示したりしない。読後1か月、読書メモを書いている。丁寧に読むと、とてもわかりにくい本。個々に書かれていることは難しくないのだが、全体の整合をどう読むのかが問われる。項目ごとに矛盾しているように感じられる記述。どう考えるか?

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この段階では、書かれていることに矛盾があるのではないかと思っていたが、読書メモをほぼ書き終えたいま、そのことはあまり気にならなくなっている。

コンフリクトというカタカナを使う理由が以下のように書かれている。

コンフリクトを日本語に訳すと、「対立」、「葛藤」、「摩擦」、「紛争」などとなります。ただ、 コンフリクトはこれが全ての意味を含む概念であり、そのため本書では、あえて日本語に訳さず「コンフリクト」という言葉をそのまま用いたいと思います。4p

そして、コンフリクトは単に避けるべきものではなく、「これまでの矛盾を指摘し、新しい秩序を創り出す機能があることも認識され始めています。つまり、コンフリクトは「集団に質的変化をもたらす機会」でもあるのです」(20p)と書かれている。

24pには地域側が施設の受け入れを拒否する要因について以下のように書かれている。以下、適当に抜き出し、便宜的に番号を振る。

1・施設側と住民側の感情的対立と現実的な利害の対立

2・それを増幅させる住民側のステレオタイプ化(集団内で共通化かつ単純化)された障害者に対する不安感や恐怖感。

3・さらに特に感情的なコンフリクトが施設側と住民側の間に存在している場合には、相手に対する憎悪の感情を「障害者は危険」という理論で合理化し、反対運動の根拠とすることがしばしばあり、問題解決を困難にしている。

4・公有地への施設建設の場合には、その土地を直接的に住民の利益になるように利用したいという住民側の要求がある。

このあとに「原因は差別や偏見ではない」という記述があるのだが、2や3の背景には差別や偏見があると言えるのではないか?

さらに原因は差別や偏見ではないという小見出しがある。(25p)
こんなことが書いてある。

日本における障害者施設コンフリクト研究の第一人者の一人である古川孝順氏は、施設コンフリクトの要因は、偏見や誤解といった住民意識や心的規制によるものではなく、それを規定している当該地域の諸条件にあると述べています。25-26p

しかし、これ、原因は差別や偏見ではないと言いきるのは無理があるのではないか。その原因は「あれかこれか」といったものではなく、当該地域の諸条件をベースに形成される偏見や誤解といった住民意識も大きく影響しているように思う。

そして、以下のようにも描かれている。

「障害者施設へのコンフリクト発生の背景には、潜在的な障害者への不安感があることや事実ではあるものの、必ずしもそれだけでというわけではなく、現実にはもっと複雑な背景があり、施設コンフリクトは生じるのだと考えられます」27-28p


この「潜在的な障害者への不安感」こそ偏見や誤解といった住民意識であり、それは施設コンフリクトの要因に間違いないのではないか?

差別や偏見が原因なのだから、障害理解が必要で、だから、理解重視アプローチがとられる、というような話が記載され、その後の、そうではないという伏線になっているような気もしたのだが、よく読むと、「理解重視アプローチ」を完全に否定しているわけでもなさそうで、このあたりがこの本のわかりにくいところだ。。28p

そして、施設コンフリクトは新たな関係を形成する機会になるのだから、避けるべきものではないという見解も、この頁にはある。微妙な話だと思う。確かにそういう側面はある。そして、施設であろうと一般住宅であろうと、コンフリクトはあり、コミュニティの関係性が希薄さがコンフリクトをややこしくしている側面もあると思う。まあ、全く没交渉で、コンフリクトも何もないというケースも多いだろうが、何かで利害が対立したとき、関係は困難になりそう。

この『施設コンフリクト』というのは住民側からすれば、迷惑施設がやってきたという認識なのだろう。この本に書かれている手法は、丁寧に接し、説明し、信頼関係を醸成し、味方になってくれる人を増やすというような感じだ。それが出来れば、そうすることは建設後にもいいのだろうが、そうしなければならないのか、という思いは残る。

また、何もしなくても、コンフリクトなく、自然に地域の住民になるという選択肢も選択可能であって欲しいと思う。


2章には、精神障害者を対象とした施設建設に関するコンフリクトの統計が示されている。

1980年代は3件に1件、00年代は6件に1件。この本でも、その数字が減ったとはいえ、少ないとは思えないと記載されている。38p


そして、施設コンフリクトを乗り越えた事例に関して、以下のような記載がある。

 この結果からは、施設コンフリクトを乗り越えたことにより、施設や精神障害者への「理解」が深まることよりも、地域に新たに「相互に援助しあう」ことのできる、人と人とのつながりという資源が創出され、さらにつながりを中心とした総合支援の可能性が示唆されます。 46p

そして、このコンフリクトに行政が仲介者として介入して解決する手法が有効であり、重要であるとされる。47p


60p には、住民説明会を開かないことが重要だという意見の理由として4点がまとめてある。以下、要約。

1,反対派住民を集団化させることにつながる。

2,「糾弾する会」に変貌し、不必要な過度な言葉のやり取りにより相互に傷つく恐れ

3,偏見に基づき不安を訴える反対者には、どんな論理的説明も安心を与えない

4,何度も説明会を要求されると、計画が遅延し、中止に追い込まれる

さらにコンフリクトの発生を防止することが必要なので、当事者が「接触しないことが重要であるとする意・見・ま・で・みられます」(強調部分、引用者)

 この意見に対して、「一定の理解は示しておきたい」とした上で、

しかし、「避ける」ということでは、実際にはあるものに目を瞑(つむ)り、あるものを避けて通るという、きわめて消極的な方法であり、共生社会の構築にはまったく寄与しません。61p

と、ほぼ全面的に否定している。

その後に書かれていることをざっくりまとめると、要は、ちゃんと対応しないで逃げているといつかは表面化するから、それをチャンスとして、向き合わなくちゃダメっていう話だろう。


正論と言えば、正論なんだけど、ぼくはケースバイケースだと思う。この本に書かれているような方法で、行政を仲介者にして、時間をかけて信頼関係を構築し、理解を得るという方法だけが正しいわけではないはず。他方で、どんな場合でも説明会を開催すべきではない、という話でもないと思う。

そのときどきのさまざまな状況を勘案して、考えていけばいいんじゃないかと思う。


ただ、行政には、住民の障害者忌避=差別から逃げたりするな、と言いたい。先日の集会*での大田区での事例の入戸野さんの話では、大田区は説明会の会場かどこかで「私たちは住民の立場です」と言ったらしい。行政はそうではなく「差別を認めない」という立場を明確に持ったうえで、解決に向けて柔軟に対応して欲しいと思う。

*イベントは 映画「不安の正体〜精神障害者グループホームと地域 」の上映とシンポジウム
この日のシンポジウムの動画も配信されている。
https://porque.tokyo/2022/03/09/talk-event/

64pでは以下のように書かれる。

リーダーの姿勢や方針が多くの関係者に共有され、共有した方針を地域住民に一貫して熱意をもって訴えることにより、施設コンフリクトが発生したとしても、合意形成に至る糸口はみつかるとされてきました

必ずしもそうではないという認識は共有され始めているのではないか。また、ここに書かれている「多くの関係者」がどの程度の誰を指しているのか不明なのだが、なにも説明しないほうがうまくいくことも多いという池原弁護士などの意見も広がっているのではないか。正しさや熱意だけではうまくいかないというのは確かだとしても。(上記部分5月9日に訂正)

また、このすぐ後に書かれているのが以下

地域に働きかけるポイント

施設側が地域に働きかけるうえでのポイントとしては、以下の4点があげられています。

1 それまでに地域住民との間にトラブルがないこと。

2 住民のニーズに合致した働きかけを行うこと。

3 施設の公開性を高め、地域のなかで民主的な運営を目指すこと。 

4 地域社会における一般的な人間関係を形成すること。

住民側が受け入れるのが当然だと考えずに、時間をかけて丁寧に説明するという話だし、常識的な話でもあるとは思うが、やはり微妙な違和感は残る。障害者側が頭を下げて地域に入っていくイメージがあるから。

また、98頁にはかなり激しいコンフリクトが発生した場で、過去にいわゆる迷惑施設建設問題で手腕を振るった市役所職員のY氏が、担当者に任命され、反対派住民との対応にあたった話の後に、そのY氏が語った話が紹介されている。

「信頼や信用は、まず個人に対するものから始まる。そして、その個人を含めた全体 への信頼になるんです。信用してもらうには、こちらが一生懸命になっている姿を伝 えること。こちらの思いを相手にわかってもらうようになること。そのためには、住 民の訴えに耳を傾けて聴くんです。施設をつくる意義はあまり話していません。聞く耳をもってくれているときにだけ話しました。どのレベルのときにどの話をするかが 大切。住民説明会という集団相手と、戸別訪問という個人相手の対話を並行して行い ました......」

そして、以下のように続く

 こうして、約2年にわたる地道な努力を積み重ねた結果、Y氏は、反対派住民から 信頼を得ることができました。それを確信したY氏は、住民との話しあいの場で、先進的な取り組みをしている精神障害者施設への見学バスツアーを提案しました この計画を賛成派住民にも伝えたところ、賛成派住民は、すぐに参加の意向示し・・・

また、このY氏が、施設コンフリクトが起こるのは行政の腰が引けているからだ、と述べているという。121p

確かにその通りだと思う。

147頁にはいろんな住民がいるのだから、反対する住民がいるのは当然で、大なり小なり施設コンフリクトは必ず起こることを前提に建設側が準備する必要があると指摘されている。

しかし、同時に地域に無関心な人が多い都会で、何の反応もない、反応が表面化しないところもあるだろうと思う。それはそれで、大きな課題であると言えるのかもしれない。


154頁~の引用

リスクコミュニケーションの原則と構造

こうしたリスクコミュニケーションを活用した「リスクコミュニケーション手法」 を展開する際の原則として、日本リスク研究学会は、以下の7点を提示しています。

1,市民団体や地域住民などを正当なパートナーとして受け入れ、連携すること。

2,コミュニケーション方法を注意深く立案し、そのプロセスを評価すること。

3,人々の声に耳を傾けること。

4,正直、率直、オープンになること。

5,多くの信頼できる人々や機関と協調、協議すること。

6,マスメディアの要望を理解し、それに応えること。

7,相手の気持ちを受け止め、明瞭に話すこと。

 そして、合意形成のためには、リスクに直接的・間接的に関わるステークホルダー それぞれが、さまざまなリスクに対応するためのマネジメントやアセスメント(リスク評価)を行い、それを他のステークホルダーと相互に情報交換(リスクコミュニケ ーション)しながら、個別のリスクマネジメントを適切に実行していくことが必要で あるとしています。そのうえでリスクコミュニケーション手法を推進することが、環境リスクの管理に係る政策決定において、社会的な合意形成を促す基盤を構築するためには、きわめて重要であると提起されています。いいことばかりを言って、受け手 の不安に言及しないリスクコミュニケーションは、確実に失敗するであろうことは容 易に推測できます。

 さらに、リスクコミュニケーションを展開するには、事前に受け手の分析を行う必 要もあります。つまり、受け手やその問題への積極的な理解が求められるということ であり、利害関係者が誰であるのかを見極めたうえで、その人たちが、その問題につ いてこのように認識しているのかを理解しなければなりません。 

 そして、リスクコミュニケーションに不可欠な条件として、「手続きの公正さ」を指摘する研究も多くみられます。・・・

この公正さを査定する基準が「事実性」と「配慮性」だという。(156頁)

174頁では理解啓発は必要だが、本当に意味のある啓発活動は、子どもの頃から、教育の場でにおいて、障害のある人とともに、あたりまえに時間を過ごすことだ、と書かれている。基本的にはそうだと思うのだが、口ではきれいごとを言いながら、本音では障害者を一段低い存在だと見ている人が少なくない大人の世界、お金を得るという尺度で測られる資本主義社会の価値観は子どもの世界にも影響を及ぼしているので、子ども自身が、その価値観がゆがんでいることに気付くような場も必要なのだろう。それは狭い意味での「教育」の場ではなく、生きていくプロセスのさまざまな場面で、「ともに、あたりまえに」過ごすことが求められているのだと思う。資本主義的価値観のアンラーンが必要ということも言えるかもしれない。

そして、この本の内容を超簡単に示しているのが、上記に話に続いて書かれている以下

 また、従来行われてきた理解重視アプローチは、住民側の安心感を醸成しようとす るものでしたが、リスクコミュニケーションが最終的に目指すものは、コンフリクト 関係者間の信頼の醸成であり、障害者施設におけるコンフリクトの合意形成においても、信頼を醸成することを目的としたリスクコミュニケーション手法が有効であると述べました。障害者施設におけるコンフリクトにおいても、コンフリクト当事者間の 信頼の醸成を目指す取り組みが有効なのです。174p

あとがき(180頁)では、従来の障害理解アプローチを否定するのではなく、「それに加えて」、信頼が必要だと書かれている。信頼を得るために、一定の障害理解が必要になるという理解でもいいかと思った。しかし、障害理解がほとんどなくても、コンフリクト当事者間に信頼関係を形成することは可能であると言えるかもしれない、とも思う。それに続けて、社会福祉施設は迷惑施設と見られてきたが、人と人をつなぐ可能性のある場であると、書かれている。これ、深読みすれば、無関心・無関係からは何も生まれないが、コンフリクトが発生した場所は、反転しうる、という風にも読めるだろうか? こんな風に書くと、もっともらしく読めるかもしれないが、実際には障害者施設を拒否する旗を振るような人と「つながる」のは気が進まないし、関係性を反転させるのは、そんなに容易ではないような気もする。

ともあれ、施設建設をめぐるコンフリクトに関して、どうすればいいかという話に関して、従来の言われてきた視点とは異なる新しい知見がこの本にはあり、とても興味深い本だった。

~~以下、追記~~
確かに、この手順を踏んで、時間をかけて信頼醸成することの意味はあるかもしれない。しかし、「どうして、そんな風に待たされなければならないのか」「待たされること自体が権利侵害ではないのか」という視点もある。そもそも、障害者施設を忌避すること自体が差別なのではないか? 信頼を醸成するプロセスは建設後に積み重ねていくことも可能なのではないか、建設前にゆっくり時間をかけるプロセスを経ることを望む人がいてもいいと思うし、それを否定はしないが、障害者の居住する権利を明確に心に抱いて建設し、居住を開始し、そこから、困難であっても地域との信頼醸成のプロセスを形成していくという方法もあるだろう。 どちらかが間違いで、どちらかが正しいという話ではないはず。

障害者を忌避する建設反対は誤っているという視点を持ちたいが、障害者が通常とは異なる施設生活を送ることを強いる施設建設に、障害者の権利の観点から反対するということはあり得ると思う。しかし、同じ建設反対でも、この二つは明確に異なる立場であり、これをあいまいにするようなことはしてはいけない、と考える。
~~追記ここまで~~

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