『排除の現象学』メモ3(「第4章 移植都市―鏡の部屋というユートピア」)

(2)https://tu-ta.seesaa.net/article/202112article_1.html の続き


「その2」をアプロードしたのが2021年の12月だったので、それから半年たっている。「第4章 移植都市―鏡の部屋というユートピア」に関する読書メモ



第3章 物語―家族たちをめぐる神隠し譚

イエスの箱舟、実は事件ではなかったという話。

第4章 移植都市―鏡の部屋というユートピア

埼玉県比企郡鳩山町の国有地における成人自閉症者入所施設建設反対運動に関する記述。

1981年(国際障害者年)に自閉症児親の会の10年越しの運動の成果として、実を結ぼうとしていた。177p

子どもを入れる入所施設が欲しいという親の思い。1980年代という時代には、それが切実な願いとして存在していたのだろうが、同時にこの時期にすでに入所施設に対する疑義は、身体障害者と呼ばれる人たちから提出されていた。しかし、その視野に、知的障害を伴う重度の自閉症の人たちのことまで含まれていたかどうかはあやしい。1980年代、ぼくは全障連(全国障害者解放運動連絡会)の施設小委員会という小さなグループに関わっていたことを、いま思い出した。その頃に関するおぼろげな記憶では、視野にあまり含まれていなかったのだと思う。

しかし、着工寸前に一部住民による強い反対運動がおこり、3回にわたる親の会や専門医による説明会が開催され、住民投票で決着することになったが、県知事や村当局が仲介に乗り出し、住民投票はかろうじて回避。村当局が代替地をあっせんしたが、立地条件が合わずに結局、建設されなかった。178p

「マスコミはこぞって、弱者をとりまく地域エゴといった視点から取材し、報道した」とのこと。それに対して、赤坂さんは、それは地域エゴの問題ではあるが、(その)「位相に還元することによっては了解しがたいものを含んでいる」(179p)と書く。

70年代のゴミ焼却場の建設に反対する運動があり、80年代に入ると

「地域エゴイズムの矛先はあきらかに変質、ないし拡大の様相を呈しはじめ」「ゴミ焼却場から、自閉症者施設・福祉作業所・心身障害者相談センター・養護施設など、排斥の対象はひろがってゆく。ともに異物に向けた忌避感にねざしているが、わたしたちはもはや、このむきだしの排除の構造を前にしては、滑稽さを通りこしてほとんどグロテスクな戦慄を覚えざるをえない」179p

そんな風に赤坂さんは書く。

これがほんとうに70年代から80年代にかけての変化だったのかどうか、誰か実証的に検証してもらえたらと思う。ありそうなことだと思うが、印象による評価ではないか、という疑いは少し残っている。

そして、旧来の鳩山の村の人たちが住む地域では「おおむね好意的または無関心であった」(183p)とのこと。その理由として、赤坂さんは以下のように書く。

みずからの解体とひきかえに、ニュータウンなる巨大な異物を受容してきた村にとって、自閉症者施設がニュータウン以上に脅威をもたらす存在であったとはおもえない。したがって、わたしたちは本村の住民がけやきの郷にしめした好意的態度は、自立した共同体としての村が壊れつつある現実に照応しているとかんがえたい。過疎化が深刻となり、あるいは都市資本の侵攻による宅地化がおしすすめられるなかで、確実に衰弱していく村は、かつての典型的な嘔吐型社会から吸収型社会へと、変質を余儀なくされているのである。184

そして、赤坂さんはこの電柱や広告のない、美しい、2階建ての住宅に均質化されたニュータウンを無印良品から受ける印象と同じだという。その両者は、「無印と無・差異」「無印商品のかもしだす、無機質な印象は、そのままニュータウン全部から受けるのっぺりした雰囲気につうじている」188p という。

無印の製品、好きなものも多いんだけど(笑)。

197pからは、この施設の3回目の建設説明会直後に発行された鳩山ニュータウン自治会の機関紙のコラムに、自閉症者を犬に例えた(としか読めない)記事の紹介がある。嫌いなものは嫌いなのだから、何をしても徒労に終わるから近づけないのがいい、というのが、そのコラムの結論。赤坂さんはこのコラムについて、グロテスクなまでに倒錯的でそのことに無自覚だと書く。(199p)

「偏見とはむしろ、異質なものに遭遇したとき、対象との差異を自己との関わりにおいて鮮明に把握しようと努めることなく、旧来の諸カテゴリーの鋳型に封じ込めようとするか、あるいは関係の構築自体を断念して、忌避しようとする心理的な硬さの謂に他ならない。…心理的な硬さとは、あらゆる事象が孕んでいる曖昧性や多義性をそのまま引き受け、そこに生じる苦痛や不安に耐えていく意志の欠如した生のありようである。…自己および世界についての明確で理路整然としたイメージに適合するものいがいは、現実として許容されず排斥される」203

そして、これは均質な(外見が均質に見えるだけなのだが)ニュータウンに埋め込まれた排除の構造の硬直性であると、以下のように書く。(205p)

 均質化された時空に、たがいの差異を消去しあうことを黙契としてかろうじて獲得された平穏な生活、それはいかに脆弱な基盤のうえに成立した、砂上の楼閣にひとしい世界である。けやきの郷建設に反対する、鳩山ニュータウンのひとりの住民は、説明会の質疑応答のなかでこうのべている。

~~
 我々としては、こういう施設がこなければ、こんなギクシャクした問題は起きなかったと思います。来るからこんな問題が起きたのだと思います。来ない方が良かったな、率直に言ってそういう感じでございます。だから、面倒臭くなければ他へ行って貰った方が良かったなと......。(中央公論一九八二・六)
~~

 こうした感慨はおそらく、施設の建設に反対するといなとにかかわらず、鳩山ニュータウンの住民たちにある程度共通の偽わらざる心情であった、と想像される。自閉症者は招かれざる客であり、かれらが出現しさえしなければ、なにも問題は起こらなかった、ニュータウンの平和が脅かされることもなかった……。

 しかし、じつは、それまで「ギクシャクした問題」は存在しなかったのではなく、巧妙に回避されてきたにすぎない。隣人がみずからと相似の人々であると信じられているかぎり、たがいの差異を深く凝視する必要もなく、ひたすら相互理解が届いているという幻想のなかに憩いつづけることができる。生身の人間同士の関係であれば生じずにはかぬ〝ギクシャクした問題〟(多様性・相剋性)は顕在化せぬままに、人々の意識の表層から抑圧される。いわば、これは人々が相互にもっとも効果的に隠匿しあう方法であるといってよい。現状へのかぎりない隷従と無関心、わたしたちはそこに典型的な心理的硬さの徴候をみとめる。

 とはいえ、心理的な硬さとはたんに、個人の内面の性向をあらわすものではない。むしろ、ニュータウンというかぎりなく差異の排斥された均質空間そのものに埋めこまれた、排除の構造の硬直性をこそさしている。鳩山ニュータウンという、都会はるかな理想郷に辿りついた家族たちにとって、差異の喪失だけが理想郷幻想のささえである。この理想郷は理想郷でありつづけるために、住民たちに心理的な硬さという生のありようを強いているのだともいえる。(204-205)

言い過ぎているような気もするが、・・・。

ニュータウンをニュータウンとして維持したいがために、障害者施設を拒否したという風に考えるのは容易な話かもしれない。しかし、その鳩山ニュータウンも、これが書かれてから40年を経過し、ニュータウンとは言えなくなっているのかもしれない。

「異人」の役割についての以下の言説は興味深い。障害学における「差異派」と「平等派」の議論を思い出した。

 ある意味では、異人とは、異質なるものそれゆえ異界へむけて開かれた窓である。異人という窓または通路をもたない場合には、わたしたちは異質なるものとむきだしの状態で接触しなければならないことになる。そのさい、異質なるものは差別の対象と化し、バルバロス的異人として接触自体を嫌忌される。換言すれば、世界が多様なる差異を孕んだ人々によって構成されているかぎり、そうした他者たち=かれらとの関係の媒介者として、わたしたちは異人を必要としているのである。

 わたしたちは異人との出会いを通して、また、その出会いの瞬間ごとに内なる他者を発見し、生きなおすのである。それは精神分析にいう、無意識の発見に似ているのかもしれない。名付けられざるままに、わたしたちの内奥に沈められていた内なる他者に息を吹きこみ、それをわたしたちはいわば未来にむけて可能性として生きなおす。それゆえ、異人との出会いは、みずからの関係世界の外縁をおしひろげ、自身の生の枠組をこえてあらたに関係世界を再編する機会であるといわねばならない。212p

障害者を異人と考えることの可否は微妙だ。しかし、ここに書かれた異人という文字を障害者に置き換えて考えることはできるし、そのことの意味はありそうな気がする。

 過渡期または形成期にある社会は、異質なるもの〈混沌〉にたいする堡塁となるような、共通の自己および世界にかんするイメージを産出しようとする。それは日々共有される経験の積み重ねによって、しだいに培われるものではなく、現実の社会関係にさきだって意志的に選択される、〝われわれとは何者か?〟という問いへの解答である。首尾一貫した定型にまで純化された「われわれ像」は、集団の成員たちの幻想的な絆つまり集団的アイデンティティとして機能する。215p

【〝われわれとは何者か?〟という問いへの解答】は【日々共有される経験の積み重ねによって、しだいに培われるものではなく、現実の社会関係にさきだって意志的に選択され】【首尾一貫した定型にまで純化された「われわれ像」は、集団の成員たちの幻想的な絆つまり集団的アイデンティティとして機能】するという。

例えば、日本人とは何か、日本民族とは何か、という問いに首尾一貫した定型として応えようとするのは、すべてインチキだという話でもある。

 そして、この章は以下のように閉じる。

 施設建設の賛否をめぐり、前後三回にわたって開かれた住民説明会(自治会主催)とは、なんであったのか。それはあたかも、自閉症者なる生け贄を招き寄せ、やがて祀り棄てるためのスケープ・ゴート儀礼の過程を想わせる。回を重ねるにつれて険悪化し、緊張の度をたかめてゆく説明会は、ついに賛否の結着を無記名の住民投票にゆだねる方向へすすむ。

住民投票とはいかにも現代風の装いをこらされてはいるが、ニュータウンの住民たちの匿名化された意志を全員一致の暴力へと駆りたててゆく、巧妙に仕組まれたスケープ・ゴート放逐の儀礼装置にほかならない。

 が、それは結局、政治の側からの要請によって回避される。近代市民社会の黙契が、そうしたスケープ・ゴート儀礼、すなわち、異人を標的とした排除の構造が社会の表層に露出してしまうことを許容できなかった、というべきだろうか。かくして供犠の庭は劇的に幕をひかれることなく、あいまいに閉ざされる。スケープ・ゴート放逐という儀礼の目的だけがはたされた。東日本ではじめての自閉症者施設・けやきの郷は、鳩山ニュータウンの住民たちによる、全員一致にあらざる全員一致の暴力のために葬られたのである。

 全員一致にあらざるとは、「けやきの郷を支援する会」の結成、といった一部住民の動きを念頭におくためだが、異人排除という、全員一致の暴力として行使されるべきメカニズムが、全員一致なる幻想をまといえないところに、現代におけるコミュニティ成立の困難さがあるとともに、逆にいえば、あらたな可能性の筋道がほのみえるといえるのかもしれない。

 異質なるものをかぎりなく排斥する地点になりたつ、閉ざされたコミュニティから、異質なるものを豊かに包摂してゆく、開かれたコミュニティヘ。おそらく、この、ほとんど関係としての人間の宿命にあらがう二律背反的な隘路にしか、わたしたちの時代のコミュニティ存立の条件はもとめられない。

   *     *

『朝日新聞』一九八五・四・二の紙面に、その後のけやきの郷をつたえる小さな記事がのった。「けやきの郷」に安住の地、川越市に八月にも開園——。鳩山ニュータウンから排除され、埼玉県内のあちらこちらを彷徨してきたけやきの郷は、ようやく川越市内に安住の地をえて開園にこぎつけることができたらしい。

 ところで、ちょうど同じ頃、わたしは鳩山ニュータウンとも再会した。新聞の折りこみ広告のなかに、一度だけ訪れたことのある、あの美しい街がひっそりとたたずんでいた。コミュニティの起源を語る供犠の痕跡も、追放された異人たちの影も、むろん映されてはいない。人気のない、ひたすら端整で清潔な街並み。そこは、しかしわたしたちの語ってきた事件の現場である。わたしの脳裡をふっと、幻聴のように読みさしの本の一節がよぎって消える...。

だが、われわれの都市のすべての地点は、犯行現場ではないのか?そこを通行するすべての者は、加害者ではないのか?(ベンヤミン『複製技術時代の芸術』田窪清秀・野村修訳)


第5章 分裂病―通り魔とよばれる犯罪者たち

に続くが、これ以降のメモがいつ書けるかは不明

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